二 「愛しているかと訊かれると」26

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二 「愛しているかと訊かれると」26

 クリスマス・イブの日、彼女はひとりで残業をしていた。  職場の同僚たちは誰もがさっさと仕事を終え、安らぎの約束へと向かった。  しんとした職場内では必要最小限の電気がつけられ、おぼろげなスポットライトの中でデスクに向かう。  ひとりっきりのクリスマス・イブ。  別にたいしたことではない。今までと変わらない日を過ごしているだけ。彼女にとっては、三百六十五日のうちの一日にすぎない。今日はやり遂げなければならない仕事があるということ。  しなければならない仕事があることに注目をすれば、充実を意味するのかもしれない。  彼女が明日までに仕上げなければならない資料を整え、必要部数をコピーしているとき、メールが届いた。時間は二十一時を過ぎていた。  送信者は杉田さんからだ。  そういえば、「こんな日に呼び出しとは」と愚痴っぽくもらしながら会社を出て行った。杉田さんは取引先の知り合いに呼び出され、接待の最中だ。なにか急用でもできたのか。ならばすぐにでも。と出動態勢にモードを切り替えて、携帯を開きメールを確かめた。  写メが添付されたメールが届いている。  タイトルを見て、ドキッとした。 「メリークリスマス」  文面が(いさ)んで目に飛び込んでくる。 「メリークリスマス。いつもご苦労様です。記念日に一人で残業をさせて申し訳ない。心遣いのできない上司ですみません。せめてものお詫びと言ってはなんですが、ささやかなプレゼントを贈ります。街はこんなにきれいですよ。では、あまり無理をしないでください。身体に気をつけて」  彼女は添付された写メを確認した。  イルミネーションをまとった街がとてもきれいだ。もう一つ、きらびやかな電飾で飾られたツリーも輝かしい。メールのタイトルを眺めた。「メリークリスマス」の文字が目にまばゆく胸に温かい。安堵と幸福の表情がぱっとひろがる。世捨(よす)(びと)のごとく、他人との関わりを拒絶してきた私にとっては、心がときめく初めてのプレゼント。  彼女は思わず携帯電話を胸で包み込むように抱きしめた。  彼女はこの日の感想を次のように述べた。 「魂に安らぎを与えてくれた人です」  彼女は他人に微笑ましさを与える表情を持っていた。  心の理解者。行為を受け止め、思いをさらけ出せる人。  彼女の居場所。精神的なより所となる安住の地。  彼女は途中で投げ出すこともなく、他人に悪意を持って迷惑をかけることもなく、可憐(かれん)精錬(せいれん)無辜(むこ)なる気持ちを精神に(はら)み、(つつ)ましく生きてきた。  杉田さんと巡り会えたことは、神様のご褒美(ほうび)ではないかと思えた。
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