何度も

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 俺は、必死に逃げている。それ以外は何も分からない。ただ焦りだけが体を突き動かしている。  不安定な橋を渡り、崖をのぼる。坂をくだる。  いくら景色が変わろうが、追手を引きはがすことはできなかった。  嫌だ、追いつかれる、嫌だ。  そして今日も目が覚める。ハアハアと息を吐いてようやく、先ほどまで身体感覚など無かったのだと気づく。  夢だったのだ。  毎晩追いかけられる夢を見ているせいで、朝から体がずっしり重い。  夢は深層心理を反映するというが、仕事に追われているわけでもないし、結婚生活も順風満帆だ。  どうして何度も同じような夢ばかり見るのだろう。  俺は、必死に逃げている。しかしいつもとは違う。ここが夢の中だと、はっきりとわかる。  それでも逃げることはやめられなかった。夢といえど、後ろから追ってくる者への恐怖心は拭えなかったからだ。  捕まったらどうなるか分からない。俺は、相変わらず必死に逃げている。  そんなときだった。  前方に、眩く光る白い一線が見えた。  あれはゴールテープだ、と俺はすぐに理解する。  はやく、はやく、あそこまで!  俺は最後の力をふりしぼり、後ろから伸びる魔の手を避けて、ついにゴールテープを切った。  ぱんぱかぱーん! と間抜けな音が頭上で鳴るのを聞く。 「おめでとうございます! ゴールインです!」  一瞬で景色が黒に塗り変わり、異形の者が空から俺に拍手を送っている。 「な、なんだ?」 「よくぞ逃げきりましたね! いやぁ、あなたは才能あると思ってたんですよ! 合格です!」 「合格?」 「あなたは私の用意したコースをすべて走りきり、夢役者に合格しました」  ゆめやくしゃ? 聞き慣れない単語に戸惑う。橋も崖も坂も無いが、ここはまだ夢の世界なのだ。 「この夢から覚めるにはどうすれば良いんだ?」 「ちょっとちょっと、何言っているんですか? あなたはこれからここで働くんですよ! そう、夢の世界で! あなたも望んだことでしょう?」 「望んだって何を」  頭がずきりと痛み、何かひっぱられるような感覚がした。すると、黒い世界にぼんやりと俺の家が見える。妻がいる。そして、何か話をしている。 『……俺って常に人の先を行っているというか、追いかけられる側ばっかでさ、羨ましいって言われても困るよね。俺だってたまには追いかける側になりたいよ。こう、熱くなったりさ……』  そこまでしか見えず、視界はまた真っ黒に戻った。異形の者が俺の目の前に飛んできて嬉しそうに言う。 「これからは追いかける側ですよ! よかったですね!」 「違う、望んでない……」 「まあ、あなた神に上手くつくられすぎてますし、調整としてね……」  先ほどから、からだ中をつねったり叩いたりして自力で起きようとしているが、感覚がなく、どうにもできない。焦燥感がわく。 「……もしかして、俺は二度と夢から出られないのか?」 「大丈夫ですよ。夢の中と現実の時間は別軸ですから。役目を終えて目覚めたときはちゃんと次の日の朝です」 「目覚めることはできるんだな! 役目を終えるってなんだ?」 「あなたが夢に出演して、夢の主を捕まえるか、夢の主が走りきってゴールするかです。捕まえることが出来たらあなたは帰れます! 相手も不合格となりますので、まあつまり、あなたのようにならずに済みますね」  つまり、逃げる者を追いかければ良いのだ。なんで俺がそんなことをしなければならないのかは分からないが、夢から出る手段がわからない以上従わざるを得ない。  追いかけられ続けたあの日々よりは、追いかけるほうがマシだと思えた。  俺は、必死に追いかける。それ以外は何も考えない。妻のもとに帰りたいという想いが、体を突き動かしている。  不安定な橋を渡り、崖をのぼる。坂をくだる。  夢の主とやらは逃げながら、俺にペースを合わせているのかと思うほど、一定の距離を保ち続けている。近づけないし、離れもしない。背中は見えているのに、いつまでも捕まえることができない。  やはりこれも悪夢なのだ。  そんなときだった。  前方に、眩く光る白い一線が見えた。  あれはゴールテープだ、と俺はすぐに理解する。  はやく、あいつを、捕まえないと!  俺は最後の力をふりしぼり、目いっぱいに手を伸ばすが、あと少しのところで届かずに、ゴールテープは切られてしまった。あいつは夢役者になってしまうだろう。  だが、これで俺は帰れる。  夢の世界から体が消えていく最中、異形の者とすれ違う。 「そう、大変だったのね」  俺の話を聞いて、妻が笑う。全く信じていない顔だ。それでも良い。この笑顔が見れただけで、俺は幸せだと思う。 「これも笑い飛ばしてくれるか? 最後、空を見上げる夢の主を見た。きっと違うんだ。でも見間違いでなければ、あれは、俺だったかもしれない」
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