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「イケメンチビ男子か、それは的を射てるねぇ」
バレー部の部活を終えたあと、部室で着替えながら関口ありさは言った。ありさは小野寺と同じ三組だ。
「けど、小野寺の言うことも当たってはいるか。倉田目当てで入ってきた部員もいるくらいだし。倉田も悪い気してないでしょ」
後輩の女子から「星那先輩、かっこいい!」と騒がれるのも日常茶飯事。あたしがそういう女子を突っぱねたりしないのは、女子を好きになる気持ちがわかるから。
「ありさ。実行委員あるから、文化祭まではあたし部活遅れることあるけど、必ず練習出るから」
「わかってる。けど、しんどくなったら相談してよ」
「大丈夫。新人戦だってあるんだし。実行委員やるからには両立すっから」
一年生と二年生のみの体制になったばかりの公式戦は、県の新人体育大会だ。十一月あたまの金曜と土曜が文化祭で、その直後が新人体育大会。二学期もなかなかハードスケジュール。
けど校内ルールで、文化祭までの期間は文化祭の準備を部活よりも優先していい決まりになっている。
「ありさこそ。部長だからって抱え込むなよ」
ありさは小学校の頃からバレーボールの経験があって、去年一緒に入部したときからセッター志望だった。三年が引退するとき、ありさは部員の満場一致で新部長に選ばれた。
「うん。頼りにしてるからね」
結わえていた肩までの髪をほどき、ありさは笑った。
昇降口を出て通用門へと向かえば、部活後の帰宅ラッシュだ。
あ。例のイケメンチビ男子、小野寺もいる。
サッカー部の連中とどつき合いながら、楽しそうにげらげら笑っていた。騒ぐ男子連中の背中越しに、黄金色と茜色が溶けあったような夕焼けが広がっている。涼しい風に、金木製の香りがした。
ありさと別れ、もう通いなれた通学路を家へと歩く。
横断歩道を過ぎて、児童公園の前を通り過ぎて、また横断歩道。小さな商店街のアーチを抜けた先。古い県営団地の階段を上がった三階があたしの家。
鍵を開けて玄関へ入ると、ドアの内側には小さなサイズのホワイトボードがマグネットフックにかけられている。
『おかえり、せな。七時には帰るからね』
家に帰るといつも、こうして青いマーカーで書かれた母さんの字が最初に目に入る。母さんと二人暮らしになって一年半。毎日のルーティーンだった。
朝、六時半。
スマホのアラーム音で目が覚めると、あたしはのそのそとベッドを出て顔を洗いに向かう。キッチンにはすでに母さんがいて、朝ごはんを作っていた。
「おはよう、星那」
「おはよ」
洗面所で顔を洗って歯を磨き、洗濯して部屋に干しておいた部活ジャージに着替える。
続きの引き戸を開けて隣の和室を見ると、母さんが寝ていた布団はぐちゃぐちゃ。とりあえずシーツごと布団を三つ折りにして、かけ布団もざっくり畳んで重ねとく。
部屋の端に寄せてあった座卓を座りやすい位置に持ってきたところで、母さんがご飯を運んできた。
「あ、布団ありがと。いまお茶入れるね」
「あたしやるよ。母さんも麦茶でいい?」
「うん」
ざっくりと短い母さんの髪はあちこちはねてる。今朝も慌てて起きたんだな。
母さんの職場は電車で数駅。九時に家を出てもじゅうぶん間に合う。本当はもう少し寝てたいんじゃないかな……。
朝ご飯は適当に自分でやるから、無理に起きなくていいよ、と母さんに言ってみたことがある。それでも母さんは無理じゃないよと笑って、毎朝ご飯を作ってくれる。なるべく急いで帰って、晩ご飯も作ってくれて、できる限りあたしと一緒に食べるようにしてる。
バレー部に入らないほうがよかったのかな。文化部とかにしとけば朝練もないし、あたしも家を出る時間がもう少し遅くなる。それなら母さんも、もう少しだけゆっくり寝てられたはずだ。
座卓で向かい合って、ふたりで朝ご飯を囲む短い時間。母さんはよく部活の話や、学校の行事の話を聞きたがる。
「もう暑くはないけど、部活中も水分補給はちゃんとするのよ」
「うん。わかってる」
去年、バレー部に入った最初の夏。インドア競技だから大丈夫だろうと甘く考えてたあたしは、部活中に熱中症を起こしたことがあった。ちょっと休めば平気と思ったのに、顧問の大石先生は母さんに連絡してしまった。血相を変えた母さんが職場を早退して、学校まであたしを迎えにきたのだった。
……あんなふうに、二度と母さんに心配させたくない。
「いってきます!」
ご飯を食べ終えると、母さんに見送られて家を出た。
団地の階段を降りて、通学路を歩いて十分。
七時半には学校の通用門を入る。この時間、登校してくる生徒はみんな部活の朝練がある生徒ばかり。
昇降口に入って、階段を上がらずに部室へと向かう。その廊下で、すでにチームジャージに着替えたサッカー部の何人かとすれちがった。
「あ。実行委員の倉田」
ん? とそちらに目をやると、やってきたのは二組の三木唯吾。サッカー部で、学年でもそこそこ女子に人気のある男子。隣には小野寺の姿もある。おはよ、とあたしが言うより先に、三木が言った。
「なあ、一組でダンスやってるやつって誰か知らね?」
「は? なに? 急に」
面食らってると、小野寺が言った。
「ああ、星那。文化祭の学年有志の話だよ。ダンスの案に落ち着きそうなの」
「……あー、そっか。学年有志やりたい奴って、三木?」
「そっ」
と三木唯吾はうなずく。
女子では背が高いほうのあたしが、少し見上げるかたちになる。チビの小野寺と並ぶと、その身長差がなんだかアンバランスで笑いそうになる。
「人数は何人か集まってるけど、ジュニアダンスとか経験者いたら、有志メンバーに欲しいし。誰か知らね?」
「……さあ。思いつかないけど」
嘘だ。ひとり知っているけど、言いたくなかった。
ふうむ、と三木は困ったように腕組みをし、その隣で小野寺は大きな瞳をイタズラっぽく見開いて肩をすくめた。
じゃ、と短く言ってさっさとバレー部の部室へと向かった。
「あーどうすっかな。こうなったらハル、おまえも入れよ」
「う。おれはダンス経験ないよ?」
「俺だってねえけど」
そんなやり取りを遠くに聞きながら、部室のドアを閉め、あたしはため息のかわりに深呼吸した。
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