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「違うんだ……」  アレックスは辛そうに吐き出した。 「僕には……僕の……事情が、あるんだ」  まるで銃で胸を撃たれたように、途切れ途切れになる。 「……耐えられると、思ったけれど」  アレックスはもう無理だというように俯く。レインはとっさに手を差し出して、アレックスの身体を抱きしめた。 「大丈夫? 顔色が悪いよ」  アレックスの顔を横から心配そうに窺う。 「大丈夫だよ、レイン……ごめん、君を泣かせるつもりはなかったんだ」  顔をあげて、弱々しく笑顔を浮かべる。 「オレこそ、ごめん」  レインもすぐに謝った。アレックスこそ泣きたい表情になっていて、罪悪感が一気に湧いた。 「ほんとにごめん、アレックス」  アレックスは首を横に振る。 「レインのせいじゃないんだ……レインは正しいんだよ……ただ、僕は自信がないんだ」 「……自信?」  プレーのことかと思ったが、アレックスの様子はそうではないようだった。 「僕が、もっと強ければ……」  アレックスはどこか遠くを見つめるように視線を流しながら、うわ言のように呟く。 「……力が、あれば」 「レックス!!」  突然、部屋のドアが開いた。  入ってきたのは、ヴェールだった。 「監督に謝りに行くぞ! さあ一緒に!」  息を荒げながらアレックスの腕を掴むと、問答無用で引っ張っていく。 「嫌だ!」  アレックスは抵抗して、腕を掴む手を振り払おうとする。 「僕は帰る! 腕を放せジョナ!!」 「そんな子供みたいなことを言うんじゃない!」  ヴェールは厳しく一喝する。 「僕たちはプロのサッカー選手なんだぞ! ここへは明日の試合に勝利するために集まったんだ! それを忘れるんじゃない!」 「忘れてはいないさ! 監督が僕に帰れと言ったから命令に従うだけだ!」 「レックス!!」  母親が駄々っ子を叱るような声だった。 「僕たちはイングランド代表なんだぞ! 自分の気持ちに振り回されるんじゃない!!」  腕を掴んだまま、アレックスの目を食い入るように見つめる。 「冷静になるんだ、レックス! いつもの自分に戻るんだ!」  その強い眼差しは、叱咤する言葉以上に何かを訴えているようだった。 「……ジョナ」  アレックスはまるで平手打ちを喰らったような表情になる。何かを言いかけた口元は、狼狽えたように歪んだ。 「アレックス、ジョナサンの言う通りだよ」  そばで見ていたレインも、熱く口をひらく。 「一緒に戦って欲しいよ。オレたちだけじゃ力が足りないよ、アレックス。お願いだよ」 「レイン……」  アレックスは交互にヴェールとレインを見て、困ったように首を振る。途方に暮れるような、逃げ道がないような――表情は硬いが、心が揺らいでいるようだった。 「僕と一緒に戻るぞ、レックス」  ヴェールは力を込めて、もう一度言う。  アレックスはその声に引っ張られるように、ヴェールを向く。まだ頬は頑なに強張っているが、目元はだいぶ和らぎ、落ち着いていた。 「――わかった」  やがて、呟いた。  途端に、レインが両手でガッツポーズをする。 「やったあ! ありがとうアレックス!」  大はしゃぎでアレックスに抱きつく。 「これで試合もきっと勝てるよ! 頑張ろうよ!」  まるでもうその試合に勝利したかのように、飛び跳ねて大喜びする。  抱きつかれたアレックスは、びっくりしてよろめいた。何故レインがこんなに喜ぶのかわからずに、ヴェールへ面食らったような視線を投げる。 「オレも絶対ゴール決めるぞ!」  レインはやる気満々になって、拳を振り回す。  目を白黒させるアレックスへ、同じくレインのはしゃぎっぷりに苦笑いしたヴェールは、アレックスの腕を離すと、イングランド代表のキャプテンらしい威厳に満ちた重々しさで頷いた。 「うちのワンダーボーイのために、まずはレックス、練習着に着替えようか」  アレックスはレインの様子をどこか眩しそうに眺めると、うんと頷いた。  それから、すぐに練習着に着替えると、ヴェールを先頭に部屋から出て行く。扉の前にはブッカーがいて、アレックスの姿を確認すると、安堵したように笑顔が広がった。 「良かった、アレックス。心配したぞ」  背中を嬉しそうに叩く。  アレックスは控えめに表情をゆるませた。だが何も言わなかった。 「これからが、本当の練習だ」  代わりに、ヴェールが振り返って答える。 「明日の試合は、絶対に勝たなければならない。それを確認できた時間だった」 「頑張るぞ!」  レインが拳を上げて張り切る。  その時、通路の先の方で誰かがいる気配がした。真っ先にヴェールが気づき、次いでアレックスが、最後にレインが驚いた。 「あれ!? ギル!」  ギルフォードが両腕を組みながら、通路の壁に背中を寄せて立っていた。 「ああ、彼も先程来てくれて……」  ブッカーが言いかけるが、ギルフォードは部屋から出てきた三人を見ると、寄りかかっていた壁から身を離して、踵を返した。 「待って!」  ペナルティエリア付近でボールに素早く詰め寄る速さで、レインは三人をかき分けて近づく。 「ギルも心配して来てくれたんでしょう?」  ほら、というように、アレックスの方へ腕を差し出してみせる。 「大丈夫だよ。アレックスは帰らないよ。オレたちと一緒に、明日の試合を戦うよ」 「ふん」  ギルフォードは皮肉たっぷりに鼻で笑った。 「優秀なサイドバックが帰らないのなら、明日の試合で負けた時の言い訳ができなくなったな」  いつもの調子で言い捨てると、もう見向きもしないで離れて行く。  レインはその相変わらずな態度にポカンと口をあけたが、すぐに肩をすくめて振り返った。 「ギルも嬉しいってさ」  アレックスはただ無言で、吸い寄せられたようにギルフォードが去った通路の方を見つめていた。 「よし、それじゃ僕らも行こうか」  ヴェールが改めて声をかける。 「そうだな」  ブッカーが頷いて、アレックスの肩を軽く叩いた。アレックスは我に返ったように顔を動かし、小さく首を振る。  レインはアレックスの様子を見守りながら、居なくなったギルフォードのことを考えた。通路で待っていたのは、絶対にアレックスを引き留めるためだろう。素直に言えばいいのにと思ったが、細胞の一つ一つがひねくれている同僚には、それは死に値することなのだろうと内心呆れた。たとえば、吸血鬼が太陽の光を浴びたら灰になるように。  ――まあ、いいか。  アレックスもどことなく嬉しそうだし――  レインは一人ニヤけると、先を行く三人の後ろにくっついていく。  グラウンドに戻ると、選手たちはまだ練習をしていて、ハーツやコーチたちが指導していた。  ブッカーやヴェール、アレックスは揃ってハーツの元へ行く。それを見送って、レインもシュート練習に戻った。 「お、帰って来たな」  ちょうど転がってきたボールを足で受け止めて、ゲイリーは振り返る。 「うん、オレも練習しなきゃ」  ゴールポスト前にはキーパーのウィーザーがいて、レインに気づくと手を振った。 「明日は、絶対に勝つんだ」  レインも元気よく手を振り返す。 「勝てるだろ」  ゲイリーはそんなレインの様子を見ながら、ボールを軽く蹴る。 「何で? おっさんがゴールを決めるから?」  流れてきたボールを足で止めて、レインもすぐに蹴り返す。 「そうじゃない」  ゲイリーも手慣れたようにボールを止める。 「お前が元気一杯な時は、リーグの試合はほとんど勝っているからな」 「え? そうだっけか?」 「そうだ」  愉快そうにゲイリーは笑うと、またボールをひょいと蹴る。ボールはレインの足元へ、吸い込まれるように転がっていく。 「打ってみろ。絶対決まるぞ」  親指を曲げて、ゴールポストを指す。  レインは履いているサッカーシューズの裏でボールを押さえながら、ゴールポストに身体を向けた。ゴールポストは大きく見えるようで、そうではない。だから、難しい。  ――よし。  レインはボールから後退った。ゲイリーに言われて、なぜかシュートが入りそうな予感がした。  レインの動きに合わせて、ウィーザーも両手を上げて、ゴールポスト前に立つ。  レインは肩の力を抜いて、深呼吸をする。ちらりと背後を振り返ると、ハーツとアレックスがお互いに向き合っている姿が見えた。両者の間には、ブッカーとヴェールが立っている。  レインは白い歯を見せて笑うと、ボールへ向かって、一気に走り込んだ。  右足で、強く蹴る。  ボールは強烈な弾道を描き、左に動いたウィーザーの両手をすり抜けて、白いネットへと爽快に飛び込んでいく。 「やったー!」  レインは大声をあげて、ガッツポーズをする。  まるで試合でゴールを決めたかのように、心から嬉しくて、気持ちが良かった。  翌日、ロンドン北西部にあるジェットリンスタジアムで、イングランド対ギリシャのUEFA欧州選手権出場をかけた試合が開催された。  大勢のサポーターたちでスタジアムが熱狂に埋まる中、前半にゲイリーがゴールを決め、一対〇でイングランドが先制するが、後半戦が始まった直後、ギリシャのフリーキックで同点になった。  その後、レインが選手交代でピッチに入り、後半三十分過ぎ、アレックスがサイドを駆け上がり、相手ゴール付近にいたレインへボールを繋げると、レインは躊躇うことなくシュートを打ち、二点目が入った。  イングランドは二対一でギリシャを下し、スタジアムが大歓喜に染まる中で、ユーロ選手権への出場を決めた。
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