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11
最初にゲイリーが振り返り、次いでレインやウィーザー、その他の選手たちも同じ方向へ顔を向ける。
反対側のゴールポスト前で、ハーツとアレックスが何やら言い争っている様子だった。ブッカーコーチは間に入って取りなそうとしていて、他の選手たちは遠巻きにして眺めている。
レインはハッとなった。脳裏には昨夜のことが雪崩のように流れてくる。考えるよりも先に身体が動いて、二人の側へ走って行った。
「なぜ私の言う通りにできないんだ、アレックス」
ハーツはアレックスへ盛んに指を差し、怒りを押し殺したような声で叱責している。それに対して、アレックスは顎を上げて、その指を睨みつけている。
「君は馬鹿ではないはずだ。このイングランド代表に選ばれたくらいだから」
「ええ、勿論です、監督」
アレックスはどこか横柄に頷いた。
「僕は馬鹿ではありません。ただ、監督の言っていることが理解できないだけです」
側にいたレインはびっくりした。アレックスがこんな傲慢な言い方をするなんて思いも寄らなかった。
「なら、君はここにいる必要はないな」
ハーツはくだらない時間を持ったと言わんばかりに、冷たい眼差しになる。
「出口は向こうだ。今すぐ帰りたまえ」
手でグラウンドの出入り口を指すと、アレックスへ背を向ける。
「待ってください、監督。アレックス、君もだ!」
ブッカーが慌てて声をかける。だがアレックスも身をひるがえした。
そこへ騒ぎを聞きつけて宿舎から走ってきたキャプテンのヴェールが、息を切らしながらアレックスを止めに入る。
「待て! レックス! 何が起きたんだ!」
アレックスの腕を捕まえようとした。しかしアレックスは素早く避けると、ヴェールを見もしないまま、グラウンドから離れて行く。その後をブッカーがヴェールへ目配せして追いかけて行った。ヴェールは呆然としていたが、急いでハーツへ向き直る。
「いったい何があったんですか?! 話して下さい!」
「何もない。ところで、君も足の状態が良くなったのなら、練習に入りたまえ」
「練習には入ります。けれど、レックスをこのまま帰してしまっていいとは思えません!」
「それを判断するのは私だ。君ではない」
アレックスを庇うヴェールと、冷ややかに応じるハーツ。二人の口論を目の前で見ていたレインは、後ろから肩を叩かれて我に返った。
「何が起きたんだ? お前も大丈夫か?」
ゲイリーはハーツとヴェールに目をやりながら、顔つきが強張っているレインも気にとめる。
「あ、うん……」
レインはぎこちなく相槌を打つ。だがアレックスのことで頭がいっぱいだった。
――やっぱり、何かがあるのかな……
履いている練習用サッカーパンツのはじを、ぎゅっと掴む。自分を慰め励ましてくれた優しい姿が、忘れられない。
――アレックス……
居ても立っても居られなかった。
レインは走り出した。
「レイン!」
ゲイリーは驚いたように叫ぶが、振り返らなかった。ハーツとヴェールも同時にレインへ顔を向けるが、レインは躊躇うことなくグラウンドを出ると、センター内へ駆け込んだ。それから、自分とアレックスがルームメイトになっている部屋へまっしぐらに向かう。
――何があったかわからないし、わからなくてもいいけれど、このまま終わってしまっていいはずがない……
やがて、階段をあがって部屋の並ぶ通路に出ると、ブッカーがうろうろしているのが見えた。
「コーチ!」
レインが息を乱して駆け寄ると、ブッカーは少々びっくりしたようだった。
「アレックスは部屋の中ですか?」
「ああ、そうだが。レインはどうしてここへ?」
「アレックスが心配で。本当に帰ってしまうのなら、絶対に引きとめようと思って」
閉じられた部屋の扉を見る。自分の声が聞こえただろうか。
「そうか……」
ブッカーは疲れたように溜息をついた。
「私も説得したんだが、彼の気持ちを変えられなかった。しばらく一人にさせたら、落ち着くとは思うんだが……」
もどかしそうに、語尾を濁す。
「でも、落ち着かないまま、帰っちゃうかもしれないですよね」
実際に帰ってしまった選手の姿を思い出して、レインは口元を引き締めてドアに向き直ると、丸いノブをがっちりと掴んで回し、静かに開ける。
「アレックス、入るよ」
一応、声をかけて中へ足を踏み入れると、ベッドの横でアレックスが練習着を脱いでいた。
レインは慌てて近寄る。
「何をしているの? アレックス」
「もちろん、帰るから着替えているんだよ」
アレックスはレインを見もしないで、そっけなく答える。
「待って、アレックス。まずは落ち着こうよ」
「僕は落ち着いているよ。ほら、ちゃんと着替えているだろう? 練習着のまま帰ろうとはしていないからね」
皮肉めいた言葉で答える。
「そうだね。冷静で良かったよ」
レインも怯まずに言い返す。
「でも、本当に帰るの?」
「ああ、帰るよ。監督に帰れって言われたからね」
アレックスは自嘲気味に笑う。
「僕も、バトラーのことは笑えないな」
そう呟きながら、白いワイシャツに腕を通す。
「試合は明日だよ、アレックス」
重大なことを思い出させるように、レインは繰り返す。
「明日が、予選最後の試合なんだ。勝たなきゃ、オレたちはユーロに出られないんだよ? サッカーの母国って言われているオレたちイングランドが」
「僕にはどうだっていい」
アレックスは興味がなさそうに、ワイシャツのボタンを締めていく。
「だから何? サッカーの母国だから、ユーロに必ず出場しなければいけないなんて法律なんかないよ」
どこか投げやりな口調だった。
「……」
レインは絶句する。まるでハンマーで叩かれたように、強い衝撃を受けた。目がくらくらして、舌が渇いていく。アレックスがそんなことを口にするなんて信じられなかった。
「……どうして、そんなことを言えるんだ!」
気がつけば、叫んでいた。
「何がどうでもいいんだ!」
家族が浮かぶ。母親の嬉しそうな笑顔。父親の落胆しながらも励ましてくれた言葉。兄弟たちの心からの祝福。
「どうでもよくないだろう! オレたちは勝つためにここに来たんだろう!? アレックスだって、一緒に荷物を背負ってくれるって言ったじゃないか!」
大きく鼻を啜る。自分は泣いているんだと、この時わかった。
「昨日オレに喋ってくれたことは嘘だったの!? 教えてくれアレックス!」
「レイン……」
アレックスはボタンを締めていた手を止めて、困惑気にレインを見た。先程まできつい色合いを見せていた青い瞳は、戸惑うように揺れ動き、ベッドサイドにあるティッシュペーパーに手を伸ばして何枚か取ると、レインへ差し出す。
「泣かないでよ、レイン。僕が困るじゃないか」
「だって、悔しいじゃないか!」
レインは唇を噛みしめる。何が悔しいのか。合宿に参加してから感じていた苛立ちが、堰を切ったように口から悲痛な言葉となって溢れ出る。
「オレもシュートは決まらないし!……こんなんじゃギリシャに勝てないよ!」
初のスリーライオンズ代表に選ばれたのに。
「ゲイリーのおっさんも本当はオレに呆れているよ! オレよりももっとうまい奴が選ばれれば良かったのに!」
「そんなことを言うんじゃない」
アレックスはなだめるように、ティッシュペーパーでレインの涙ぐんだ目元を軽くぬぐう。
「落ち着いて、レイン。変な風に考えては駄目だ」
「落ち着いているよ! オレは!」
レインは癇癪を爆発させた子供のように言い返す。
「もっとうまい奴だったら、アレックスだって、どうだっていいだなんて言わなかったはずだ!」
「そんなことはない! レイン!」
「絶対そうだろ!」
「違う!」
アレックスはティッシュペーパーをゴミ箱に投げ捨てると、レインの両肩を激しく掴んで揺すった。
「しっかりしてくれ! レイン! 違うんだ!」
目を見つめて、真剣に訴える。
肩を揺すられたレインは、驚いて口を噤んだ。だが、自分へ向けるアレックスの必死でいて切実な眼差しに、荒ぶるっていた気持ちが波が引くように大人しくなっていく。
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