第1話

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第1話

 ビアンカ・スワン中尉は、ぼんやりと取り留めのない想いに耽っていた。活動的で闊達な常の彼女には、ついぞ考えられないことだ。しかし、ブラック・イーグル作戦で民間人を殺傷してからと言うもの、拭い去ることのできない罪悪感に折に触れて苛まれる。  それはふとしたきっかけでフラッシュバックするのだった。今のように急を要する作戦行動のブリーフィングの最中にも容赦なく襲ってくる。すると、耐えがたい辛い思い出から意識を逸らせようと、脳が勝手に思考を紡ぎ出すのだった。心の防御反応なのである。 「砂漠地帯のこの街は、長引く紛争のただ中で荒廃の一途をたどっているわ。和平交渉が行われ一時的に戦火が止んだかと思えば、復興のさなかに再び内紛や外圧をきっかけに新たな紛争が勃発する。その繰り返しが、過去一世紀以上も続いている・・・」  ビアンカには、作戦行動だったと言い訳できない弱みがあった。新人類の秘密を守るために、非人道的武器を投下して民間人を犠牲にした(*)。その事実から目を背けたい一心で、貪欲で狂気に満ちた現実に責任転嫁したくもなる。 「世界の超富裕投資家たちは、金融機関やメディアや軍事産業を支配してきた。あの者たちのロビイストと化した政治家や高級官僚は、外交手段や諜報機関を介して、民族や宗派の違いを扇動、内戦や戦争を引き起こし、混乱に乗じて豊富な地下資源を簒奪するばかりじゃない!」  軍事行動そのものが、莫大な軍事予算に支えられた武器の売り上げに直結する。元手は国民の血税だから、軍事行動の結末がどちらに転んだところで、投資家や経営者の懐に大金が転がりこむことには変わりがない。復興利権もまた然りで、建築土木部門を抱える巨大な多国籍企業が、金のなる木を求めて暗躍する。 「特権階級意識に染まった冷酷非情な成功者集団は、安穏で贅沢な暮らしを享受しながら、遠い紛争国の資源を簒奪、武器や復興利権に投資して互いに競い合っているんだわ。伽耶が言う通り、それが現実・・・」 「連中は現地を生き地獄に変えようが、自国や同盟国の兵士が犠牲になろうが眉ひとつ動かすことはない。それどころか、己の冷酷非情を強さと正当化して、我こそは勝ち組と奢り高ぶってさえいる。高級スーツを着こんだ教養のある紳士淑女の仮面を被った戦争犯罪者の集まりよ!彼らがこの世の陰の支配者。少なくとも今は・・・」  大量の資金が集まったが最後、構造化した利権は中小の企業群を傘下に巻きこみながら巨大化する。大学や研究所は政府の研究開発助成金を受け取り、メディアは広告費を目当てにその傘下に収まる。  巨大利権の裾野で生活の糧を得ている一般市民が、敢えて反対の声を上げたところで、事なかれ主義の周囲から足を引っ張られて分断させられる運命にあるのだ。軍人とて同様だ。国を守るという大義の裏で、対立する双方に死の商人が売りつける武器弾薬が、職業軍人とその家族らの生活や年金を支えている。  海外での紛争や戦争がなくなれば、投資家たちの法外に贅沢な暮らしも、一般市民や軍人たちの慎ましい生活も成り立たなくなるのである。  かくして、戦争ビジネスは人類の歴史に極悪非道の汚点を刻みながら、延々と途切れることなく続いている。  好戦的で好奇心の強いチンパンジーの脳を受け継いだばかりに、人類は発達した大脳皮質をもっぱら果てしのない欲望の充足に活用してきた。止めどもなく環境を破壊し、地球の先達である他の生き物を好き勝手に大量殺戮するばかりでなく、互いに殺し合いを定期的に繰り返している。 「人類は痛い目に遭って一時は平和を目指しても、世代が変われば元の木阿弥・・・だから私たちは不老を選んだ!教訓を忘れず、身に着けた知恵を失わないために・・・」  ビアンカのハシバミ色の瞳は憂いに満ちていた。 「先があまりに長いわ・・・その間に、超富裕な支配者たちの貪欲と冷血の犠牲となって、おびただしい数の人々や生物が苦しむんだわ!」  科学技術の飛躍的な進歩は、かつてない大がかりな汚染や破壊をもたらし、人類は今や自らを絶滅の淵へと追い詰めつつあった。  便利で快適な人工環境の象徴とも言うべき超高層ビルが林立する大都市は、遠目には醜い巨大墓石群にしか見えない。いずれ人類の墓標として無残に崩壊した姿を晒す日が来るだろう。しかも、それは決して遠い未来のことではない、と感づいている者はまだ少数だ。  自然界に身一つで放り出された時、人類は己が生物学的弱者であると初めて悟る。 「地球上でもっとも脆弱な種でありながら、奇形的に発達した脳と手を活用して科学技術を開発、食物連鎖のトップに君臨してきた。他の生物が持ちえない便利な道具を持ったが故に、人類は生命体としては甚だしい退化を招き、持続不可能な生物種として短い繁栄の歴史に幕を下ろすことになるの?」  と、ビアンカは不意に現実に引き戻された。CDC(**)に足早に入って来た中央統合軍司令官の言葉に我に返った。 * 「ブラック・スワン~黒鳥の要塞~」第6話「貿易商の正体」 ** 空母の戦闘指揮所 (Combat Direction Center)軍艦の戦闘指揮所はCIC(Combat Information Center
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