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「夕凪!」
千草は叫びながら山を駆けた。この山のどこかに夕凪がいるはずだ。見つけなければ。月ノ蝶なんて、探しては駄目なんだと、伝えるんだ。
蝶の話をするときの夕凪の笑顔を思い出すと、腹の奥からひやりと寒気が押し寄せる。彼女はもうとっくに、死に取り憑かれているのではないか。
そのとき。
千草はずるりと滑る感覚に、目を見開いた。転んだ身体が、斜面を転がり落ちていく。息ができなかった。岩にでもぶつけたか、一瞬、頭がカッと熱くなる。
夕凪――……。
しばらく、眠っていたのかもしれない。目を醒ますと、千草はうめいた。額に当てた手にぬるりとした生温かいものが触れて、ぞっとする。それでも身体を起こした。こんなところで立ち止まってはいられない。
そう顔を上げたとき、千草の視界に灯りがかすめた。朧の月が目の前を横切っていく。いや、月ではなく――、蝶が。羽をほのかに光らせて、ひらひらと蝶が飛んでいくのだ。
「蝶……」
夕凪が必死に追いかけていた蝶は、とても、とても、美しかった。目が引きつけられる。まるで月の天女が蝶に変じて舞い降りてきたようだった。千草はふらりと立ち上がる。
いつのまにか、まるで身体の痛みなど忘れて、蝶を追いかけていた。そのうち、一羽だった蝶が、二羽、三羽と増えていく。周囲がぼんやりと明るくなる。
どこをどう通ってきたのかわからない。夢の中にいるような気分だった。やがて、開けた崖に出た。
ふわりふわりと、蝶たちが舞い集い、その中央に、夕凪がいた。蝶と戯れる夕凪は心の底から幸せそうで、千草の顔にも笑みが浮かぶ。なんだ、蝶の群れが見つかったのか、よかった。
――そう思ったところで、はっとした。
「夕凪!」
夕凪はゆらりと振り向いた。やはり彼女の瞳は、ぼんやりとしていた。
「千草、なんで」
「戻ってきて、夕凪。そこにいちゃ駄目だ」
夕凪は首をかしげる。
「その蝶はきれいかもしれないけど、でも、死の蝶なんだよ!」
必死に叫ぶが、彼女はいまだ不思議そうにしていた。伝わっていないのか。千草は焦る。だが夕凪はなんてことないように言った。
「知ってるよ」
彼女の指に、ふわりふわりと、蝶が戯れる。
「だから追いかけてたんだもの。優しい死の世界にいけるんでしょう」
「え?」
夕凪はうっすらと微笑んだ。
「千草は帰ったほうがいいよ。千草まで死ぬ必要ないから」
最初から、夕凪は知っていたのか。知っていて、どうしてそんな恐ろしいものを……。
「あったかい家族っていいね。わたしも、ひとりはいやだ。帰る場所がほしい。だからほら、蝶に連れていってもらえたら、わたしも母さんたちに会えるでしょ」
夕凪の言葉に反応するように、蝶たちが舞い、彼女の足下が崩れ落ちた。
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