胡蝶の舞

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1. 鼓動。 呼吸。 力(りき)み。 脱力。 血潮。 吹き飛ぶ花びら。 命の匂い。 散っていく吐息。 変わらない瞳。 途絶えていく脈。 わずかに動く指先。 鈍い音とともに転がっていく、わずかな寿命。 失われていく闘争心。 忘れ去られていく大切な記憶。 現実は閉ざし、別の世界がその先にある。 そして二度と開くことがないその瞳。 生きるとは、  ーーー何か 死ぬとは、  ーーー何か 死に向かっている状態が、生なのか。 死ぬために命、燃やしているのか。 死という概念が、生を確立させるのか。 あるいはその逆か。 死という概念。 生という定義。 考えてみる。 いや、わからない。 いくら考えてみても、やはり、 わからない。 我々は、何のために息をしている? 我々は、何を目指して生きている? 昨日までの古い細胞は死に、 明日を生きるための新しい細胞が生まれる。 それでも肉体は確実に老いていく。 古いものは切り離され、 新しいものが作り上げられてゆくのに、 それでも肉体は確実に老いていく。 明らかな矛盾。 生きるためなら、老いてはいけない。 死ぬためなら、古い細胞を切り捨てる必要はない。 生に対する肉体的な矛盾。 生に対する思考的な複雑化。 それでもこの世には、今日もたくさんの命が生まれる。 そして今日もたくさんの命が途絶えていく。 今日も明日も、 何一つ変わらず、 産声を上げる赤子たちがいる。 息をひきとる老人たちがいる。 飢えによって地面に膝を着く餓死者がいる。 あるいは殺される者もいる。 もしくは病死する者もいる。 死とは様々な現象によってもたらされる現実。 生きる上で、それは避けて通れない現実。 この現実の途中で繰り広げられる、ささやかな思い出たちが、あるいは生きることなのかもしれない。 しかし、いずれにしても 命はいつかは消え失せる。 失われかたに違いがあれど、 それでも人はいつか必ず死ぬ。 それが命の定めである。 その条件のもと、誰もがこうして生きている。 条件は変えられない。 そして死に方も、決して多くは選べない。 それでも人々は生きている。 その条件のもと、生きている。 死という定めは、生きている以上、受け入れるしかない。 生まれてきた以上、受け入れることが定めなのだ。 そう、 生物にとって終わりを受け入れることは宿命である。 だから人は、自分の命について考える。 だから人は、自分の未来について考える。 自身の寿命を逆算して、夢や将来を思い描くのである。 それは命の終わりを認識しているからに他ならない。 終わりを認識しているからこそ、希望が抱ける人生なのだ。 そう考えると、終わりがあるのも決して悪くない。 そう考えると、生きるとは、 いささか微笑ましいことのように思えてならない。 死があることは希望か? 生とは、死を受け入れながら歩む、ささやかな思い出づくりか? いや、そんな楽観的なものではないだろう。 違う。 そんな悠長な旅ではないはずだ。 少なくとも自分の場合は。
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