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 ぼんやりとした意識の中で、あたしはベンチに座っていた。 隣に腰かけて眠っているのは、花凜。  うつらうつらとしている花凜が、こちらに顔を向けてもたれかかってきた。安心しきったような、無邪気な寝顔。わずかに開かれた唇が、すぐそこにある。  花凜のばか。そんな無防備な顔見せるなよ。  こっちが……あたしが、いつもどれだけ必死に我慢してると思ってるんだよ。  ほんの一瞬。一瞬だけでいい。眠っている今だけなら、きっと気づかない。  ほんの、一瞬、だけ―― 「……っ!」  視界がクリアになる。視線の先にあるのは、カーテンから差しこむ光で明るくなってきたあたしの部屋の、もう見慣れた天井だった。  ……夢か。  正直、花凜が夢に出てきたのは、初めてじゃない。欲求不満のアブない女子みたいで、誰にも言えない自己嫌悪になる。  昨日からの不快感はまだ続いてた。  「はい、お薬」  朝ご飯を食べたあと、あたしは母さんから渡された市販の鎮痛剤をふたつ水で飲み下した。母さんは心配そうにしてる。 「本当に休まなくていいのね?」 「熱があるわけじゃないし。ちょっとだるいだけだもん。休む理由にはなんねーよ。今日乗り切れば、土日挟むんだし」  そう言っていつもの時間に家を出たものの、学校に向かうまでの道のりでまたいやな不快感がぶり返してくる。なんなんだろ、本当に。  学校に着いて部室に荷物を置き、体育館へと向かっていたとき。花凜が昇降口に入ってきたのが見えた。おはよー、と声をかけようとして、ハッと口をつぐむ。  ……なんで、花凜がこの時間に?  まだ、七時四十分くらい。この時間に登校してくるのは、あたしたちバレー部のほか、サッカー部、野球部、バドミントン部――つまり、朝練がある生徒だけだ。あとは、文化祭の演目で朝練がある生徒だけ……  もう朝練が始まる。ひとまず疑問を頭から締め出して体育館へ向かったけど。  モヤモヤした気持ちは、あたしの具合の悪さにますます拍車をかけた。  ストレッチをしても、館内のランニングをしていても、声を出すのもつらくなってきた。 「倉田、体調悪いの?」 「ありさ、ごめん。ちょっとトイレ」  他の部員や、下級生にまで心配そうに見守られながら、あたしはトイレに向かう。  その数分後。あたしはトイレの個室で現実に直面することになった。 「担任の先生には、私から言っておくから大丈夫よ。一時間目はひとまず休んで」  うちの母さんよりも少し若い、さばさばとした保健のマキ先生はにっこりと笑った。 「大丈夫よ。みんな通る道なんだから。ね? そんな顔しないの」 「はい……」  部活のシャツにジャージのまま、ひとまず保健室のベッドに横になる。  やがて慌ただしい足音が近づいてきて、ドアが開く音がした。 「失礼します」  ありさの声だ。 「ああ、関口さん」 「倉田の荷物、持ってきました」 「……ありさ」  弱々しく呟くと、すでに制服に着替えたありさが遠慮がちにカーテンの陰から顔をのぞかせた。あたしの制服とスクールバッグをベッドの下にあったカゴに入れ、こっちを見下ろしてほほ笑む。 「具合はどう?」 「ん……まだちょっとだるいけど」 「そっか。でもとりあえず、原因がわかってるなら安心したよ」  ホッとありさはため息をつく。本気で心配してくれてるんだな。そう思うと、ますます情けなくなってくる。 「けど、その……なんていうか……」  ありさにしてはめずらしく、言葉を濁す。 「倉田は発育不足には見えなかったからねぇ。てっきり……」 「やあだ、関口さん。中学二年じゃ、べつにめずらしくないのよ」  マキ先生が豪快に笑い飛ばす。なんか変に気をつかわれるより、いっそ清々しくていい。  そこで予鈴が鳴り、ありさははっと腕時計に目をやった。 「倉田、午後練は無理しないで。私から大石(おおいし)先生には体調不良って言っとくから」  顧問の大石先生は三十代の男の先生。たしかに、言いづらい……。  ありさが保健室を出ていくと、マキ先生はベッド周りにめぐらされたカーテンを引きながら優しく言った。 「生理痛のお薬もあるし、必要なものは保健室でも用意してるから。学校で困ったら、いつでも来てくれていいのよ」 「はい……ありがとうございます」 「きっとまだ、とまどってると思うけど。自分の体とのつき合いかたは、だんだんわかってくるわ。女の子ってすごいんだからね。男の子よりもずっと強いんだから。自信を持ってね」  少しして本鈴が鳴り、初めて保健室で放送朝礼を聞くはめになった。  それでも一時間目の授業が始まるころには、だいぶ冷静になれた。つくづく、保健室に来てよかった。パニクったまま授業に出たら、ますます具合悪くなったはずだ。  しんとした保健室で、天井をじっと見つめたまま、あたしは何度も身じろぎをする。  ああ、下着の中、なんか慣れないな。ベッド汚したりしないかな……。  初めてブラジャーをしたのは五年生のとき。クラスでは早いほうで、ちょっと優越感があったくらいだったけど。  今まで心のどこかで、生理が来ないことに安心してた。  部活やるなら、生理なんてないほうがいい。それもあるけどなによりも、あたしってやっぱり特別なのかも。そんなふうに思ってた。普通の女子じゃない、って。  それなら、好きになる相手が女だっておかしくない。そう、安心してた。  なのに、これが現実。あたしは女にまちがいない。  女なのに、女を好きになる。あたしはやっぱ、おかしいんだよな……。  そのまま一時間めを保健室で過ごしたあたしは制服に着替え、だるい体を引きずるように教室へと向かった。 「あっ、星那!」  教室に入るなり、花凜が心配そうにやってきた。 「大丈夫? 朝練で具合悪くなったって聞いたよ」 「ん……ああ、たいしたことないって」  めったに風邪もひかない、丈夫が取り柄みたいなあたしだ。ただごとじゃないって思ってるんだろう。心配そうな花凜の目をまともに見られなくて、あたしはふっと目をそらした。 「ほんとに大丈夫だから」  そう言って、あたしは自分の席に向かう。あたしに話す気がないとわかったのか、花凜はそれ以上聞いてこない。後ろめたい反面、ホッとした。  ありさが言うように、生理痛だってわかれば花凜は安心するんだろうけど。言いたくない。そんな……女子特有の言葉。いつもなら花凜に心配されるのはうれしいのに、じくじくとしたいやな気持が胸に居残った。
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