4人が本棚に入れています
本棚に追加
午前十一時。天気は雲一つ無い、すっきり透き通る様な晴れ。
準備にちょっと手間取ってしまった…一人でするのはやっぱり大変だなぁ…。
ほぅと一息つき、麦茶を一口。涼やかな香ばしさが口いっぱいに広がっていく。
それから持っている中で一番思い入れの深い服を着て、日差しが少し強いから…んー…つば広の帽子と、日焼け止めと…と、ばっちり防御して。
…ちょ、ちょっと…気合い入れ過ぎた…かな?
『おー、やっぱり似合うなぁー』
『…なんだか凄い違和感あるんだけれど…普段あんまりこういうの着ないし…。
変じゃない?…というか周りから浮いてない?』
『変じゃない変じゃない、浮いてない浮いてない』
『うわぁ…適当…』
『いつもより一.三七倍大好き!』
『なんでそんなに刻むの?』
『いやぁ…いつもが大好きちゅっちゅ丸だから…』
『うわぁ…よくもまぁそんなこっぱずかしい事を…』
『らびゅ!』
『ステイ』
『わふっ!…というかこんな機会じゃないと滅多に着る事も無いしさ、たまには良いんじゃない?』
「…そうね。
こんな機会だし…あなたが大好きと言ってくれたから…」
うん、この服にしよう。
…本当の事を言うと、今日はこの服以外、コーディネートが全く思いつかなかった。
今日みたいな日は、この服が良い。
『よっしゃー!準備万端!
それじゃあ…初めてのデートにレッツゴー!』
『あっ、ちょっ、ちょっと待って!』
テンション高めでさっさと行ってしまうあの人を追いかける為、慌ててサンダルを履く。
色々なところに出掛けるのが好きなあの人に合わせて買った、動きやすいサンダル。
もう随分と長く履いている気がする…だいぶへたれてはきたけれど、今日一日は充分に保ちそうだ。
「行ってきます」
声を掛け、急いであの人を追いかけた。
歩く。
歩く。
自転車にも乗らず、車にも乗らず。
『どうしてあなたはいつも乗り物に乗らないの…?』
『あ、ごめん…こうして歩いた方が色々と発見が多くてさ』
『ううん、全然良いんだけれど…発見?』
『うん!
例えばほら!そこの植木鉢!』
『…普通の植木鉢だけれど…』
『うんまぁ見た目はそうだよね。
それじゃあ、あの植木鉢にもし植木鉢にそぐわない物…例えば、神が宿る木が植わっていたら?』
『…んー…まずはどうしてそんな物が植わっているかを考える…』
『そうそう!…そうしてそこから物語は始まっていくんだ。
ほら、大変だけれど楽しいでしょ?』
『…そりゃまぁ…楽しいけれど、作家ってやっぱり大変なのね』
『大変に見合うだけの価値があるお仕事だよ、作家は』
植木鉢を見る。
何も植わっていない、空っぽの植木鉢。
「…植木鉢から、なんでも願いが叶う木が生えれば良いのに」
植木鉢に手を合わせ、私はまた歩き出した。
『ここのメロンパン!超絶品なんだよ!』
『…あ、確かにここの包み紙、良く見るかも』
『そーそー!
君にも何度か食べて貰った事のあるあのパン!美味しかったっしょ!?』
『うん、確かにすっごく美味しかった』
『普段はお持ち帰りだけれど、実は焼きたてが一番美味しいんだよねー!
おっちゃんー!』
『いやそんな顔馴染みみたいな感じで…』
『あいよー!いつもありがとうねー!』
『あ、そんな感じなんだ』
「…メロンパンを二つ下さい」
「あいよ。…はい、焼きたて二つね」
どこか寂しそうに笑う、柔和な顔の店主さんが、紙袋に二つ、焼きたてのメロンパンを入れて手渡してくれた。
温かい。
ほかほか、焼きたてのメロンパン。
…紙袋から一つ取り出し、はくりと一つはぱくつく…うん、美味しい。
やっぱり焼きたてのメロンパンは最高だ。あっという間に食べ切ってしまった。
メロンパンの残った紙袋をサコッシュにしまい、舌にじっくりと、メロンパンの味を、染み渡らせながら、また歩き出した。
『結構遠くまで来たね』
『…あ、ご、ごめん!つい色々夢中になっちゃって…!』
『ううん、結構楽しかった』
『そ、そう?それなら良いんだけれど…』
『多分あなたが色々話してくれたからだと思う』
『え、そうなの?』
『うん。
道中色々、いっぱい話してくれたから、歩くの全然苦じゃなかったよ』
『え、あ、そ、そう?…良かったぁ』
あの人のへにゃりとした顔が見えた。
いつもいつも、その笑みを見ると、何故かほっとするのだ。
『…それにしても……ここ、どこだろ…?』
『あなたでも分からないんだ』
『うーん…僕も、いつもお散歩で方々歩いてはみてるけれど…なんか変な場所に迷い込んじゃった』
『そんな事もあるんだね…』
『まぁこれもおさん…創作の醍醐味って事で!』
『やっぱり創作よりお散歩なんだね…』
『…な、何故それを…!』
『うーん…会話の流れ的に?』
『…君、観察眼とか、創作に非常に向いてると思うけれど…なんか一本書いてみない?』
『…ちょっと興味あるかも』
『よっし!そうと決まったら早速お散歩再開再開!
…んで、どこに行こっか!?』
『…本当、お散歩は楽しいけれど、無計画なのはさすがにどうかと思う…』
『む、無計画じゃないよ!ほら!』
『…木の枝?』
『これをこうして…』
『…まさか』
『やっぱり君、勘の良さが創作向きかもね?
…んー…あっちか。
よし!それじゃあ枝が指し示す方へ!』
『行き当たりばったり…』
『…あー…やっぱあかん…かな?』
『…ちょっと楽しみ』
『よっしゃれっつごー!』
ぱたんと倒れた木の枝が指し示す方へ、あの人を追って歩き出す。
道中食べたメロンパンは少し冷えてしまったけれど…やっぱり美味しかった。
『…こんなお店あったんだ…』
『雑貨屋さん…だよね?』
『た…ぶん…?』
「…いらっしゃい」
「…こんにちは」
雑貨屋さんの中にいたのは、不思議な雰囲気の女の子。
真っ黒な服に身を包み、真っ白な髪に、真っ赤な瞳。
どこか古の賢者の様な雰囲気を持つ、小さな女の子。
「…どうぞ中に」
「…はい」
『うわぁ…すっご…』
『…本当に凄い…』
あの人の目が一気に変わる。
いつものへにゃりとした顔から、鋭い観察眼に…作り手の目に変わる。
…ああ。
この目に。
何もかもを見透かし、遙か彼方を見て、無限の世界を思い書き上げるあの目に、私は惹かれて。
…そうして、始まったんだよね。
貴方と私の、愛しき日々が。
『はい!これ!』
『…これは?』
『…あー…広い意味で、プレゼント?
こういうの好きそうだし、珍しいし!』
『なんだか凄く高そう…む、無理してない…?』
『う…うん!ダ、ダイジョウブダヨー』
『…目がすっごく泳いでる…』
『ほ、本当に大丈夫!ね!店員さん!』
『…………お買い上げありがとうね』
『目線逸らされた…!』
『う、嬉しいけれど…無理はしないでね?』
『大丈夫!もやし美味しい!』
『確かに美味しいけれど』
「これ下さい」
「…すぐ着ける?」
「え…あ、はい」
「分かったわ、ちょっと待ってね」
店員さんに一万円を払い、封を開けて貰って、それを胸元に付ける。
一品一品手作りの、オーロラの様に角度で色が変わる、特殊な素材をつかった、とってもとっても綺麗な蝶のブローチ。
「…お似合いよ、とても」
「…………ありがとうございます」
店員さんが寂しそうに言ってくれたその言葉に、深く深く、お辞儀を返した。
『いやー!歩いた歩いたー!ジュースおいしー!』
『うん、美味し…ふぅ…』
『創作意欲ももりもりだし!帰ったら原稿作業かなー』
『じゃあお夕飯、私作るね』
『んー…それも素敵だけれど、出来合いで今日は済ませない?』
『良いけれど、どうして?』
『いやだって大好きな人がちょろーっと創作に興味出て来たんだよ!?なんかもうこの機会を逃す手は無くない!?』
『あ、いや、確かにちょっと興味は出たけれど…そんなしっかりした物、素人の私が書けるとは思えないし…』
『しっかりした物をー、なんて、僕でも難しいよ?』
『え?でも…』
『執筆に必要なのは書きたいっていう意志!
執筆の技術や道具は後から着いてくるし、後でも用意できるし!』
今日の経験!体験!感じた事!思った事!全部全部大切な事だし、すーぐ消えちゃうもん!
…本当…すぐ消えちゃうんだよね…アイデア…』
『思い出す為に結構荒れたもんね…』
『だーかーら!うぇるかむとぅ創作の世界!』
『…まぁ創作の世界に足を踏み入れるかは別として、久しぶりに出来合いのでも良いかもね…うちの近くのスーパー、確かそろそろ半額の時間だし』
『ギョーザ!あのこってり超えてぎっとりのギョーザ食べたい!』
『私も久しぶりに天ぷら食べたいかなー』
『半額で売ってるかなー』
『まぁ売ってなくても良いけれど』
『ほんとっ!?』
『うん、たまにはね』
『じゃあカツ丼も追加で!』
『食べ切れるの…?』
『…なんとか?』
「…あ、半額…」
手に取ったギョーザも、天ぷらも、カツ丼も、全部半額だった。
躊躇う事無く、かごの中に入れていく。
『んー!ご飯食べてからの創作楽しみー!』
「…そうだね…うん、私も楽しみ」
お会計を済ませ、スーパーを出て、歩き出す。
帰ろう。私達の家に。
「…ただいま」
部屋の電気を付け、買った物をテーブルに置き、その前に座る。
『食べよ食べよー!お腹減ったー!』
『…ちょっと買い過ぎたかな…久しぶり過ぎて感覚忘れちゃった…』
『大丈夫大丈夫!これぐらい軽い軽い!』
『本当良く食べるね…』
『創作も体力勝負だからねー!』
『そういうもの?』
『そういうもの!
それじゃあ…!』
「いただきます」
レンジで温めた物を食べ始める。
一口、一口、口に運んでいく。
『うっま…久しぶりに食べたけれど、こんな美味しくなってるんだ…』
『…ちょっと私もびっくり』
食べる。
黙々と、もぐもぐと。
『…あ、でも君のご飯には勝てないよ!?』
『慰め無用絶対超えてみせる…!』
『あらー…変なところの闘志燃やしちゃった…』
一瞬だけ、喉に詰まる。
麦茶で流し込み、食事を再開する。
『…ちょっと油っこい…』
『結構ずっしりくるね…ギョーザ、半分食べる…?』
『一人で食べ切るつもりだったの…?』
やがて、食事は終わる。
全部食べ切って、手を合わせる。
「…ご馳走様でした」
『ご馳走様でしたー!食ったー!』
『結構お腹いっぱいになるね…』
『…あ!』
『どうしたの?』
『そーいえば使ってない端末一個あった!』
『…それがどうしたの?』
『それなら君も書けるかも!』
『…とりあえず、どこにあるの?』
『押し入れの中!黒いやつ!』
『ええと、黒いやつ、黒いやつ…』
押し入れの中から黒色の端末を出し、電源を入れる。
…良かった。電源、生きてた。
『…でも小説って、どうやって書くの?』
『ええとね、書き方はね…』
あの人に教えて貰った様に、書き進める。
書いて、書いて、書いて、書いて。
ひたすらに、一心不乱に書いて。
どれぐらい時間が経ったか、分からないけれど。
「…………できた」
あとは最後の文章を添えて…よし。これで完成だ。
ようやっと書き上げたお話、それが収められた端末の電源を落とし、テーブルの上に置く。
出掛ける前準備していたそれに、手を掛け、顎を掛け、首を掛け。
「…ううう…ううううう…うううう…!」
声を噛み殺し、奥歯を噛み締め、ぎゅっと閉じた目から、ぼろぼろ、ぼろぼろ、大粒の涙が零れ落ちていく。
あなたを追いかければ、私は、
あなたにもう一度、会う事ができますか?
最初のコメントを投稿しよう!