5 治癒の口づけ

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5 治癒の口づけ

(ひー! 何するんだ。こいつめ!)  慌てふためき差し出していた舌を引っ込めようとしたら、長く分厚い男のそれに咎めるように捕らえられ、挙句じゅっと吸われる。 (ダウワース!)  逃げようと引いた腰をさせぬとばかりに引き寄せられ、頭をがっちり固定されたまま今度は口内を一杯に塞がれるように奥まで侵入を許してしまう。上顎を舌先でそよがされたら、長く忘れていたゾクゾクとした感覚が下腹部までびりりっと降りてくる。距離を保とうと男の逞しい胸板に立てた手は、いつの間にか縋るように震えていた。  一瞬だったのかもしれないし、結構長い間だったのかもしれない。  頭の中がぼうっとしてきたのは呼吸することを忘れていたから、それとも急に与えられた快感に頭の芯が痺れるほどに感じてしまったからか。  苦し気に薄い色の眉を顰め悩ましい表情を晒したアイユーブに、ダウワースはふっと少しだけ笑ったような吐息が漏らす。  弟子が唇を離す素振りを見せたので安心し、心地よさに男が背を支える腕に身を任せた時、急にダウワースがアイユーブを仰のかせ、ぐっとさらに唇を押し当ててきた。  その拍子に口の中に溢れたどちらとも分からぬ絡まる蜜を、アイユーブは思わず啜って飲み込んでしまった。  こくんっと飲み干すそれは不快ではない。鼻に抜ける香りは王都の洒落た紳士が嚙み潰すスホの実の清涼感あるそれだった。  ふにゃりと身体の力が抜け、アイユーブが弟子の顔を溶けだした蜂蜜のような潤んだ瞳で見上げると、弟子の通った鼻梁や男らしく厚みのある唇が近づいてきて、アイユーブはきゅっと反射的に瞳を瞑ってしまった。  再び落とされる唇。アイユーブの唇の端に伝っていた雫を拭うように、もう一度口付けられるとそれはゆっくりと離れていった。  ダウワースが微笑んだ気配に、アイユーブははっとして正気に返り、くにゃくにゃの身体のまま弟子を小さく睨みつけた。 「だうわーず、おまえ、きゅうに、なに……、あーあーあーあー。声が!」 「喉に直接癒しの魔力を注ぎ込みました。少しの時間はこれで保てると思いますが、効力が切れたらまたしましょう」  弟子の表情はいたっていつも通りの端整さで、慌てている自分の方が猛烈に恥ずかしくなった。 (治癒目的の口づけ。そりゃそうだよな)  アイユーブの雪のように白い頬から耳の先までみるみるうちに真っ赤に染まった。 (ああ、恥ずかしい。なにへんな想像しちゃってるんだよ。こいつが親切なのは今に始まったことじゃないだろ? そもそも診療所に来る街のみんなにも、いつだって優しい)  てっきり弟子が自分に好意を抱いてくれてこんな大胆なことをしでかしたのかと思ってしまった。それでなくともあれこれと世話を焼いてくれる青年のことを、アイユーブだってそれなりに可愛いなと思っている。故郷で見かけた野性の狼みたいに図体がデカくてもだ。  それを口に出しては許されぬことで、自分の中に留めておけばよい感情であることも重々承知している。  まだ心臓はばくばくといって、目元にはいつの間にか涙がにじんだままだった。  アイユーブは泣き笑いのような表情で、ダウワースの顔を一生懸命首を反らし見上げて微笑んだ。 「そうだよな。うん。そりゃそうだ。すまないな。着替えをして朝食をとったら、スィラージュのとこにいって手っ取り早く心眼鑑定して貰ってくる。後はあいつと相談するから、お前は当分騎士団に戻っているといいよ」 「スィラージュ殿、ですか?」  アイユーブは怪訝な表情を浮かべた弟子からきまり悪そうに目を反らし、彼の鎧を着こんだような頑健な肩を、ぱんぱんと小気味よく叩く。 「金なら心配するな。あいつと俺は親戚なんだ。多分、きっと割引してくれる」  そうしていつもとは一味違う、二人の間に思いがけず漂った甘く切ない雰囲気を一掃しようとした。
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