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二 「愛しているかと訊かれると」35
「三田さんに嘘は似合わないよ。嘘は心が卑しくて、ふてぶてしい人がつくものだ。繊細な三田さんに嘘はむいてない。だから、自分を犠牲にして、私を守るような嘘はつかないでくれ。やましいことはなにもないんだから、お互い堂々としていればいい。バカげた中傷は我々を知らない者がしているんだから。我々は仲間だろ。大丈夫。みんな信じているよ。みんな、今日でこの件の話は終わりにしよう。みんなに変な気遣いをさせたことは謝る。申し訳なかった」
杉田さんの言葉に職場内で拍手が起こったという。
本来ならば、この日を境に時間の経過とともに不倫の噂など消滅するはずが、そうはならなかった。
ある日、杉田さんは転勤を命じられた。彼女は職場に残された。両成敗とはならなかった。
「やっぱり」と相反する意味で同じ言葉がささやかれた。
二人の噂を肯定する「やっぱり」と彼女だけが異動させられなかった「やっぱり」だ。
ほんとうに非がある二人ならば、彼女が無傷でいられるはずがない。
しかし、杉田さんの人事異動の方が、印象的で分が悪い。言葉にしなくとも、「左遷」の文字だけが社内の記憶に残されている。
異動の前日、杉田さんの送別会が開かれた。
彼女は参加しなかった。
いつも通りと言えばいつも通りだ。今までとなんらかわらない行為だ。しかし、理由はある。彼女は部長からの指名で、ここ数日間、ある資料作りに没頭している。なぜ、この時期に残業を余儀なくさせられる仕事が舞い込んできたのか、誰も知る由もなかった。
彼女は杉田さんのことを考えて辛くなるより、なにか他のことで気を紛らわすことができてよかったと打ち明けている。
忙しいく時間を過ごしていれば、人前で涙を見せずにすんだからと。
その晩遅くに杉田さんから彼女にメールが届く。
「あなたを守ったつもりだが、不本意な結果になってしまって申し訳ない。でも、これで終わったとは思って欲しくない。なにかあればメールをください。僕で役に立てることがあれば、喜んで待っています。いつでも心はそばにいると思ってください」
「杉田さんにこれ以上迷惑をかけまいと、メールをがまんしていました。本当はお話がしたかったです。まだまだ沢山、知って欲しいこともありました」
「僕もですよ。もう壁は必要ありません。なにかあれば、いや、なにも用事がなくてもいいですからメールをください。明日は職場に顔を出して、それから次の勤務先に向かいます。直接は話しにくいでしょうから、今、伝えます。今までありがとう。僕自身、あなたに支えられたことが幾度かあります。本当ですよ。では、また。遅くにすみません。お休みなさい」
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