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千草の家は小さな呉服屋で、日中は店の仕事を手伝っていた。夕凪も住み込みで寺の奉公をしていて、月ノ蝶探しは夕刻からはじめられる。
夕凪はだいぶ渋っていたが、最後には諦めて千草がともに蝶を探すことを認めてくれた。ただし、「蝶のことをだれにも言わない」という条件を出されたため、千草は里の者たちに山を駆ける理由をどう説明したものか困る日々だった。
「千草、早く!」
急き立てられて、千草も必死に駆ける。追いかけるのは、夕凪の背中だ。やはり千草には、月ノ蝶は見えなかった。
おとぎ話に過ぎないのだろうな、と思う。けれどあまりにも夕凪が真剣な顔をしているから、もしかしたら彼女には見えているのかもしれないと思いはじめてもいた。
不思議で美しい蝶なら、いてもいいだろう。彼女は月ノ蝶の話をするとき、本当にうっとりとした顔をする。
――どれだけきれいな蝶なんだろう。
見えないことが、すこし悔しい。
と、そのとき千草は木の根に足を取られて、派手に転んだ。間抜けな叫びを上げて顔から地面に突撃する。
夕凪は見えない蝶を追ってそのまま進もうとした。だが数歩行ったところではっとして、「もう!」と引き返してきた。手ぬぐいを千草の顔にぐいぐいと押し付ける。
「また千草のせいで見失った」
「ごめん」
なんだかんだ言って、気遣って戻ってきてくれる夕凪に千草は笑った。
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