9 悩ましい熱

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「それでどうするんです?」 「……」  答えが聞けぬまま、馬車は診療所のある路地の手前の道にたどり着いた。  診療所まで着いたら漸く曇り空の間から傾いた陽が射しこんできた。すると路地の奥で、やたらと煌びやかな人の姿が見えた。  周りには人だかりができていて、なにやら手に持った菓子や花を配っている。  やたら派手な金髪に異国の貴族でも身に着けていそうな優美な白いハットをかぶり、身に着けた上着もズボンも白。金糸の縫い取りがやたらに華美で、その上腰まである長い金髪だ。 「なんだ、あいつ」  思わず日頃の丁寧な口調さえ吹き飛んだダウワースの二の腕をアイユーブが痛いほどに掴んで、信じられない相手の登場に目をまん丸に見開いた。 「おお! 帰ってきたのかい? 我が愛しいアイユーブ。えらく愛らしい恰好だねえ。よく似合っているよ」 「ジャルダン! そこで何をしているんだ!」 「やあ、この間手紙で君に帰国の挨拶をさせてもらったはずだがね? 今日は君がお世話になっている街の人たちにご挨拶を。そしてここはもうすぐ閉鎖するというお詫びを」 「はあ?」 「アイユーブ、知り合いなのか? お前、何者だ?」 「これはこれは、貴方こそ何者です?」   ジャルダンと呼ばれた男がアイユーブに近寄ってくると皆がすっと潮が引くように道を開けたので、ダウワースは師の姿を背に隠し、彼の前に立ちふさがった。 「どきなさい知らない貴方。私はアイユーブに用があるんです」  ダウワースはもちろん動かない。  そうこうしている間にも見知った街の人々がわらわらと二人の元にやってきて『診療所を畳むって本当か?』『そのドレス綺麗!』『婚約者だって本当か?』などと口々に騒ぎ立て、収拾がつかなくなってきた。  あまりに人の目が多くて仕方ないため、二人はやむなく診療所を開いて男を中に招きこんだ。  広くもない診療所の待合室に佇む、相手の男から感じる魔力は中々のものだ。  佩刀しているところを見ると魔道騎士なのかもしれない。ダウワースは無意識に腰のものに手をかけた。男は狐のような目を細めて、ダウワースに一瞥をくれたが、興味がないといった感じにすぐに反らす。  ダウワースよりも高位か同じくらいの相手は大体顔見知りであるが、こんなにも目立つ男の顔を思い出せなかった。 「こいつは元神殿護衛騎士団にいた奴だ。治癒騎士は他国で要人警護に引く手あまただから報酬に惹かれて引き抜かれるやつも多い。こいつもずっと外国にいたはずだ」 「その通りですよ。十年ぶりに戻ってきたら、貴方は神殿にいない。当の昔に怪我をして治癒魔道騎士ではなくなったというじゃないですか。神子様の騎士なのに、怪我を綺麗に治せなかったのは妙だと思いましたけど、理由を聞いて納得しましたよ」 「……」 「ようやく探し出したらこんなみすぼらしいところで診療所をしているというし」 「みすぼらしくて悪かったな、誰にこの場所を……」  そう言いかけてアイユーブはある疑問に行き当たる。ダルジャンはだれにこの場所を聞いたのだろうか。アイユーブがこの場所にいることを知る者は数えるほどしかいないのだ。そして事情を知る者も。 (まさか、な?) 「だから昔のよしみで、私と共に貴族専門の治癒師になりましょう? 貴方のその腕をこんなところでなまらせて置くのは宝の持ち腐れですし、私ももうそろそろ命のやり取りをするのにも疲れてきました。この国でゆっくりと仕事をしようかと帰国したところです」 「だからそれでなんで、俺にあんなわけわからない呪いなんてかけたんだ」 「手紙を読んでいないのですか? 可愛がってあげた弟分が、私が国を去った後あんなことになって、私も胸が痛いですよ」 「煩い」 「貴方がまだあの方のことをお慕いしているのならば、私が忘れさせてあげて、貴方の罪の証の傷ごと癒してあげるのが昔なじみのよしみでしょう?」 「余計なお世話だ」 「意地張らないでください。こうまでしないと貴方、こちらに側に戻ってこられないでしょう? これでも色々考えたんですよ。貴方が私のものになれば、もう誰からもああだこうだと文句もいわれないでしょうし、解呪しないとそんな一時の治癒如きでは声は取り戻せませんよ。治癒の力も制限されます。いいんですか?」 「俺を脅すのか?」 「脅していません。こんなところ貴方に相応しくない。貴方を元居た場所に引っ張り上げようとしているんですよ」 「うるさい! それこそ余計なお世話だ」 「それにあの方に愛された貴方を手に入れたら、私にも神のお慈悲が沢山巡るでしょう?」 「黙れ! ジャルダン! いっていいことと悪いことがある!」  そう叫ぶとアイユーブの小さな身体がダウワースと男の前に飛び出してきた。  びりびりっと空気が振動し、アイユーブの髪が風に舞うように逆立つ。スカートの裾が大きく広がってゆれ、足はさっと開かれてやや腰を落とし地面を力強く踏みしめている。天井に向けた両方の掌から金色の眩い光が溢れてきた。それはうねる蛇のような形の鞭となって、空気を焦がした音を立て、じゅ、じゅっと舐めていく。怒気を孕んだその姿は戦う男のそれといって相応しい。ダウワースは一瞬、彼の鬼神の如き姿に見惚れた。 「ああ、美しい。やはりお前はそうしているのが相応しいよ」   ジャルダンの周りにも青みを帯びた銀色の光の網が現れる。まるでそれは蝶を絡めとる蜘蛛の巣のようだ。 「仕方ないじゃじゃ馬ですね。掴まえて連れ帰るのに骨が折れそうだ」  放たれた光の網をアイユーブの掌から目にも止まらぬ速さで打たれた金色の鞭が切り裂く。だがジャルダンも目を炯炯と光らせたまま、次々に網をアイユーブに向けて放つ。  短い間に目が眩むほどの応戦が繰り広げられたが、アイユーブの右足が踏ん張り切れずに僅かに姿勢を崩したその瞬間。ジャルダンが高笑いをしながら投げてきた網をくぐって放たれた、闇夜よりなお黒い塊がジャルダンを襲った。 「失せろ! この人の傷を癒すのは俺の役目だ!」  ダウワースが右手を構えたまま、そう叫んだ瞬間、ジャルダンの姿は煙のように跡形もなく消え失せた。
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