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第一話 特殊料理
「よし、コンソメスープに浸して二十分、コトコトやりました。お惣菜と比べても全然、楽勝っ」
「……絵梨、ちょっと来て」
初めて挑戦する一品料理の首尾に手ごたえを感じていた私に低い声で呼びかけたのは、大学の同級生で病院に勤務している友人の千尋だった。
私たちはたまたまお互いの休日が合ったのを利用し、地元の有名人である雨宮真夕子が主催する『雨宮まゆ子クッキングスクール』の一品料理コースに一日体験入学を申し込んだのだ。
「どうかした?」
「見てよこれ、ロールレス」
「……肉団子?」
「犯人はあんたでしょ」
私はショックで項垂れるしかなかった。お惣菜のミートボールやミニハンバーグはうまく作れたのに、なぜだ?丸めるとか畳むとか、どうして他の女子たちは綺麗にできるんだ?
――私がお惣菜検定の一級を取れないのは「包む」系が苦手だからかもしれない。……ああでも、今作っているロールキャベツだってお弁当用の超ミニサイズは完璧に作れたのに。
「でもこれ、私が食べる分ってはっきりわかっていいんじゃない?」
私は開き直るとコンソメの染みたただのキャベツをお皿に盛りつけた。
――おかしい。惣菜検定二級の私が、もっと簡単な一品料理に苦戦するなんて。
「一見、簡単そうなお料理でも人によっては苦手ってことはあるわ。大丈夫」
私たちの班に近づいてきてそう声をかけたのは、このクッキングスクールの主催者である真夕子だった。
「ありがとうございます。苦手でも頑張ればいいんですよね」
「そうよ、その意気よ。苦手なメニューでもいずれは得意料理になるものよ」
真夕子はそう言うと私が鍋に残した残骸を味見して「よく染みてるわ。オリジナルの御惣菜が作れそう」と微笑んだ。
真夕子は四十五歳。ボサノヴァ歌手と料理ブロガーという二つの顔を持つ女性だ。彼女が主催するクッキングスクールに私が休みを利用して体験入学したのは、一品料理の腕を上げたい気持ちのほかにもう一つ別の理由があった。
それは、私の「本業」である探偵の仕事――つまり「調査」だ――の事前情報を入手するためだった。
私が勤務する探偵事務所に先日、芸能事務所の社長を名乗る人物から浮気調査の依頼が舞いこんできた。依頼主の妻というのがこの教室で一品料理を教えている女性であり、浮気相手と目されているのがこの教室のアシスタントをしている男性なのだ。
「やだあ、飛燕先生、おいしいだなんて」
二十歳くらいの体験者が上げた黄色い声に、真夕子は猟犬顔負けの早さでピクリと反応した。
教室の受講生たちから甘い眼差しを向けられている男性、若月飛燕は二十二歳の大学院生で、実は真夕子の夫が営む芸能事務所に所属するアイドルでもあった。
手先が器用ということで料理教室のアシスタントに彼女がねじ込んだのだが、夫は起用の時点で不倫に発展することを危惧していたらしい。
つまり受講生を装って二人の距離をさりげなく観察し、調査時に接触する時のヒントを見つけておこうというのが私のもくろみだった。
もちろん普段お惣菜ばかりこしらえている私にとっては、個人的なメリットもある。要するに趣味と実益を兼ねた休日イベントというわけだ。
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