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6 解呪師、スィラージュ
「こりゃまた厄介だね。アイユーブ。お前たいそうな呪いかけられたもんだね」
自分とよく似た銀髪の男はそう言って、子どもの頃によくしてくれたようにアイユーブの頭をぐしゃぐしゃっと撫ぜた。
その親し気な仕草に椅子に腰かけたままのアイユーブの後ろに立つダウワースはぴくりとこめかみを僅かに震わせたが、すぐに澄ました顔に戻って問う。
「もう解図出来たんですか?」
二人がスィラージュの元を尋ねてから先客が帰るまで待たされた部屋にいたのが半刻程度なら、術を解くのにかかった時間はさらにその半分にも満たない。
「私を誰だと思っているんだい?」
(これが王都随一の解呪師、スィラージュ)
ダウワースは飄々としたその男の力に驚嘆した。
一見すると商家の若旦那のような優男だ。いつでも笑みを湛えているような色付き眼鏡の中の細めた目はアイユーブにちょっかいを出した後、さらににやにやと細められてダウワースの反応を見て面白がっているようにもみえる。
(苦手な部類の男だな)
と本能的にダウワースは彼をそう評した。
そして自らの中の『敵か味方か』と書かれた箱の『敵』の方に放りこむ。
勿論『味方』箱より一番大切にしている『宝箱』に入っているのは言わずと知れた人物なのだが。
「まあ、平民街に引きこもってるお前が、なんとかここまで辿り着いたのは上出来だな。なあ、騎士様。アイユーブのお世話は大変だろう?」
そういってまた男がアイユーブの小作りな顔の柔らかい頬を指の腹でなぞり、続けてほっそりした首元に指を這わせた。他の男がアイユーブを撫ぜまわすことは不愉快だったが、喉の辺りの魔力の歪みを確認しているのだろうとダウワースは分かりやすい挑発には乗らなかった。
「ダウワースに案内して貰わなくたって、これだけ派手に主張してる建物。俺にだってたどり着けるよ」
大抵の解呪師はその仕事の性質上、依頼主と秘密のやり取りをして目くらましの魔法がかけられた自らの屋敷にひっそりと暮らしているらしいが、派手好きで街中の喧騒を好んでいるスィラージュはその限りではない。
入り口からしてけばけばしい紫色と赤の布が風もないのに常に激しく揺らめく装飾を施された石造りの館。
魔力の少ない若い娘相手の、お遊びのような『占い師』の住処か、あるいは数多の美姫を侍らかす高級娼館か。
そんな妖しげな外観の建物は商家街で浮きまくり非常に倦厭されている。
実は近くにいくつも店をもつダウワースの父が『品性を疑う』と零していたが、何しろあまりにも腕が経つ解呪師なので誰も逆らえない。
だがダウワースは気づいていた。おそらく彼の師も。
相手の攻撃魔法を吸い上げる『結界石』で作られたこの建物。
悪意のあるものはこの館に入ることはおろか近づくことすら出来ないだろう。
さらに首筋にぴりぴりと伝わる緊張が無くならないのは、今現在もこの場所を常に見張っているものがいるということだ。それも複数。万全の状態で主を護っているのだろう。
魔法使い同士が魔力で決闘することは奨励されているが、それ以外の人間を呪うことは表立っては禁止されている。だが蛇の道は蛇。それを闇で請け負う者たちに魔法使いでないものが呪われることもあり、その場合は解呪師が一手に引き受けて呪いを解く。
これが濡れ手に粟の商売らしい。事実、ダウワースの父も何度も彼に助けてもらったことがある。
一見美味しい仕事だが、一方で解呪師の仕事は毎回命懸けだ。逆恨みをして解呪師が殺害される事件も後を絶たない。そのためいつの世も解呪師はざりざりとこすれるように目減りしているのだ。
だからスィラージュが二十年近く不動の一位を保ち、逃げも隠れもせずにこの場所にいることは驚異的で、だからこそ食えない。
(まさか師匠の従兄とは想像もつかなった。確かに言われてみると髪の色と瞳の色がそっくりだ)
顔立ちはアイユーブの方が柔和で女性的な雰囲気だからあまり似てはいない。
だが纏う色彩が似通っていた。一族には少なくはないとアイユーブが言う銀髪は王都では珍しい。それ以上に希少なのはその瞳だ。琥珀色より薄く、蕩けるような蜂蜜色のアイユーブの瞳は陽の光が射すと甘く煌きダウワースは度々見蕩れてしまう。
初めて見た時はその髪色と相まって天使が自分を迎えに来てくれたのだと思ったほどだ。
一方眼鏡の脇から見えるスィラージュのそれはどちらかといえば青みがかって血の気が通わず冷淡な印象を与える薄黄色。年齢不詳で酷薄な表情とあいまって爬虫類の、もっと言えば冷血なドラゴンのそれにみえる。
「もったいぶらないで俺にかけられた呪いの解き方教えてよ。相手も誰だかわかる?」
「相手が誰かまで聞いたら、大分金をとるけど? お前支払えるのか?」
「げっ。親族のよしみで助けてくれないの?」
「私が日頃一体幾らで依頼を引き受けてると思うんだ。お前のあのちっさい診療所を売っぱらっても到底足りないぞ」
「ううっ」
甘い考えでいたアイユーブ越しに、スィラージュは細い眉を吊り上げ悪辣な笑みを浮かべる。
「それともそっちに立ってる、セドゥナ商会のご令息が肩代わりしてくれるのか?」
「ダウワースには関係ない。俺は騎士団からこいつの身を預かってるんだ。相手は誰だかはもういいから、解図した呪いの返しの方法を教えてくれ」
ダウワースはこうもきっぱり師匠に関係ないと言い切られ内心気落ちした上、「だってよ?」といった感じににやけてこちらに目を合わせてくるスィラージュが不愉快で堪らない。
ぎろりとダウワースがスィラージュを睨みつけると、トカゲのように底知れぬ冷たさを含む瞳がきらりと光った。
「いいだろう、教えてやる。お前のその『発声禁止』魔法の解呪の仕方はこれだ。『雌イキ三回連続』」
「は?」
そのあまりに下劣な言葉に、師弟はそろって我が耳を疑った。
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