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3
「小学校のころね、ジュニアダンスやってたの」
花凜がその話をしてくれたのは、入学して間もないころ。オリエンテーションと新入生の親睦をかねた二泊三日の林間合宿。くじ引きで決まった班で、あたしと花凜は一緒になった。行き帰りのバスも隣の席で、当然合宿所の部屋割りも同じで、いろんな話をした。
お風呂のあと、自販機コーナーのベンチで並んでジュースを飲みながら、お互いの家族について話してたときだった。
「テレビで見たダンスに憧れちゃってね。ダンス教室通いたい! って父さんと母さんにせがんだの。そしたら、茉凛もやりたい! って言いだして。ふたりで教室に通ってた」
「へえ。あたしはスイミングスクール通ってたことあるけど、水泳は苦手で長続きしなくってさ」
「ええー? なんか意外! 星那ってスポーツ全般なんでも得意だと思ってた」
「そーでもないって!」
あははと笑い合って、なんだかなつかしい感じがした。
花凜とは知り合ったばかりなのに、他の女子よりもずっと話しやすい。というより、一緒にいてどこかほっとする。まるで前世でも一緒だったみたいだ。
「花凜もダンスは続けなかったのか?」
「……うん。いやになってやめちゃったの。……ううん、ダンスは好きなんだけど」
言いづらそうにしていた花凜は、やがて、懺悔をするような面持ちで切り出した。
「……発表会でね」
「え?」
「あ、ダンスの発表会があったんだけど。がんばって練習したのに、うまくいかなくて。茉凛は前列になったけど、私は後ろの列になっちゃったの」
「…………」
そのときの花凜のさみしそうな表情で、あたしのみぞおちがきゅっとした。
そう――これが最初だったんだ。
「今もそれがずっと引っかかってて。部活はやらないつもり。花凜がやるなら私も! って茉凛がついてきそうだし」
ふう、と深呼吸する花凜の目が痛々しかった。
「茉凛は明るくて器用でね。私なんかよりずっと、おしゃべりも上手だし。ダンスの先生やほかの子たちともすぐ仲よくなれて……」
「やめろよ、花凜」
静かに、あたしは口を挟んだ。
「私なんか、って言うの。せっかく花凜と仲良くなれたのに。花凜が自分を否定するの、あたしもつらいよ」
「星那……」
目を瞬かせた花凜は、ふふっと笑った。
「もう。星那ってかっこいいな。そういうこと、さらっと言えちゃうの」
「なに言ってんだよ。花凜だからに決まってんじゃん」
「やだー!」
悲しそうにしていた花凜が、ぱっと笑顔になった。それがうれしくて胸が高鳴る。
「ないものねだりかもだけどさ。姉妹いるって、あたしはちょっと憧れるよ」
「星那はひとりっ子なの?」
「うん。ひとりっ子なうえに、ひとり親」
「え?」
「うち、親が離婚してるんだ」
自分からそれを話したのは、今のところ花凜だけだ。
打ち明けた相手がよくそうするように、花凜は申し訳なさそうな顔をした。
「そうだったんだ。大変なんだね」
「よく言われる。けど、正直言って今のほうがずっと気が楽なんだ。離婚する前、父さんと母さんはケンカばっかりだったし」
あたしが寝たあと、ドアの向こうで話し声がする夜が何度もあった。
怒鳴っているわけじゃないけど、ふたりの口調がおだやかじゃないことぐらい、当時小学生だったあたしは感じ取ってた。
「父さんと母さん、どっちの味方にもなるつもりなんてなかった。だからなにも言わないようにしてたのに。父さんに、星那はいつも母さんの味方だよなって言われたときは、あたしもショックで泣いちゃったんだ」
「……そっか」
しばらく、ふたりとも黙った。
あたしと花凜はまったく家庭環境がちがう。お互いには理解し得ない悩みを抱えている。
だからなのかもしれない。知ったような助言をしないのも、わかったふうな慰めの言葉もかけないのも、ずっと暗黙のルールみたいになってる。
背中に温かいものが触れたと思うと、花凜がそっとあたしの背中をさすっていた。
「なにがあっても、私は星那の味方だからね」
間近でこちらを見つめる花凜に、また胸がきゅっと締めつけられた。
花凜が愛おしい。
その気持ちはしぼむどころか、そのあともどんどん膨れ上がっていった。破裂しそうなほどぱんぱんになった風船みたいに。
それが今も膨らみ続けて、張り続けて……
いつか、ほんのわずかな衝撃で破裂しそうで――自分が怖くなるくらいに。
チャイムが鳴り、ため息にも似た息づかいが教室のあちこちで上がった。
中間試験の一日め、三教科の試験が終わった。テスト用紙の数を確認し、監督の先生が出ていくと、教室内はざわめきに包まれた。
「どうだった? 星那」
帰り支度をしながら、花凜が声をかけてきた。
「数学はちょっとやばいかもなー。英語は思ってたより手ごたえあるかな」
「私は漢字ど忘れしちゃったのがあって、テンパったよー」
情けなさそうに花凜は笑った。
とは言うものの、花凜はいつも学年内で上位に入るくらいの成績だ。あたしはどちらかといえば理数系が苦手。明日は理科と社会の試験だし、今日も帰ったらできるだけ詰め込まないと。
早く帰りたいとこだけど、あたしの班は今週、理科室の掃除当番だ。ツイてない。
終礼のあと、掃除当番を終えて教室に戻ると、ほとんど生徒は残っていない。あたしもスクールバッグを手に、すぐ校舎を出た。
校舎の外は陽射しが明るい。まだ午前中だから当たり前だけど、部活のある日は大抵遅い時間になるから、なんだか新鮮。
……ん?
通用門へと向かう途中、グラウンドに向かって等間隔に並んだベンチのひとつに、誰かが座っている。ややうつむいていても、ここから見えるその顔には見覚えがあった。
――三木唯吾だ。
誰かを待ってるのか? スクールバッグをそばに置き腕組みをしたまま背もたれに上体を預け、うつらうつらと船を漕いでる。……さては一夜漬けタイプだな。まあ、あたしも暗記で済む教科は似たようなもんだけど。
そこで思わず、あっと声を上げて足を止めた。
やばい。暗記で思い出した。暗記用の、緑と赤のシートとマーカーを置いてきた。テスト中は机を空っぽにしないといけないから、教室のロッカーに放り込んでそのままにしていた。明日はよりによって、理科と社会のテスト。ないと絶対困るやつ。
しかたなく校舎に引き返し、三階の教室へ戻る。
誰もいない教室で自分のロッカーをあさり、目当てのものを見つけてひとまずホッとする。スクールバッグに暗記セットをしまうと、また昇降口へと向かった。
むだな時間をかけた自分にため息が漏れる。なんでこう、忘れ物を取りに行くのって、やたらと疲れるんだろ。
通用門まで歩いてるのはもう、あたしだけ。
……あれ?
歩きながら、さっき見たばかりの景色に違和感を覚えた。
あいつがまだ、ベンチで眠っている。その隣に、さっきはいなかった人物がいた。
小野寺遥希だ。
無防備に居眠りをしている三木の隣で、小野寺は背もたれに肘をつき、三木のほうを向いて腰かけたまま、じっと三木を見つめている。話しかけるでもなく、フザけて相手の体を揺らすでもなく、真顔で、ただ、じっと。
かくん、と寝息を立ててる三木の顔が少し、小野寺のほうを向く。
小野寺が身を乗り出す。その目がすっと細まり、どこか熱っぽい色がにじんだように見えた。小野寺がベンチの背もたれに手をつきさらに身を乗り出して――
――え?
ふたつの顔が近づき、あと少しで唇同士が触れそうな、そのとき。
視線を感じたのか、小野寺がわずかにこっちを向き、横目であたしを見た。ギクリとしてなにも言えずにいると。
しっ。
人差し指を自分の唇に当てて、イタズラっぽくほほ笑んだ。
慌てて目をそらし、そそくさとその場を離れたあたしは、そこで初めて自分が足を止めて見入っていたのだと気づいた。
「……ん……あいてっ!」
「ほーら、唯吾。下校時間過ぎてるよ?」
「は……はぁ? 起こせよ、ハル!」
「寝顔撮ったからねー。女子にでも売ろっかな」
「て、てめー!」
そんなやり取りがずっと後ろのほうで聞こえる。
あたしの心臓はどくどくと音を立てていた。さっきのって……。
小野寺が三木にしようとしたこと。それは、あたしが花凜にしたくてたまらないこと、そのものだ。
小野寺が……三木に……?
いやいやいや。
とにかく今は、明日のテストのほうが大事だろ。足早に家へと向かう十分程度のあいだ、あたしは自分に言い聞かせた。
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