本当の、最後の仕事

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本当の、最後の仕事

語り終えると同時に、駅のロータリーに着いた。 料金は、往路と同じ950円。後部座席を占める三人のうち、終始怪訝な様子だった母親が、ぱっと財布を開いて千円札を突き付けてくる。 50円を返す暇もなく、車外に転がり出ていった。関わりたくない、と言わんばかりに。 話をしろと私にせがんだ青年は、石のように固まっている。振り向くと、後悔の念が伝わってきた。話させて申し訳ない、という目。 打ち明ければ、こんな空気になるのはわかっていた。人に語り聞かせたのは初めてだったが、思ったより頭と心が凪いでいる。今なら、20年前の事件について冷静に調べられるかもしれない。 「到着していますよ。どうぞ、お降りください」 「うん……。ほら、パパ。……パパ?」 青年が、隣に座る父親の肩を揺らす。途中から、顔を覆って項垂れているのは知っていた。酔いが回ったか。 「仕方ない。ママ、車取ってこよう。おじさん、もう少しここにいてくれる?」 「ええ」 「ありがとう。……今度からタクシーに乗る時は、ちゃんと行き先を言うようにする」 青年は母親と共に歩き去った。最後の仕事が無事に終わった――その実感を与えてくれる一言を残して。 彼を乗せた直後こそ、どうなることかと思ったが、今日の場合は「追いかけてよかった」。私には過ぎた巡り合わせだ。 「優しい息子さんですね。東京で、やりたいことがあると聞きましたよ。……皆さんにとって、良い結果になるといいですね」 お節介を承知で、後部座席に呼び掛ける。一人残された父親が、鈍く顔を上げた。 「すみませんでした」 「はい?」 ぬっ、と手が伸びてくる。彼は私の手に額をすり付け、泣き縋った。 「私です」 「ど、どうしました」 「おぼえていませんか」 父親が腕で目元を拭い捨てながら、顔を上げる。不意に、今が"いつ"なのか、わからなくなった。 「見覚えがある」と断言はできないが、この人はもっと若く、着ているスーツもしゃんとしていたような。私も、こんなに白髪交じりの頭じゃない気が、 「『前のタクシーを、追ってください』」 体の芯が、うち震える。 私はこの声を知っている。原点だから。 手足が、音を立てそうなほど小刻みに振れる。アクセルを踏み倒す勢いで、どこかへ駆け去りたいのに、自分の意思でろくに動かせる場所が一つもないのだった。 「さっきの話……ぼくが20年前に体験したことと、全く同じです」 「あ、ぁ、ぁあ」 「大丈夫です、ぼくはあの事件の犯人じゃありません」 真正面から抱き締められ、背中をさすられる。汗も涙も鼻水もとめどなく垂れ流れて、どうしようもなかった。 彼は、それしか言葉を知らないかのように、「すみませんでした」ばかりを繰り返す。 「確かに、あの日ぼくが告白しようとしていた女性が、ストーカーに刺されました。彼女、もともと被害に悩んでいたんです。退職と帰郷は、そのせいでした。事件のせいで重傷を負いましたが、一命は取り留めました」 「……おく、さま、ですか」 首が横に振られる。 刺された女性は、酷い男性恐怖症になり、想いを告げるどころではなくなったという。たまの手紙で近況を報告し合うのが精一杯だった、と。 彼もまた、あの事件を期に会社を辞め、東京を離れて今に至るそうだ。 「彼女は故郷で素敵な人に出会い、家庭を築きました。ちょうど一年前、病死してしまいましたが……」 「そうでしたか」 「でもね、あなたがあの日、ぼくを駅まで送り届けてくれなければ救えなかった命ですよ。犯人が彼女に襲いかかった時、ぼくが近くにいたから、とどめまでは刺させずに済んだんです」 そう言って、彼は右腕を見せた。肘の辺りに、斜めに入っている縫い跡がある。「彼女を守ろうとしてついた、勲章です」。 もっとよく見たいが、視界が殊更ぼやける。目鼻口がひしゃげて、一つにまとまってしまいそうだ。 「そうだ。もうすぐ、彼女の一周忌なんです。妻と子どもには何も話せていないので、一人で墓参りに行くつもりでしたが、一緒にどうですか」 最寄り駅から少し遠いので、タクシーに乗せていってほしいと言う。 本当の「最後の仕事」は、どうやら今回にすべきではないようだ。 お安いご用だと、何度も頷く。全国どこへだって行こう。 「ええ、喜んで」
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