二 「愛しているかと訊かれると」32

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二 「愛しているかと訊かれると」32

 最初に出回った噂は、来年、新しい部が創設されることになり、トップとして杉田さんの名前が候補にあがっているという(よろこ)ばしい話だ。  部下たちは全員不安を覚える。上司が代われば職場の雰囲気も当然変わる。異動を経験している職員は身をもって経験している。  杉田さんよりいい人が来ればうれしいが、それは考えにくい。誰を想像してもモチベーションが下がる。と今までの経験から想像はつく。  杉田さんの昇進はうれしいが、我が身を考えればため息をついてしまう。うれしい反面辛いことでもある。  杉田さんが出て行くなら自分も異動を希望したい。できることなら新しい職場に一緒に連れて行って欲しいと願う。もしかすると自分を一緒に連れてってくれるのではないかと彼女は淡い期待を抱いた。乙女のいじらしい思いと切なる願い。初恋のようにピュアな願望でもある。だが、誰もが経験するであろう儚い共鳴になってしまう。  ある日、事態が急変した。ざわざわと下世話な噂話で持ちきりになる。  少しずつ近づいている人間関係に見えない距離と壁ができる。雰囲気的に感じることができても実態として見えてこない。時間の経過とともによそよそしさが伝わってくる。明らかに敬遠されている。半径三メートルの溝が彼女の周りを取り囲んで、誰も近づこうともしない。彼女から近づこうとすれば溝の外側に構築された壁が同じように移動して、人を追い返すように溝が維持される。なにが起きているのか確かめようがない。足下ばかりを見つめていると、他人から白い目で見られていることに気づくこともできなかった。頼れる人はただ一人。  彼女は勇気を出して杉田さんにメールを送って確かめた。 「私たちのことで悪質なデマを流した者がいます。しかし、気にすることはありません。人の噂も七十五日と言うでしょ。時が解決する問題ですよ。お互い惑わされないようにしましょう」  杉田さんは具体的な内容を教えてくれなかったらしい。
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