三 「君がそこまで言うのなら」22

1/1
前へ
/185ページ
次へ

三 「君がそこまで言うのなら」22

 あの日から祖母の家がみんなの居場所になりました。  みんな、祖母のナポリタンやオムライスが好きで、なにか良いことをすれば、ご褒美に料理をしてくれた。みんなが、放課後までがまんをすれば、またばあちゃんの料理が食べられる。生きていればおいしく食べられる。そんな楽しみが私たちを生かせてくれた。ひとつの本能が生を保たせてくれたんだ。  みんなで飯をほおばっているとき、祖母が言ってくれたことを今でも覚えています。 「人生で一発逆転なんて考えちゃいけないよ。人生はこつこつ働いて積み重ねるもんだ。一生懸命努力して辛抱強く生きなさい。人様に迷惑をかけていなければそれでいいんだ。いいかい、これだけは忘れちゃいけないよ。あんたたちの人生は無駄じゃないんだ。あんたたちが生きてきた経験は、いつかきっと人様の役に立つ日が来る。もし、同じような生き方をした人がいたなら、家族の愛情を知らずに生きてきた人がいたなら、今の経験を生かして、その人の存在を理解して、その人の支えになってあげなさい。そうすりゃあ、人のために存在する自分になれるんだよ。いいね」  ありがたい言葉でした。  祖母は来るものは拒まずで、ずっと友を見守ってくれた。私も含めてみんなには母のような人です。  他人には、だらだらして、ぐずぐずして、やる気がないように見えても、みんな、心の中では葛藤(かっとう)していたんだ。沼に足を突っ込んで、なかなか抜け出せない状況で、もがき続けている。今の自分をなんとかしたい。なんとかしなければいけない。ずっとジレンマを抱えながら上を見て、光を目指して、がんばりたいんだ。と心の中に小さな光の種を持ち続けている。祖母はそう理解して、見放さずにいてくれた。祖母の人柄が未熟な俺たちの生きる糧になった。人生を簡単に捨てちゃいけないと教えてくれた人だと語ってくれた。  私は改めて美智子さんを尊敬した。  若者にも信頼される年配者がいること。  世代を超えて伝えられることができる人。  小さな身体だけれど、彼らには大きな存在であったこと。  美智子さんのような人に出会えた彼らは幸運で幸せなことだと思った。  あの頃の話はこんなところです。杉田さんはどんな出来事でも声の調子を変えず、冷静に淡々(たんたん)と話を進めた。  私はコーヒーを一口飲んで喉を(うるお)した。
/185ページ

最初のコメントを投稿しよう!

93人が本棚に入れています
本棚に追加