9 悩ましい熱

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9 悩ましい熱

 押し当てたものの、どうしていいか分からずアイユーブは小さな舌先でダグワースの唇を探り、仔猫のようにぺろっと小さくひと舐めした。それでも固く閉ざされた唇は招いてくれない。仕方なく唇をちゅっちゅっと押し当てて舐めるのを繰り返したら、あの果実のように艶やかな虹彩を暗い色に染めたダウワースが漸く僅かに唇を開いてくれた。  ほっとしたアイユーブは震える唇を押し当てながら、遠慮がちに口内に入れてもらう。  ゆっくりと差し入れた舌がダウワースの大きく滑らかな舌に迎え入れられ絡まされた時、粘膜同士が触れ合う心地よさに身を震わせ、思わず自分の方から治癒の力を送り込んでしまった。するとそれを合図と感じたようにダウワースが馬車の座面にアイユーブを押し倒してきた。上等な馬車だがそれでもギシギシと振動が背中に伝わる。たまにふわっと身体が浮く中ダウワースが吐息すら奪うように唇を合わせてくる。 (これが治療? こんなに熱くて、悩ましくて、狂おしいものが?)  ダウワースはこれまでも自分自身の熱を冷え切ったアイユーブに移すようにして触れてきた。これはその最たるものだろう。  口内に溢れてきた蜜を再び飲み干すと、アイユーブの小さな白い顔中に口付けてダウワースは満足げに微笑んだ。 「アイユーブ、上手に飲めましたね?」  そんなに嬉しそうに褒めないで欲しい。どんな顔をしていいのか分からなくなる。  上手に息継ぎができないでいたアイユーブは頬を上気させ、はくはくと何とか息を整える。乱れた服の裾から白い脚を覗かせた姿は艶美で、ダウワースは己の欲をぐっとあおられそうになる。師の背に手を入れて抱き起すと、乱れ切った彼の身支度を丁寧に整えてやった。そのまままた背中に周った剣士の太い腕が、アイユーブを腕の中に閉じ込める。ダウワースの心音も少しだけ早鐘を打っていることが、アイユーブに無邪気に嬉しかった。 「ダウワース」 「なんですか?」 「呪った相手の心当たりって程じゃないんだけど」   そのままの姿勢で話し出す。呪った相手の心当たりというほどのものではなかったが、思い返してみたら気がかりなものがあった。  一昨日いつも通り診療所に届いた近所からの差し入れの中に綺麗な包み紙の菓子が入ったものがあったのだ。珍しいなと思ったが、たまにこういった気の利いた差し入れがないわけではない。一つ摘まんでみた砂糖菓子は薔薇の香りがついていて美味しく、残りはみんなで分けるといいよと篭ごと近所の若い娘や子どもたちに渡したのだ。  その後で籠に手紙が入っていたとその中の一人が翌日に気がついて持ってきてくれた。 差出人に心当たりがなく、アイユーブはその手紙を開封することもなく診療所に置いたままにした。だから手紙を読んだら相手の意図が分かるかもしれない。 「ってことがあって」  ダウワースはあからさまに大きくため息をついた。 「どうしてそんな大事なことを先に言わなかったんですか」 「近所から差し入れがあるのはいつものことだし、皆に渡す前に俺が毒見したけど普通の菓子だったし」 「貴方が気づかない程度の微力な魔力の込められた菓子だったんでしょう。そもそも魔素の多い食物もありますし。一度食べたら数日身体に効力が残るような。相手はそれを的にして窓から貴方に呪いを放てたんですよ」 「え!」 「最近ではわりとよくある手法です。貴方が引きこもっている間に呪いも日々進化してるんです」 「俺が菓子を食べなかったら呪われなかった? 窓を開けなかったら?」 「その時は手段が変わったでしょう。どちらにせよ、貴方のその無頓着で不用心が招いたことです」  母親がめっ、と我が子を叱るような顔つきになったダウワースに、アイユーブは面目ないと項垂れてから、男の腕に身体を預けて胸元に恥ずかしそうにすりりっとしている。 (なんて可愛いんだ)  直接本人に面と向かっていってやりたい。それなりに年上の男なのに、貴方はなんでそう無防備で可愛らしくてたまらないのですかと。  最初は通いの師と弟子の関係で、徐々に距離を縮めて非番の日には泊まり込むようにもなった。朝な夕なにあれこれと世話を焼き、治療のため右足の古傷にも触らせてもらえるようになった。そして今は腕の中で身体をくたりと預けられ抱きしめることができている。  ダウワースは初めて出会ったあの日からずっと変わらずに焦がれてきた相手がやっとこの腕の中に閉じ込められた感慨に浸っていた。  だがまだ彼の気持ちを聞いてはいない。あれほど早く解呪させたいと騒いでいたアイユーブが、スィラージュの提案を受け即決しなかったことは褒めてやりたかったが、完全にその可能性を捨てたわけではなく保留にしていることに、ダウワースはずっと苛立ったままだった。  だがダウワースも狡いのだ。彼に自分の思いを告げる前に、師の気持ちを聞いてみたい、もしかしたら彼が自分を選んでくれるのではとそんな風な期待をしてしまう。 (俺を選んでくれ。アイユーブ。一生大切にするから)
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