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『和菓子処 茶虎亭』にて (お稲+お雪+お鈴)
「……わたし、本当に嫁いで良かったんでしょうか」
店が忙しない最中。月見屋敷の奥様と来店していた親友の、ぽつりとこぼしたか細い声を聞き取ってしまった。
奥様の侍女として働いている彼女――お雪とは幼少の頃出会って以降。
和菓子職人である私と立場は違えど、仲良くこの島で育ってきた仲だ。
少なくとも私は、勝手に親友と思わせて貰っている。
ちょっと気弱で大人しいけど、他人を気遣える優しい子だ。
さてそんな彼女なんだけど……実はこのあいだ、なんと嫁入りしたのだ。
しかも相手はなんと、月見山一家の柱幹部の1人として名を知らない者はいない――“剣ヶ丘の黒曜丸”!
これを聞いた時は、素っ頓狂な声を思わず上げてしまうほどに驚いた。
同じ月見屋敷で働いていて、顔を合わせたことはあるだろうし。
お雪なんかは奥様のもとで行儀見習いも兼ねて侍女の役目をこなしているから、何処へ嫁に出しても恥ずかしくない子だと思ってはいたけど……
いやまさか、あの剣ヶ丘の黒曜丸の元へだなんてっ!!
嬉しかったかと言われたら、まぁそりゃあ一応この島のお偉いさん直属の部下だからねぇ……
この島において申し分のない嫁ぎ先と言っても過言じゃないから、そういった意味では純粋に嬉しかったよ。
だけどそれ以上に、心配はしていた。
“剣ヶ丘の黒曜丸”は目付きも愛想も悪くて冷酷無慈悲、向かってくる敵には容赦しない。
彼は化け犬だけど、その闘う様はかの隠神様を彷彿とさせると聞いている。
確かに武人として果敢だと思うし、さすが月見山一家の柱幹部の1人とも感心してしまう。
だけどもし、その冷酷無慈悲さを家庭にまで持ち込むようなヤツだったら……?
想像にしか過ぎなかったけど、心臓が凍るような思いだった。
その時お雪は考えすぎだって眉を八の字に下げて笑っていたけど……
まさか、本当に!?
あぁっ、今すぐにでも話を聞きたい!
でも今仕事だし、此処『和菓子処 茶虎亭』の女主人として恥じない行動をしなければならない。
じゃなければ、公衆の前で奥様やお雪の顔に泥を塗ってしまうことになる。
それだけは嫌。
2人の元へ駆け出したい気持ちを必死に抑えて、身体を仕事に向けて動かし続けた。
代わりに耳をそばだてて、話の内容を聞き取った。
「どうしてそう思うの?」
「…………」
「構わないわ、言ってご覧なさい」
「………わたし、分からないんです。旦那さまに、どう接したら良いのか………」
つまり、要約するとこうだ。
あの能面ぶりかつ寡黙な性分から上手く接せられなくて、未だ会話もままならないとのことだ。
主な返事は『あぁ』『そうだな』『おい』くらい。
……て、いや、いやいやいやいやいやいやっ、口下手にも程がありすぎでしょう!?
ウチの蛍吉でも、もう少し喋るって!
とりあえず暴力は振るわれていないみたいで、その辺りは安心したけど……
あのオタンコナス犬、もうちょっとこう、身体の筋肉とかだけじゃなくてさ。
語彙力の筋力とか表情筋とか何とかしなさいよ。
この際、柱幹部だからって関係ないし言わせて貰いたい。
私の一番大切な友達を、不安がらせてるんだから。
――――とまぁ。私が内心百面相をしている間にも2人の会話は進んでいってて、
「まぁ……そうだったの。ごめんなさいね、黒曜丸が」
「い、いえっ! 奥様は何も……わたしが、もっとちゃんと……旦那さまを理解出来るよう上手く立ち回れたら……」
「そんなことない、お雪はよくやってくれていますよ」
「でも……自信が、ないんです。わたし、ちゃんと旦那さまのこと、これから支えていけるのかなって……」
紡ぐ声が、どんどん小さくなっていく。
今ちゃんと姿見てあげられないけど……多分、今頃俯いて涙をこぼしかけている。
お雪の不安は分かる。
だけど――――
「何を弱気になっているんですか。貴方達の生活は、まだ始まったばかりでしょう」
「でも……」
「大丈夫、今すぐじゃなくて良いんです。お互い少しずつ、知っていけば良いんです」
続けて奥様は、
「それに――――」
小声で、多分ナイショ話をするように、こっそり口元をお雪の耳元に近づけて話していたっぽいけど……
私にも聞こえた。
『旦那様が縁談の話を出した時にね。誰を娶りたいかって聞いたら、“お雪”が良いって言っていたそうよ』
美丈夫な柱幹部ともなれば、女なんて選り取り見取りで選びたい放題だっただろうに。
それでもたった1人、お雪を選んでくれた。
思わぬ糖分マシマシな小噺投下で、「気持ち悪いです」とニヤケ面を蛍吉特有の毒舌指摘をされるまで。
あと1分。
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