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想像もつかなかったくらい
小さな部屋には飾り気のない机とイスだけがある。普段は関わりがない演者用控え室――楽屋で、トキオさんの向かいに座っていた。
「ずっと立って見てるの疲れただろ? 飲み物持ってこようか。たしか前室にあったはず」
「僕は大丈夫です。トキオさんこそ、撮影お疲れ様です」
「今日は休憩入るの遅かったから、全然話せなくて悪い」
「いえ、見学させて貰えてすごく楽しいです」
思考や気持ちは忙しなくても、初めて訪れた撮影現場は物珍しく、映像作品ができあがる過程の一部を見らるのは楽しかった。
それに知らなかったトキオさんの役者としての顔や、撮影に臨む姿を知られたのも嬉しい。
「どうだった? ちょっとはどんな雰囲気か掴めたか? もちろん現場で違いはあるけど……」
トキオさんは優しく微笑んではいるけど少し遠慮がちだった。何と答えれば良いのか分からなくて、机の上で手のひらを握る。
いまだ「俳優の恋人」としてどうしたら良いのか分からない。とにかく今日、現場に来て感じたことを話そうと思考を巡らせた。
「トキオさんが言ってた通り、特殊なお仕事だというのはよくわかりました。僕には想像もつかなかったくらい、たくさんの人が関わって、見たこともない機材が使われていて……トキオさんのファンの子ともお話ししました」
「あぁ、お世話になってる方の娘さんらしくて、さっきサイン頼まれたよ」
声をかけられた時を思い出しているのか目元を和らげるトキオさん。
あの子は無事にサインをゲットできたのだなと知り、僕も安心した。飛び跳ねるくらいに喜ぶ姿が想像できる。
そうやって人から憧れられる立場のトキオさん。さっき見たキラキラとした瞳は、数えられないくらいたくさん彼に向いている。
今さらながら、そんな彼と関係を続けるためにはどうしていけば良いのかわからなくなっていた。
「結月は誰か話してみたい人とかいるか?」
「あ、いえ、そんな……僕は華やかな皆さんを目にできただけで、なんというか、お腹がいっぱいで」
「そっか……結月から見たら、華やかな人ばかりだったか?」
窺うように尋ねてくるトキオさん。僕の率直な感想が知りたいのだなと伝わってきた。
「はい、役者さんはもちろん華やかでオーラがある方ばかりですけど、スタッフの方たちも真剣で、お仕事してる姿がキラキラしてました」
立っているだけで目を引く役者さんたち。そして、全力で自分の仕事に集中するスタッフさんたち。それぞれがプロフェッショナルで、全員が魅力的な人だった。
実際にお仕事を見学させてもらって、ファンの子にも会って、トキオさんは僕とは違う世界を生きてきたのだと痛感した。
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