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三 「君がそこまで言うのなら」5
美智子さんの回想録は、てきぱきした口調からゆっくりとした口調に変えて語り出した。
美智子さんが四十三歳になる年に、杉田真一さんは生まれた。
当時、母親は二十二歳、父親は二十八歳である。
昭和四十六年(西暦1971年)のこと。
父親は平凡なサラリーマン。母親は専業主婦。当時の一般的な家庭に育つ。
昭和五十一年、待望の二人目となる妹が生まれた。
杉田さんが九歳の頃、父親の会社が倒産する。母親がパートを始め、実質的に家計を支えた。父親は再就職活動もせず、ぶらぶらしながら酒浸りの日々が続いた。
昭和五十六年、祖父の杉田純一郎が他界する。
美智子さんが五十三歳の時である。楽な短時間のパートに入り小遣い稼ぎ程度に働いたそうだ。主な生活費は祖父の財産で食べていたという。
悪いことは続くもので、母親が酒浸りの父親に愛想をつかした。あっけなく離婚が成立。母親は三十三歳、女としても充分人生はやり直せる年齢だ。杉田さんの分岐点はこの時期から始まる。
杉田さんは、家族の中では、母親が大好きで、母も自分を一番愛しているものと思っていた。両親が離婚したときは、自分が母と一緒に暮らすものだと、自分が男として母と妹を守っていくんだと思っていた。
しかし、母は妹だけを選んだ。杉田さんは母に捨てられたのだと思い、とてもショックを受けた。この頃、杉田さんはいじいじした性格になったようだ。
母親は孫も連れて行こうとしたが、父親が甲斐性もないのに二人も連れて行くことを拒んだ。どちらかを置いてくことが離婚の条件として出した。おそらく、嫁に対する最後の嫌がらせだろうと美智子さんが言った。
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