4 呪い

1/1
73人が本棚に入れています
本棚に追加
/25ページ

4 呪い

 自分で自分の喉の辺りを締める仕草と、口をぱくぱくさせ開け閉めを繰り返し、身振り手振りで伝えてみる。何となく伝わったようで、青ざめたダウワースがアイユーブのほっそりした顎をグイと掴んで、無理やり口を開かせてきた。 (いて、いててて。乱暴がすぎるだろ!)  ダウワースの広い胸を平手でばしばしと叩くが、筋肉が発達した胸筋は思いのほか良い弾力でアイユーブの抵抗を飲み込み無効化した。 「舌を出して。それからえーっと声を出して下さい。喉の奥を開いて」 (? えーっ)  アイユーブが桃色の小さな舌をだして、出来るだけ大きく口をあけると、弟子は太くも形良い眉を顰め、真剣な眼差しでアイユーブの喉の奥を目を眇めて覗きこんできた。 「師匠、呪いを受けましたね? 喉の奥に魔力の淀みが見えます」  流石現役の魔道騎士。一発でこの状況を見抜いたらしい。 (そうそう。流石。我が弟子)  などと普段の調子で揶揄いたかったが、いつになく剣呑な表情を浮かべた彼にそんな軽口叩けないし、実際声が出ない。 「昨日は日中おかしな来訪者は特にいなかったはずですが」  確かに昨日の昼間はダウワースもずっと診療所に詰めていて、アイユーブが声紋魔法を使って施術する様子を学び、自分も簡単な怪我の施術を行っていた。  こくこく。 「いつ声が出なくなったんですか? 眠りにつく前は普段通りでしたね? 今朝ですか?」  こくこく。 「そうですか。では就寝時を狙われたんですね」  こくこく。  ひたすらわざとらしく大きな動作で頷くしかできないのが恨めしい。  顎にかけていた手を解き、ダウワースはアイユーブのほっそりした上半身を我が身で包み込むように強く引き寄せてきた。その仕草に驚いて身を強張らせてしまう。   治癒魔法は施術の時に声紋魔法で対象者の意識を穏やかに保ち、対象者が自分の内なる魔力を使って治せるようにと導く。そこにつぎ足すように施術者の治癒の魔力を流して癒していく。だから弟子とは練習の為、互いの身体に触れ合うことは日常茶飯事だ。  しかしこんな風に抱擁されたままになるのは初めてでアイユーブは目を白黒させてしまう。  ダウワースはアイユーブの肩に額を打ち付けるように乗せた後、切なげに耳元で囁く。 「師匠。申し訳ありません。貴方が眠った後、俺が詰め所に戻っている間にきっと何者かが貴方に何らかの方法で呪いをかけたのでしょう。扉と一階の窓には俺以外には開かないように進入禁止の魔法を掛けて出ました。でも貴方が自ら開けてしまった窓まで気が回らなかった。そこから遠隔で呪われたのか。俺の配慮の至らなさです」  彼のこれほど苦し気で後悔の滲む声をアイユーブは初めて聞いた。  文武両道、数種類の魔法を使い分けられ、いつでも若さゆえの自信と余裕に満ち溢れている出来すぎた弟子は、物事にあまり動じることはないのだ。 (進入禁止魔法って、こいつそんなことまでしてたのか。俺は王宮の姫君じゃないぞ)  アイユーブはこれでもそこそこ物騒な平民街で十年近く一人暮らしをしてきたのだ。もちろん商家街の向こう、港近くの街よりこの辺りはずっと治安も良くて、危ない目に遭うことなど本当に稀だったが。酒場ですら、いざこざに巻き込まれることもない。それにアイユーブは田舎から出てきた魔力だけが飛びぬけて強くて、他は何も持たない五男坊。ご丁寧に守ってもらうような尊い身体でもない。 (お前のせいじゃない。窓の前には木もないし、こんなところから侵入できる奴はそうそういないから。そもそもうちには金目のものはない)  そう言いたかったがまたも伝えられず、焦れて歯がゆい気持ちになる。 (自分で自分に治癒魔法が使えたと思う瞬間だよな)  自分自身には治癒魔法が使えないのは魔法使いの間では一般的な常識だ。破格の癒しの力を秘めた神子様ですら、ご自身を癒すことはできない。そのため神殿には神子様に不測の事態が起きた時の為に多くの治療師が働いているし、身を護る神殿付きの騎士は希少な治癒魔法を使える者が務めるのが決まりだ。  久々にそのことを思い出してアイユーブの胸が、刺さったままの棘があるようにツキンと痛んだ。  ダウワースが抱え込んでいたアイユーブの小柄な身体を胸元から僅かに離すが、背中に回した腕は力強くアイユーブを抱き止めたままだ。  腕の中から上目遣いに見上げれば、いつでも冷静な弟子の瞳の奥に言い知れぬ苛立ちが見て取れた。年齢相応の顔もするのだな、珍しいなと思う。弟子はしっかりとアイユーブと視線を絡ませながら、年齢よりずっと落ち着いた低い声に悔しさを滲ませる。 「誰が優しい貴方にこんな酷い嫌がらせをしたんだ。俺が必ず報いを受けさせてやる」  弟子の黒い瞳に宿る熱が、何故だかアイユーブを落ち着かない気持ちにさせた。 (お前のせいじゃないよ、ダウワース)  そう言いたいのに、言葉が出ない。困った顔のままおずおずと手を伸ばし、ダウワースの頬に掌をそっと沿わせたら、青年はその手の上から自分の手を重ねて頬ずりしてきた。  その掌がすごく温かく仕草も情熱的で、アイユーブはびくりと僅かに身をすくめて反射的に我が身を離そうかとしたが、背中に回ったダウワースの手にそれを阻まれる。 「師匠。俺が心眼鑑定して術図を開きますから、一週間お時間をいただけますか? 俺にこの呪いを解かせてください。必ず貴方の大切な『声』を取り戻して見せます」  どうやらダウワースほどの実力者でも術図を開いて相手の呪いの根源を突き止めるまで、それほど時間がかかるようだ。アイユーブは顎を上げたまま弟子を見つめてゆっくり首を振る。 (気持はありがたいけど、解呪は自分でしないとまずいだろ。人の呪いの解呪なんて手伝うだけでも碌な目には遭わない。お前にそんなことさせられない) 「ですが」  ダウワースは治癒師の修行をするためにここに期限付きで来てる。早く学び終わって騎士団に帰りたいのだろう。弟子の見せた焦りや悔しさをそんな風に理解したが、彼が傍にいる生活にすっかり慣れてきた身としては胸の辺りがもやもやと塞ぎ寂しく感じた。  一人は気楽だと思って生きてきたが、そんな風に感じた自分を少し意外にも思う。だがそれはきっと一時の感傷にすぎないだろう。自分には誰かと共に生きる資格なぞないと、アイユーブ自身がよくわかっている。 「感傷に囚われている場合ではない。そんなことより解呪する方法を探すのが先だ。それで、俺、スィラージュのとこにいって心眼鑑定してもらおうと思うんだ。あいつならどんな呪いでも一発鑑定できる」 「俺に任せてくれますよね?」  しかし的外れな受け答えをされ、ぱくぱく、はくはくと口を動かすが、流石にうまく伝わらない。 『そうじゃなくて、解呪師のスィラージュのとこに。あいつは俺の従兄弟だし、心眼鑑定頼んだって、どこにも漏れもしないから』 「魔法決闘」は自分で解決できなければ解呪師に呪いを解くことを頼むことになるが、その場合は魔法使いとしての順位が著しく下がる。心眼鑑定を受けただけでも解呪師にそのことを垂れこまれたら、そこそこ下がる。となると解呪師に口止めも兼ねた破格の金を積まねばならぬが、アイユーブにはそんな金を工面することはできない。そこで融通の利く、従兄のスィラージュの出番というわけだ。  今更、順位に未練はないが、逆に順位が一度でも下がればそれに乗じてアイユーブを噛ませ犬のようにして次々と我が身の順位を上げるために決闘を挑んでくる者が後を絶たなくなるかもしれない。それは穏やかな生活を望むアイユーブにとって、想像するだけで非常に面倒な事態だと感じた。 (ああ、どうやって伝えるか。紙に書くか)  彼の腕を抜け出し紙を取りに行こうとしたが、弟子はまだアイユーブを抱きしめたまま離そうとしない。彼にしては珍しく気持ちが乱れた表情で眉根をぐっと狭めている。苦悩する表情も色気があって男前なもんだとアイユーブが呑気に感心していたら、再び顎をちょっと強めに掴まれる。 「ああ、埒があきませんね。師匠、もう一度口をあけて。舌をべーって出してください」  アイユーブは彼に日頃から甲斐甲斐しく世話をしてもらっているので今更恥じらいもへったくれもない。 (はいはい。べーっ)  大きな眼をすうっと細め、アイユーブは素直に口を開ける。じっと見つめてくる彼と視線を合わせながら素直にべーっと桃色の舌を突き出す。それは本人の意に反し、思いのほか色っぽい顔つきになった。ダウワースは師の思いがけぬ媚態に一瞬うっと怯み目の色を変えたが、アイユーブは気がつかない。ダウワースは急くような仕草でアイユーブの小さな後頭部を掌だけでがっしりと鷲掴みしてきた。 「……っ!」  小さな口元。唇全体をふわっと柔らかなもので覆われる。  それが弟子の唇であることに気がつき、アイユーブは蜂蜜色の瞳を溢れんばかりに見開いた。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!