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祝杯の後に
#7
マンハッタンの42階のペントハウスから見える夜景は、作り物のようだった。観光用のヘリコプターはリモコン操作の玩具にしか見えない。
ジェイムス・B・ホーンタッグは、180度パノラマビューの窓から離れ、イタリア製の赤いソファに体を沈める。
ソファの傍には、今朝のニュースペーパーが開いたまま置かれていた。紙面には、ロイヤルダッチシェル社が、また新しい石油の採掘場の発見に成功したと大々的に報じていた。
自分が住んでいた敷地だと彼はすぐにわかった。新聞を読んでほどなく、電話がかかってきた。ケイトからだった。彼女は違法ドラッグでもやっているかのようにハイテンションだった。石油が出たことと、室長から幹部になれたとの話だった。
それはよかったとジェイムスは言った。ディナーに誘われたがやんわりと断った。ケイトと話すことなどひとつもなかったし、話したいと微塵も思わなかったからだ。
あの日、つまり、ケイトがジェイムスの胸に契約書を押し当てた日。
服を脱ごうとしたケイトに、そんなことはしなくてもいいと言い、その場で契約書にサインをした。怪訝な顔をしていたケイトだったが、金だけ振り込んでくれればいいから帰ってくれと言ったあとは、契約書を後生大事に抱え、逃げるように砂埃を上げ、底意地の悪い一本道を帰って行った。
そして、採掘調査の人間やよくわからない幹部連中は何度も来たが、彼女は二度とはやって来なかった。
ジェイムスは自室のバーカウンターに設置されたワインセラーからドンペリニョンを1本出し、シャンパングラスを6つテーブルの上にきちんと配置して置いた。
布をコルクに巻いて抜き、7つのグラスひとつひとつにシャンパンを注いでいく。
彼は自分のグラスを持ち上げると、静かな声で言った。
「みんなのために」
グラスが触れ合うチンという音が、部屋に響く。
彼の4人の弟や妹、両親の笑顔が弾けていた。
なんて賑やかな家族なんだ。
騒がしいくらいだ。
これじゃあ、近所迷惑だよまったく。
ジェイムスは目を細めてその光景を眺めながら、数十年ぶりに微笑み、シャンパンを喉に流し込む。
40数年がつむじ風のようにジェイムスの体の中を吹き抜けて行った。
頭がゆっくりと、これ以上曲がらないところまで垂れる。彼はグラスを持ったまま、小刻みに震えていた。
白い大理石の床に、シャンパンではない雫が、ポタリポタリと落ちる。手から離れたグラスが舞うように落下し、白い床で砕け散った。
【了】
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