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「お前の力を信用していないわけじゃない。俺だって自分でやったらお前と同じくらい解図に時間がかかると思う。それだと診療所をその間ずっと閉めないといけなくなるだろ。でもスィラージュならあっという間に解ける。お前が折角俺なんかのところに弟子入りしに来てくれてるんだし、長引かせて騎士団に迷惑かけるわけにいかないからな」
気遣っていったつもりなのに、弟子は深く傷ついた顔を見せた。
年下の騎士は己の力にきっと自信があるのだろう。
そしていつでもアイユーブを気遣ってくれている温和な男だから、きっと人の役に立ちたい気持ちが人一倍強いのだと思う。
そんな姿は十代の頃、主の為に一生懸命尽くそうとしていた己の姿を彷彿とさせてアイユーブの心の古傷をまたじくりと疼かせた。
「いいえ。貴方を一人でなんか行かせられません。俺も一緒に行きます」
「いや、いいって。昨日の夜も詰め所に戻ったってことは、お前がしなきゃいけない作業が山ほどあるってことだろ?」
ダウワースが貴重な治癒魔法の使い手となることが騎士団にとっても有益であると理解はされている。だが騎士としての仕事をそれなりにこなしながら、非番や休暇や当直明けの時間を使って自分に師事してきているのだ。ダウワースは疲れた顔一つ見せぬが、いつも多忙なのだ。
そして彼に与えられた習得までの期限は一年。元より治癒魔法の才能がないと難しい期限だ。
弟子は再びアイユーブの腰を抱く手に力を込めて再び師を引き寄せると、少し怖ろし気な表情のまま深くため息をついた。
「貴方はここに引きこもってばかりでろくに最近の王都を歩いていない。貴族街にほど近い方の商家街なんて、行ったこともないでしょう? 大体乗合馬車に乗ったことあるんですか? どう乗り継げばいいのかも分かりますか?」
「乗合馬車ぐらい俺だって乗ったことぐらいある。かなり、ずっと前だけど」
王都の中は魔法で品種改良された馬力の或る馬が引く乗合馬車が主要な道々に走っている。それにアイユーブが乗ったのは当てもなく彷徨ってこの街にたどり着いた時以来かもしれない。
「貴方が引きこもっている間に、王都の中も大分様変わりしているですよ」
「ううっ」
確かにこの十年。アイユーブはこの界隈に引きこもってばかりいた。
平民街にも市場は立つ。だからわざわざ流行の先端を行く商家街まで買い物に出かけたこともなければ、貴族街を訪れたことも人生で数えるほどしかない。その先の王宮もさらに先の神殿も記憶すら朧げなほどだ。
なんでダウワースは俺がこの街に引きこもってたって知ってるんだ? とやや疑問に思ったが、この半年の師の質素な生活ぶりをみてそう感じたのだろうか。
「スィラージュ殿の元にたどり着く前に時間切れになり、また声が出なくなったら人にものも尋ねられない。それでは困るでしょう? それに俺が心配で仕事に手がつかなくなる。だから同行を許してください」
自信満々の男にそんな風に下手に出られたら堪らない。断ることは流石にできなかった。なにより商家街に精通したダウワースを連れていく方が何かと便利なことは分かっている。
「分かったよ」
「師匠。ありがとうございます」
そう言ってダウワースは青年らしい明るい表情で微笑んだ。
いつも落ち着き払っているこの弟子のこれほど嬉しそうな笑顔は貴重だ。
アイユーブもこの状況を忘れてにっこりと微笑むと、彼は僅かに目を見開き、先ほどよりさらに押しの強い弟子はもう一度強く抱きしめてきた。
「大丈夫ですよ。アイユーブ。必ず、『声』を取り戻しましょう。俺が貴方に呪いをかけた相手を生かしておきません」
至極穏やかな声で物騒な台詞を吐いてくる。
背中を宥めるように摩られて、先ほど綺麗に解かれた髪にも指が通る気配がする。アイユーブはもう、弟子のいいように触れさせておいた。
これではどちらが師匠だか分からないなあと思うと同時に、『こいつ、こんなにべたべたしてくる奴だったかな?』と不思議に思った。
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