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 中間試験二日め、どうにか二教科の試験を乗り切った。  理科室の掃除当番が終わったけど、今日はじゃんけんに負けて、ごみ捨てに焼却炉へ向かった。  理科室にごみ箱を戻し、教室へ戻る途中の廊下で女子の騒ぐ声がした。なんか聞き覚えのある、甲高いキンキン声もする。  そっちを見れば――やっぱり、二組の藤崎茉凛。花凜の妹ちゃん。  同じクラスの女子連中と、わいわい騒ぎながら階段を降りてるところだった。女子数人で少し声をひそめたと思うと、次の瞬間、またどっと笑っている。  毎朝、花凜は妹ちゃんと一緒に登校して、帰るときはべつべつ。ふたりとも部活に入っていないけど、花凜は用事がなければすぐ帰って、妹ちゃんは用事がなくても残って女子とおしゃべりする。  あたしに妹や弟がいたら、どんな感じだったんだろ。  いや、ちがう。そうじゃない。同い年の妹がいたとしたら、だ。  たぶん、同じ性別の同い年の姉妹って、年の離れた姉妹や男兄弟とはちがうんだよな。なにがちがうか、ひとりっ子のあたしにはうまく説明がつかないけど。  なんて考えながら階段を上がると、ちょうど上から降りてくる男子の声がした。 「え、藤崎ってどっちの? ふたりいるじゃん」  どくん、と動機がして、急に耳が敏感になる。 「なに言ってんだ、おまえ。そんなの決まってんじゃん。カワイイほうだっつの」 「あ、うちのクラスの藤崎か」  いやな心地で踊り場まできて、すれ違ったふたり連れは、うちの学年の男子だった。 「けど、競争率たっけーぞ。ねらってるヤツ多いしな」 「あー、やっぱそうか」 「姉のほうでガマンしとけば? あっちなら確実だろ」  ゲラゲラと笑い合っているふたりの声に、どうしようもなくイラっときた。  だまれよ。クソどもが。  ガマンするだって? 花凜にも選ぶ権利ってモンがあんだろーが。  っていうか、姉のほうだの、あっちだの、言ってんじゃねえよ。  花凜がてめえらなんて相手にするかよ。  どこから目線で言ってんだよ。  ……ふたりとも後ろから蹴り落としてやろうか。  そんな気持ちを持て余していたあたしは、踊り場から三階へと上がったところでギクリと足を止めた。  スクールバッグを手にした花凜が、足を止めてこちらを見ていた。 「か……花凜」  てっきり、もう帰ったとばかり思ってたのに。  どうして――あ、そういえば花凜は今日、日直だったような……。 「どうしたの、星那。そんな怖い顔して」 「…………」  あのクソ男子ふたりの話が、聞こえていなかったはず……ないよな?  なんて言うべきか必死に言葉を探すあたしより先に、花凜は言った。 「いいって。あんなの、慣れてるから」 「花凜……」  ああ、もう。  そんなせつない顔して無理に笑うなよ。ガマンできなくなるだろ! 「かーりーんっ」  正面から、あたしは花凜を引き寄せて、ぎゅっと抱き締めた。 「ちょ、ちょっと、星那!?」  ほんの一秒で、すぐ放した。  そうしないと、本当に抑えられなくなりそうだから。  バシッと花凜の背中を叩いて、あたしは明るく笑ってみせる。 「慣れてるなんて言うなよ。誤解されることが」 「え……」 「妹ちゃんとそっくりな双子なんだから、妹ちゃんだけかわいいなんておっかしいだろ。花凜もかわいいってことぐらい、あたしはずーっと前からわかってんだぞ」 「…………」  きょとんとして、花凜は目を瞬かせる。  ふ、と顔をほころばせると、おかしくてたまらないように笑い出した。 「もう、星那ってほんとかっこいいんだから。あー、星那のこと好きになっちゃいそう!」 「……おお、大歓迎だぞ。あたしに惚れちゃいなって」  またきゅっと、みぞおちの辺りが苦しくなった。 「じゃ、また明日ね」  あははと笑い、花凜は階段を降りていった。  教室へ戻ると、もうほとんど人は残っていなかった。スクールバッグを手に、あたしはのろのろとまた階段を降りて昇降口へ向かう。あまり速足で歩くと、花凜に追いついてしまうかもしれない。今、それはいやだ。  昇降口から通用門までが、いやに長く感じた。  言ったことは全部、本心だった。お世辞でもなんでもない。  花凜が笑ってくれた。それがうれしい。……うれしいのに。 (あー、星那のこと好きになっちゃいそう!)  わかってる。花凜が冗談で言ってくれてることくらい。 (大歓迎だぞ。あたしに惚れちゃいなって)  だから、あたしも冗談のフリして返すしかなかった。  そう。冗談にするしかない。本気でなんて言えるはずがない。女のあたしが、花凜に好きなんて告白したら、花凜はどんな反応をするだろう。花凜に嫌煙されたり、軽蔑されたり、ましてや痛々しいものを見るように取り繕われたりするくらいなら――いっそ、死んだほうがマシだ。  やっと通用門を出て、最初の横断歩道を渡ってホッとする。ここまで来れば、花凜の帰り道とは別だ。  ぎゅ、とお腹の辺りに鈍い痛みが走った。いつもきゅっと苦しくなるのとは違う、もっといやな感触。児童公園に差しかかったところで、不快感が増した。  ああ、ダメだ。なんだろ。  立っているのがしんどくて、あたしは児童公園に入り、一番近くにあったベンチにスクールバッグを投げ出して腰を下ろした。  公園内には誰もいない。まだ午前中、幼稚園や小学校に通ってる子はいない時間だもんな。お腹の痛みに、あたしは自分の膝に顔を埋めるように体を折った。 「星那。大丈夫?」 「えっ」  いきなり頭上から声が降ってきて、あたしはぎょっと顔を上げ、ますます慌てた。  そこにいたのは――小野寺遥希。 「顔色悪いけど。具合悪いの?」  小野寺は心配そうにあたしの顔をのぞきこむ。きょろきょろと辺りを見回し、なにか思いついたように言った。 「ちょっと待ってて」  あたしの隣に自分のスクールバッグを放り、ポケットの財布を取り出しながら小野寺は去っていく。それを目で追う気力がなかったあたしは、再び体を折った。  遠くで、自販機のガコン、ガコンという音が聞こえたような気がする。  少しして、小野寺の気配が戻ってきた。 「星那、水とレモンソーダどっちがいい?」 「……はあ?」  弱々しく体を起こすと、小野寺の手にはペットボトルと缶飲料があった。  ちょっと待てよ。水と炭酸飲料ってかなり極端な二択じゃないか? せめて無難なお茶とか……。  けど文句を言える状況じゃないうえ、意地を張ってもしょうがない。 「……水」  正直に答えると、小野寺はわざわざキャップを開けてあたしによこした。隣に腰を下ろし、自分はレモンソーダのプルトップを開ける。プシュツと爽やかな音がした。  冷たい水を半分ほど飲むと、思わずため息が漏れた。痛みはまだ少しあったけど、さっきより気分はだいぶマシになった。 「落ち着いた?」 「ああ、サンキュ。正直助かった」 「ならよかった」 「あ、金返すよ」 「いいって、気にしないで」  スクールバッグを探り、財布を取り出しかけたあたしの手を、小野寺が止める。  申し訳ないやら、居たたまれないやら。沈黙になるのもいやで話題を変えた。 「小野寺、家こっちのほうだっけ?」 「あー、うん、まあ……こっち経由で帰れなくもないぐらいかな。カメ神社のほうだから」  カメ神社、と呼ぶのはこの近くにある小さな神社だ。境内の大きな池に亀がたくさんいるから、この辺りではそう呼ばれてる。けどたしかに通用門からなら、バス通りを渡ったほうが早いはずだけど。 「星那を見かけたから、ついてきたんだ。少し話したかったし」 「え、な、なんで?」 「はは。思い当たってるくせに」  悪びれた様子もなく、小野寺は笑う。  そりゃ……思い当たったのは、昨日みたアレのことしかない。 「見たでしょ? おれが唯吾にキスしようとしたの」 「…………」  あまりにもド直球で、どう答えていいのかもわからない。 「ねえ、星那。おれと取り引きしない?」 「……はあ?」  二度めの、はあ? だぞ。 「体調悪いのにこんな話するの、フェアじゃないかもだけど。星那にとっても悪い話じゃないと思うんだよね」  いや、ちょっと。立て続けに混乱してるんだけど。なんの話だ? 「お互いのことを包み隠さず打ち明ける。そのかわり、絶対に否定も口外もしない。どう? 取り引きっていうか、同盟みたいな」 「ちょ、待て! 話がさっぱり見えねえんだけど」 「星那もおれと同じだよね?」  急に真顔になった小野寺が、じっとあたしを見つめる。 「…………」  同じ、が意味することは――  悟って絶句して、しまったと思った。マズい。これじゃ、認めたようなものだ。 「……さあ。なに言ってんだか、わかんねえよ」 「うちの学年の双子の姉……あの子が好きなんでしょ?」  信じられないくらい、動悸が早まる。まるで心臓が暴れて肋骨を突き破りそう。  制服を着ているはずなのに。なぜか裸にむかれたような羞恥心に、今度は頭がくらくらしてくる。 「ごめん。さっき、聞いちゃったんだ。ふたりの話」 「…………」 「あたしに惚れちゃいなって――あれにはシビれたよ。でもそれでわかったんだ。だってあのときの星那、今にも泣き出しそうだったから――」 「やめろ!!」  残りの水を飲み干し、あたしは腰を上げて自分のスクールバッグを引っ掴んだ。 「水、ありがとな。けどこの借りは必ず返すから」  返事を待たず、あたしは逃げるように児童公園を後にした。背中に小野寺の視線が突き刺さったけど、絶対に振り返らなかった。  …………。  …………うそだろ。  気づかれた。言い当てられた。それもかなり確信的に。  早足で家へ向かうあいだも、気が気じゃなかった。異質な自分を他人に、それも学校で顔を合わせるやつに知られた。明日も学校、その次の日も学校。学校に行けば、当然、小野寺もいる。くそっ。  同じ……あたしと、小野寺は同じ?  認めたくない。それなのに、昨日の帰りに見たことを思い出した。ベンチで無防備に居眠りをする三木を、熱っぽく見つめていた小野寺。  どくん、どくん、どくん、と心臓はまだ暴れている。  そうだよ。あのときの小野寺の真剣な目。今にも泣き出しそうだった。  団地の階段を上がり、鍵を開けようとして手が塞がっていることに気づいた。いまさらだけど、小野寺がくれたペットボトル――もう空になったペットボトルを、まだ手にしたままだった。  逃げこむかのように、誰もいない家へと入ると。 『せな、おかえり。今日はプリン買って帰るね』  ホワイトボードの字が目に入った。  あたしが、女の子を本気で好きだと知ったら、母さんはどう思うだろう。  少なくとも、手放しで喜ぶはずはない……よな。  閉めたドアにもたれ、そのままズルズルと玄関に座り込む。お腹の痛みと不快感が、さざなみのように続いていた。
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