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二 「愛しているかと訊かれると」36
異動日までの期間は、佐古田課長が腰掛けで課長のイスに座った。
杉田さんが異動した翌日について、「他人の視線が怖くなりました。不安が渦巻き動けなくなりました」と彼女が心の思いを語り始めた。
「杉田さんがこの職場を去った日は、初めて寂しさを感じました。話すことができなくても、杉田さんが視界に映るだけで心が癒やされることもあります。でも、もうそれはできなくなりました。空虚と哀しみに押しつぶされそうになり、感傷に溺れないようにと仕事に没頭しました。静かな夜になると思い出す人になりました。夢の中で杉田さんを探したこともあります。でも、私は泣かない。泣けば、せっかく上った階段を、一段降りてしまうような気がしますので。だから私は泣かないと決めました。杉田さんへの恩返しです。もっと笑顔でいられる自分でいよう。私が幸せになること。ちゃんと人を愛せる人間になろう。それが杉田さんに対する私の恩返しです。私が幸せだと思えるようになれば、杉田さんはきっと喜んでくれます。私、意固地ですから」
さりげなく自分の性格と決意を固持する言動かもしれない。
彼女は、今よりも強くなろうと決心したのだろう。杉田さんの心がそばにいるからがんばろうと誓ったのだろう。
私はたくましい純粋さを彼女に感じた。
私はひとつだけ、彼女に訊ねた。
「あなたは、杉田さんのことを愛していると、一度でも、一瞬でも、思ったことがなかったのですか」
「愛しているかと訊かれると、愛しています。と答えることになります。私を心から真摯に支えてくれた人ですから。でも、あなたが思っている愛していると私が思っている愛しているとは、とても離れた思いがあります。簡単に区分けすることはできません。他人にはわからないことです」
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