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おやすみなさい
密着した体温はすぐに眠気を運んでくる。顔の位置をずらすと鼻先にふわふわの髪が当たり、肌をくすぐった。
「結月、今日もなんか甘い匂いする」
「そうですか? 香水は付けてないからクリームの匂いですかね」
「甘くて、良い匂いで、結月って感じがする」
重たい瞼を下ろし、うとうとしながら口を開く。普段は口数が少ない方だと自覚しているから、こんなに喋る俺を見たら共演者は驚くだろうなと思った。
「トキオさんも良い匂いですよ。石鹸みたいな、スッキリした香りがします」
「そうか?」
「はい。トキオさんって感じがします」
ビーズクッションの上に俺たちは寝転んでいる。備えられたビーズクッションはかなり大きい物だから、男ふたりで寝てもゆとりがあった。
自分よりも小さな結月の体を後ろから抱きしめ、眠気とゆるやかな会話を楽しむ。
ここは獣人スタッフしかいない添い寝店だった。目的は添い寝で客を癒すことだから客からの節度のない触り方や、スタッフからの触れ合いは禁止されている。
俺は仕事の合間を縫って、週に一度の頻度でこの店を利用していた。初回に担当してくれた結月を毎回指名して、こうして添い寝してもらっている。
世間からの強面俳優というイメージを壊さないよう、獣人の添い寝店で癒されていることはバレてはいけない秘密だった。
「トキオさん、眠れそうですか?」
「んー、寝そう……でも結月とも喋りたい」
「眠かったら無理せず寝てくださいね」
結月が息を吐いて笑った気配がする。そんな何気ない行為に俺はくすぐったい気持ちになる。胸のあたりがじんわりあたたかくなった。
この店を知ったのは偶然だった。たまたま前を通りかかり、その時、長期の撮影でへろへろになっていた俺は少しでも疲れが癒えるならと店に入った。
強面だからなのか、体が大きいからなのか、二十四年間生きてきて動物に懐かれたことは一度もない。動物に嫌われる体質だから獣人はどうだろうかと不安に思ったが、担当してくれた結月は俺をとことん癒してくれた。
ただ添い寝しているだけなのに、起きたら体から疲れが抜けていて驚いたのを覚えている。
「結月」
「なんですか?」
「力、強いか?」
「大丈夫ですよ」
「そうか」
「……トキオさんは優しいですね」
結月はいつもタートルネックのセーターを着ている。今日は白色で、結月のミルクティー色の髪と耳によく似合っていた。
ほとんど意識を手放しながら、初日に見た結月のプロフィールを思い出す。
俺より五つ年下である結月は兎の獣人のβだった。垂れ下がっているふたつの耳は鎖骨まである。触らせて貰ったこともあるが、十分にケアをしているのだろう毛はふわふわで気持ち良かった。
「おやすみなさい、トキオさん」
「ん……おやすみ」
本当はずっと結月と話していたい。この店に何度も通ううちに俺の目的は「添い寝してもらい癒される」から「結月に会いたい。結月と話したい」に変わっていた。
許されるならずっと結月を独占していたい。そんな気持ちが大きくなっていることに気づいている。
しかしそれを伝えたところできっと結月を困らせるだけだろう。俺の仕事を考えると、嫌な思いもさせてしまうかもしれない。
「ゆっくり休んでください」
包み込むような優しい声がする。
言い訳がましいことを考えていた俺は、ついに眠気を受け入れた。
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