『お前の名前を呼びたいんだ』(剣ヶ丘夫婦+α)

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『お前の名前を呼びたいんだ』(剣ヶ丘夫婦+α)

 「えっ……それ、マジでか?」  「………………」  「ウッソ、そりゃねぇわ……」  (つつみ)さんに言われなくても、自分が一番よく分かっている。  結婚して早数週間……俺はまだ一度たりとも、嫁の名前を呼べずにいる。  「何で呼んでやらねぇんだよ、お雪ちゃんが可哀想だろ」  もちろん呼ぼうとした。何度もだ。  だけど呼ぼうとすると声が詰まり、これは無理だと即決した結果。  『あぁ』『そうか』『おい』という返事や呼び方になってしまうのだ。  「あーあ……こりゃ深刻だな。勝手に悶々と悩むのは良いが、早々に対処しないとお館様たちの顔に泥を塗ることになるぞー」  それも重々解っている。  この婚姻を取り持ってくれたのは他でもない、大恩あるお館様こと飩三郎様だ。  夫婦仲を険悪するような真似は、あの方に恥をかかせるのと同じだ。  「………鼓さん」  「なんだ?」  「どうしたら、アイツの名前……呼べるようになると思いますか」  お館様のためにもこの問題、何とかしたい。  ……だけど。  だけど、それ以上に――  「――難しく考えすぎなんだよ、いつだってお前は」  “妻の前でくらい、もっと素直になれ”  煙草の煙と一緒に吐き出された言葉は、そのまま俺の肺へと入り込んだ。  素直になれ、か。  ……確かに、少し堅く身構えすぎていたのかもしれない。  “アイツ(お雪)の名前を呼びたい”  それ1つだけで、充分なのかもしれない。  背中を向けて去っていく鼓さん(上司)に、感謝の念を向けた。 .
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