其の弐

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其の弐

「お兄ちゃん!」 櫻の花びらが夜風に舞う中、幼いその子は笑顔で手を振った。 風太も笑顔で手を振る。 「今日も来てくれたんだね」 「おー、勿論。カステラ食うか?」 瞳を輝かせて纏わりついてくる子供を抱き上げ、くるくると回してやる。 無邪気に笑うその瞳の色は、月と同じ金色。 「かすてらっ、食べる!」 「春風(はるかぜ)はカステラが好きだなー」 春風、とは風太が付けた名前だった。 そしてこの春風もまた、あやしだった。 環琉と紫子が見つめていた社に奉られた幼子の魂。そして風太の親戚にあたる子供の魂でもある。 風太は、春風の生前の姿は知らない。 雷のような大きな爪こそ持ってはいないものの、その金の瞳が人外であることを象徴している。 社の近くを彷徨っているところを風太に見つかって仲良くなり、以後は風太の前でしか姿を現さなくなった。 外見の歳相応の子供そのもの。物の善悪の区別もきちんと出来ていない。 かつての両親は家があまり近くなく、お参りも日中のため、あやしである春風は夜になるまで姿を現せない。 だが、両親への思慕も生前の思い出も、まだ完全には消えていない。 あやしとしての歳月が短すぎるため、幼い魂には最も過酷な時期だった。 風太は一度、言葉で慰めようとした時に思い切り泣かれてしまったのだ。 言葉は直接的に、幼い心に響いてしまった。 数少ない、それでいて大切な思い出たちが一度に湧き上がってしまい、春風は泣いた。 「あたしは死んだの?」 「おかあさまと、おとうさまにはもう会えないの?」 「どうしてあたしの目はきんいろなの?」 「おうちに帰りたい」 「おかあさま」 「おとうさま」 今、この子に必要なのは誰かの暖かな腕だ。 そう確信した風太は、なんとか時間を作って春風に会いに行った。 しかし春風の存在である「あやし」を詳しく知らない風太は、春風を幽霊だと思っている。 幽霊とは触れられるものなのかと不思議にも思ったが、今ではそんなことはどうでもよくなった。 春風もまた、出会ってすぐに自分の身の上を話してからはただ傍にいてくれる風太の存在が心地よかった。 「お兄ちゃん」 「ん?」 ふいに春風が口を開いた。 「この前、あたしみたいなひとを見たの」 「…春風みたいな、ヒト?」 無言で俯いた。 「大きな爪があったよ。歳は、あたしよりもちょっと上かなあ」 櫻の樹の向こう側を指差す。 5162b1de-efc1-4f98-bc87-390232c7107e 「あの、おうち」 それは紛れもなく、環琉が下宿している弓城の屋敷だった。 「……」 風太は、環琉といつか話したことを思い出した。 敷地内にあるという社。 お供え物に環琉が買っていた団子。 「まさか…」 「?お兄ちゃん・・?」 春風が首を小さくかしげて見上げてくる。 「春風、見ただけで、会ったわけじゃないんだな?他にもうひとり…俺くらいの男がいなかったか?」 もし環琉のいう子供が、春風と同じ存在だとしたら興味がある。 春風はさらに首の角度を変え、ええと、と考え込む。 「ごめんなさい…わかんない」 「そうか、それならいいよ。でも、そいつとは友達になれそうな感じだったか?」 「ともだち…?」 自分が春風を訪れるには限界がある。 流石に毎晩というわけにはいかないし、同じような「幽霊」だとしたら春風も寂しくないだろう。 「仲良く…なれるかな?」 戸惑ってはいるようだが、決して「友達」を作ることには消極的ではないようで風太はほっとした。 「なれるさ」 「うん…ともだち、できたら…お兄ちゃんに教えるね」 「ああ」 それから暫く話して、朝陽が昇りかける頃、風太と春風は別れた。 春風に友達が増えることを祈り、そして詳しく話を聞くために風太は朝の内に環琉と会う約束を取り付けた。 一晩遊んだ後は昼過ぎまで惰眠を貪るのが習慣だったが、興味深いことを知ったので不思議に睡魔は襲ってこなかった。 *** 「なんですか?話って…改まって話すようなこと、僕らにありましたか?」 相変わらずののんびりした顔で、先に指定されたいつもの喫茶店で待っていた環琉は、風太を見上げて微笑んだ。 「なあ、お前が面倒見てる子ってさ」 おもむろに切り出すと、明らかに動揺した様子で返事が返ってくる。 「面倒!?めめ、面倒だなんて、そんな。ちょっと遊んであげただけですよ…!」 「…ふーん…?いや、お前がいつも団子買ってるみたいだし。…それにまるで仏壇にでも供えるような」 「ぶぶ、仏壇だなんて!ぼ、僕が遊んであげているのは子供ですよ!?小さな!子供!!」 環琉は嘘をつくのが下手なので、このまま気付かない振りをするのも面白いが、真相も早く知りたいのでそろそろ勘弁してやろうと真剣な顔で身を乗り出す。 「じゃあ…、会わせてくれよ」 「えっ…、それは…」 「この前も言ったろ。俺にも今、遊び相手になってる小さな子がいる。…友達になってやって欲しいんだ」 友達 その響きに、環琉はスッと頭が冷えた気がした。 (…外見だけでも同じような子供が傍にいるのは、雷にとって良い事なのかもしれない…) 成仏までは普通の子供同様に楽しい思いをさせてあげたいと、確かに願っている。 「でも…、その子は」 言いかけたところで、みず穂が風太に珈琲を運んできた。 「はい、風太さん」 「みず穂ちゃん~、よく分かったね!あと、今日も可愛いよ」 「どうせいつも珈琲でしょ?頼まれなくてもお出しします。あ、お勘定はちゃんといただきますけどね」 話を遮られて、言葉を飲み込んでしまった。 (雷は…人間ではないし…それに) それに、あの異形の姿だ。 風太の連れてくる子が、泣き出して逃げ出すかもしれない。 「じゃあ明日か明後日の夜にするか」 「えっ」 「夜なら俺もその子も都合が良い」 「そ、そうですね、では…都合を確認します」 言いながら、席を立った。 「環琉?」 「また…、こちらから連絡します。ひ、人見知りをするかもしれませんし…いや、多分、しないかもしれませんけど」 「おい、環琉!」 そそくさと勘定を済ませて店を出る環琉に、風太はやれやれと溜息をついた。 「…隠し事下手過ぎ」 *** 「雷が、あの雷が人見知りだなんてするとは思えないが…。いや、むしろ面白がってあの姿で子供を脅かすのが好きかもしれん」 散々悩んで夜を待ち、社に出向く。 「おっ、環琉。毎晩ご苦労だな。そんなにわしが好きか?」 姿を現すと同時にニヤニヤと笑ってからかってくる。 「口が減りませんね、全く」 肩を落とすと、顔だけを上げて言う。 「雷、今日は僕の部屋に来てくれませんか?」 「…お?何だ?珍しいな」 環琉はくるりと踵を返し、すたすたと歩き出すと「待て、待て」と帯に爪を引っ掛けて捕まり、釣られるようについてくる。 部屋に着くと、一枚だけの座布団を雷に差し出して座るように促した。 雷は遠慮など一切せずに座布団を自分のものにしてしまうと、どかりと胡坐をかく。 「どうしたのだ、一体」 積み上げられた書物を爪で捲り、内容のあまりの難しさに片眉を上げて溜息をつきながら言う。 「…、君のその爪を、よく見せて欲しいのです」 その着物の布地に隠れている部分を見ることは、ずっと気になっていたが実際には恐くて踏み出せなかった。 しかし友達は作ってあげたい。 人間の子供が相手であれば、金色の瞳や大きな耳くらいはどうとでもなっても、凶器とも思えてしまうこの爪だけは事前に知っておく必要を感じた。 「爪?」 「そうです…。その、着物の下を…、見せて下さい…」 真面目な顔で、雷の瞳をしっかりと捉えて言うと、その金色がふっと細くなった。 「あまり見ても面白いものではない…ほれ。気が済むまで眺めていいぞ」 袖を肘のあたりまで捲り、腕を露わにした。 「…っ」 思わず息を呑む。 肩から伸びる白い腕は、肘のあたりからどす黒く変色していて、鱗を思わせる硬い皮が何層も覆っていた。 指は四本しかなく、そこから普段目にする爪が生えている。 別の生き物をつぎはぎでもしたような、作り物とも思える手だった。 袖から見える爪だけを見ていた方が、まだ恐怖は少ない。 「触れてみるか?」 「えっ…、あの…」 「気味が悪いだろう…?たしか、あやしになったばかりの頃はこうではなかった…徐々にこうなったのだ。このまま永遠に成仏できなかったら、わしは龍にでもなるのかな」 自分を嘲笑するような声で、雷が囁いた。 環琉は何と言っていいのか判らず、しかし目を逸らすことも出来ずに見つめることしか出来なかった。 「…僕は…」 それでも何とか搾り出した声で、本題を切り出すことにする。 「君に、友達が出来たらと…」 「…トモダチ?…ふん、それでか」 その先を聞くまでも無く、雷は冷たく言い放つ。 「そんなものは要らん」 「しかし…」 「要らんったら要らん。只でさえ、ひ弱な書生を飼い慣らすのにいっぱいいっぱいなのだぞ。これ以上心労を増やすな」 いつもならその失礼な言葉に対して言い返すところだが、今夜はそんな心境ではない。 環琉は雷の両肩を掴んだ。 「会って欲しい子がいるんです。その子も友達を必要としている…爪は、僕が何とか誤魔化しますから…」 勢いで言ってみたものの、どう誤魔化すかなんて考えていない。 せめて自分の背後に体の半分でも隠して…と考えを巡らせる。 「…そんなに真剣な顔をされてもな。わしは極力知人を増やしたくない…面倒臭い。それにはこの爪が便利なのだ。自ら出向いて愛想を振りまく必要がないからな」 「雷…!」 声を上げて説教をしようと息を吸い込んだ途端―― 「ほれ…これでいいのか?」 目の前で、ひらひらと小さな掌が揺れた。 「えっ…?」 月明かりでも判る。 さっき見た龍のような手よりも、ずっと鮮明にそれが何なのか判る。 それは紛れも無く、人間の子供の掌。 指は五本、小さな桃色の爪。 「こ、これは…」 「このくらい、何てこと無い」 あっけらかんと言われ、説教をしようとした勢いがシュルシュルと音を立てて萎んでいく気がして、環琉は力が抜けた。 「こんな術が使えたなら、なぜ先に言わないんですか…」 「煩い。言っただろう?人付き合いは面倒なのだ」 そしてふいっとそっぽを向くと、目だけを向けてぽそりと呟いた。 「こんなにあれこれ口煩いやつは初めてだ。…会うだけだぞ、その子供とやらに」 「雷…、良かった、じゃあ、明日はその姿で出てくるんですよ」 「環琉も、わしの腕はこのままの方が良いか?…はじめは怯えておったしな…」 急に、いつもと違う色で呟かれて少し驚く。 「どっちでも…、でも本当は君は…友達が欲しいんじゃないんですか?それでこんな術を手に入れた…恐がられないように、こうして、触れて貰えるように」 「どっちでも…?」 「ええ、どっちでも良いですよ。少なくとも僕はね。もう見てしまった。受け入れてしまったんですから」 「…そうか。まあ、少し違うがな。トモダチが欲しいわけではないぞ。あまり知人を増やしては、わし自身が成仏する気がなくなると困るからな」 「明日は…ちゃんと出てきて下さいね」 「仕方なく聞いてやるのだぞ。今後大勢連れてこられても迷惑だからな」 短い挨拶を交わすと、雷は渡り廊下へと消えていった。 *** 翌朝環琉は、風太の家の庭掃除係の翁に言付けを頼み、夜までは勉強に励んだ。 今夜の予定が空いていれば、櫻の樹の下で待ち合わせをしようと。 そして風太の連れて来る子と雷を対面させ、あわよくば友達になって貰えれば、もう万々歳だ。 (あとは、変な事をその子に吹き込まなければいいのだけど…) 月が昇り、夕飯を済ませると自分でも気付かないがやや早い足取りで社へと向かった。 「雷、行きますよ」 呼びかけると、直ぐに雷が姿を見せた。 爪は見えないので、約束は守ってくれたようだ。 「……」 しかし無言。 つまらなさそうに口を尖らせている。 (無理矢理だけど…、気が合えばきっと楽しいさ) 人間のものの形になった手を握って歩き出すと、雷が「あ」と声を漏らした。 ひやりとした手だったが、握ってやると直ぐに熱を持ち始めたことが判って、環琉は不思議な気分になった。 触れることが出来て、熱も帯びる。 それでも、人間ではないのだ…。 さくさくと自分の草履が芝を踏む音がする。 それに続いて、それよりもやや鈍く芝を踏む音がする。 そこで気付く。雷は裸足だ。 「…痛くないですか?僕の草履の予備で良ければ…」 環琉は気遣いが遅れた事を反省した。 「人間よりは丈夫だから要らん。それにお前の草履はわしの足に合わん」 「あ…、そうですけど、でも」 「確かにお前の方が足はでかいが、趣向の問題だ。そんな安物の草履、例え新品だとしても願い下げだ」 「……ああ、そうですか」 言葉少なに歩いていくと、人影が見えた。 「お、環琉ー、こっちだ」 先に来ていた風太が手を振っている。 環琉は雷の手を握ったまま駆け足で近付くと、空いていた方の手を軽く挙げて挨拶した。 念の為雷を半歩後ろに隠しながら、風太にまず紹介する。 「雷と言います。ええと…、じゅ、十一?…です」 以前聞いた生前の歳を適当に伝えると、腕を軽く抓られた。 「痛ッ!?」 「ん、どうした環琉?」 「いえっ…別に何でも」 隠れたままの雷をチラチラ見ながら、風太は話しかける。 「俺は風太だ。よろしくな。隠れてないで、もうちょっとこっちに来いよ」 そこで環琉は少々焦り出す。 思いのほか月の光が明るく地上に届いていて、爪は隠せても、金色の瞳はどうしても誤魔化せない。 せめて顔が隠せるように何か被らせてくるべきだっただろうかと思ったが、今ここで屋敷に戻っては怪しまれる。 「そ、そういえば、風太の連れて来るはずの子はどうしたんです?一緒じゃないと危ないんじゃないですか?」 「ん?ああ…多分知らないヤツがいるから出てこられないんだろ…」 そして社へ歩み寄り、囁く。 「春風、俺の友達だよ…恐くないから出ておいで」 「風太…?」 そんな所に誰も見当たらない、と言葉を発しようとした時、雷の声が耳に届いた。 「なるほど、そういうことか」 「え?」 環琉が雷の方を向こうとすると、目の端に淡い櫻色の光が飛び込んできた。 それは徐々に人のような形になると、小さな子供が現れた。 ゆっくり開かれた瞳は、金色。 見慣れない姿に、さっと風太の背後に隠れて様子を伺ってくる。 「! お…お兄ちゃん、このひとたち、だれ…?」 「環琉、雷。この子は春風っていうんだ…ほら、春風も挨拶して」 ずいっと背中を押されて前に出された春風は、警戒しながらも「こんばんわ」と鈴のような声で囁いた。 「風太、この子は…」 「あやしだな」 雷に言葉を横取りされた環琉は、突き飛ばされるように道を空けさせたれた。 漸く雷の姿をはっきり見た風太は驚いた。 春風と同じ瞳の色。 (やっぱり、そうか) 予感はしていたので、声には出さなかったが。 「あっ…この前、見かけたひとだ!」 急に春風が大きな声を出して雷を指差した。 「は?」 「あれ?でも爪がなーい。おっきいのが、あったのに…もしかして違うひとかな?似てるんだけどなー」 くるりと雷の周りを一周して、上から下までまじまじと観察する春風。 「…これのことか?」 変化させていた手を元に戻すと、風太が「うわっ!」と声を上げた。 目の前で鎌のようなものが突然伸びれば誰だって驚く。 「わっ、すごいすごい!い、今の、もう一回やって!!」 すっかり面白がってはしゃぐ春風。 「風太が遊んであげている子」の正体があやしだったことと、あれだけ爪を隠せと気を張っていた事が無意味に終わり、環琉は脱力してその辺りの石に座り込んだ。 その隣に、同じくやや力の抜けた風太が座ってくる。 目の前では楽しそうに笑う春風と、やや呆れ顔の雷。 「あ、も、もう一回~!」 「まだ見たいのか?」 「うん、あたしにもそのやり方教えて!」 「一朝一夕でこの高等な術が出来るか!」 「イッチョウ…何?難しくてよくわかんない」 危惧するような事態はなく…むしろ何もかも上手い方向にのみ運んだ事が嬉しくて、環琉の口元は自然と綻んだ。 「隠し事は無し、ってことですか」 「ああ、そうだな…って、いやお前演技すげー下手だったけどな…。どうだ?可愛いだろ、春風は」 親馬鹿のような風太の台詞に、目をやると無邪気な笑顔。 「そうですね。…春風はきっと、ご両親の想いが…」 何だか雷と正反対っぽくて、あのぐらい素直そうならいいのに…と零れそうになる愚痴を何とか押し込めて。 暫く人間の青年ふたりは、小さなあやし達が奏でる声を聞いていた。 「お前の名前は言い難いな、面倒だからハルでいいか?」 「うん、いーよ!」 最後に雷と春風は、今一度お互いの名を確認し合ってから別れた。 雷が団子が食べたいと訴えたので、環琉の部屋に行くことになり、風太と春風は少しだけ先の見晴らしの良い道まで出て月光浴を楽しむらしい。 *** 部屋に着くと、雷は座布団を独り占めして、環琉が包みを解くのを見つめて待つ。 「まさかあちらもあやしだったとは…驚きましたね」 あの社から春風が出現した事、そして風太に以前聞いた話から、環琉は春風が風太の亡くなった親戚の子と同一人物だということを察した。 「今が一番辛い時だ。あの風太という男、ハルの心の支えのようだな…」 「そうですね…でも、ありがとう雷。これであの子の支えが増えましたね。君にも友達が出来たし…」 感謝の言葉を言われると、慣れていないのか頬を少しだけ染めて団子を頬張る。 「ふん、わしのような熟練の先輩と馴れ合えるなど…全く、いくら感謝されてもされ足りんわ」 慌てて飲み込もうとして、珍しく咽てみせる雷に、環琉は思わず噴き出した。 そっと水を差し出すと、一気に飲み干された。 「そういえば環琉」 「何ですか?」 「明日は新月だ。わしやハルは、出てこられぬからな、先に伝えておくぞ」 あやしが出現出来るのは、月の出ている夜のみ。その言葉を思い出し、環琉は頷いた。 「お前に出会ってからは晴天続きだが、雨振りや雪の日も、月が雲で見えない時は姿を作れないのだ」 「そういえば、昼間に月が見えることもありますが…」 「太陽の光に負けて、姿が作れぬ。夜に輝く月ではないと駄目だ」 「…なるほど」 先程春風が難しい顔で雷に何かを聞いていたが、恐らくあやしとしての知識を色々と伝授していたのだろう。 自分がいかなる存在かも、恐らくは知らないに違いない。 先輩のあやしが傍にいてこそだ。 となると、疑問が浮かぶ。 雷があやしとなってから、いくら百年近い年を過ごしても、たったひとりでここまでの知識や術を知るには限界がある。 きっと先に成仏してしまった他のあやしが居たのだろう。 そんな環琉の疑問を読み取ったように、雷は静かに語り出した。 「記憶ももう薄らにしか残っていないが…、わしがあやしになったばかりの頃、面倒をみてくれた男がいたのだ」 団子の串を弄りながら、障子の隙間から見える細い月を眩しそうに見上げた。 環琉もつられて視線を空に送る。 「男は人間でもあやしでも、妖怪でもなかった」 「え…?」 「確か十六夜(いざよい)という名で…、幽霊、だった」 そこまで話すと、雷はそっと環琉の隣へ移動し、座り直すと寄りかかって瞳を閉じた。 「ああ、懐かしいな…あいつの話を誰かにするのは、初めてかもしれん」 「……」 「十六夜は、どこからともなく彷徨ってきた霊だった。成仏できたかどうかも、定かではない。あいつは、想い合う女と共に死んだと言っていた…だからあやしにならなかった」 その十六夜という男の幽霊が、雷という名前をくれたのだと言う。 「美しい髪をしていた。月の光が透けて通っているのに、黒くて、艶やかで…」 あやしがどんな存在であるかや、新月には実体化出来ないということを全て教えたのだとも。 「優しく笑う男だった…。十六夜の、あの笑顔に逢いたくて、毎晩月が細くなっていくのが恨めしいほどだった」 「……」 「わしは、自分がどうしてこんなに永い時をあやしとして生きているか…それだけは未だにわからん。しかし、十六夜が居なかったら自分の存在すらも判らないままだった」 環琉は少し苛立ちを覚えてきた。 「何だか惚気を聞かされているようです…」 自分でも、よくぞここまで、という程に低い声が出てくる。 「…環琉?」 「どうせ僕はひ弱な書生ですよ。団子を貢ぐしか出来ませんし。髪だって寝癖だらけで美しくなんてありません」 急に拗ね出した環琉に、雷はきょとんとして見つめていたが、暫くして高く笑った。 「っ…、あはははは!そうかそうか、環琉…こいつめ、嫉妬しておるのだな?」 「…嫉妬ぉ!?」 「わしが他の者の話をするから、苛立っているのだろう?心配せんでも、今わしが飼っているのはお前だけだ」 環琉は一瞬言葉を失ったが、確かに自分は社の清掃、団子を買い与える、友人を手配する…等々、それはそれは献身的になっていたと気付いた。 「お前、この先苦労するな。妻を娶っても一生尻に敷かれるのが目に見えるようだぞ。あはははっ!」 「う…」 「今後わしが他の誰かと知り合うことがあったら…、やたらと尽くしてくれた書生がいた、という思い出話をすることになるな」 「…僕が死んでる前提で言うのやめてください。胃が痛いです」 環琉と雷が屋敷の中へと消えた後、残された風太と春風は寄り添って月を見上げていた。 細すぎる月。 「明日は新月だな」 「しんげつ?」 「そう、明日はお月様は出ないんだよ」 「お月様、いなくなっちゃうの?」 「ん、ちょっとだけな。でもすぐに出てくるさ」 春風の柔らかい髪を撫でる。 「ライが言ってた…。お月様が隠れる日は、あたしも隠れていなきゃダメだって。姿が作れないんだって」 「姿が作れない?」 「うん、チカラが弱くなるからなんだって。あたしとライは、お月様にチカラを貰ってるんだって」 弱い月明かりでも、金色の瞳はきらきらと輝いて見つめてくる。 「そっか。じゃあ明日は会えないな」 困った顔で笑ってみせると、金色がゆらりと揺れた。 「…うん…しょうがないんだよね」
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