『雨降る縁側』(月見夫婦)

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『雨降る縁側』(月見夫婦)

 「此処に居たのか、稲」  声をかけられて、ふと我に帰る。  「えぇ、紫陽花を見ておりました」  あまりにも降りすぎて、せっかくの庭園を曇らせてしまっている。    近くにある紫陽花だけが。  打たれながらも、その色合いを雨滴に映すかのように咲き誇って。  雨の世界をより一層美しくさせている、その様を……  「何か、あったのか」  「どうしてそうお思いに?」  「寂しそうな表情(かお)をしていた」  ……嫌だなぁ。  この人はホント、何でも見通してしまうからかなわない。  でも、心配しなくても。  「貴方が危惧してるようなことは、もうないですよ」  嘘。  ホントは、まだ少し残っている。  でも昔より少なくなったのも、また事実。  ただ、こうした雨の日は、そんな昔の日々をしっとりと思い起こさせ、流れて行く。  もし私が今更寂しそうな表情をしているというのであれば、きっとそのせいかもしれない。  生きるために汚れ藻掻いた日々も、この人に出会い愛され共に生きていこうと決めたのも。  何1つ後悔だってしてないし、何言われたって今更痛くも痒くもない。  ただ、1つだけ。  どうしても1つだけ、心残りがあるとするなら――――  「……阿呆」  “まだ、気にしていたのか”  頭をそっと胸元に引き寄せられ、低く響く囁き。  何に対して言っているのか解るからこそ、あたたかく感じられる。  化け狐の血筋を引く下流の出、半妖……  “化け狸の良家には相応しくない、卑しい女”として散々言われてきた言葉。  無気力である時に容赦なく打ち付けてくる雨のように、冷たく降り注ぐそれらをこのヒトと振り払ってきた。  だけどそんな私たちでも、どう足掻いても振り払っても、覆せない事実があった。  “半妖とは子が成せない”――それだけが心残りで、唯一の悔いだった。  半妖であろうと化け狐の血筋を引いているとしても、今となってはどうでも良いけれど……  「残して置けるなら、残して置きたいじゃないですか。良家の跡取り」  「ふん。跡継ぎなら、養子でも何でも取れば良い」  「もう、そうではなくて」  昔は事実にも陰口にも、泣いていた日々があったけど……  今はこうして笑い合える思い出へとゆっくり変わっていける。  そう。きっとこうして雨が流れて行き、川へと海へと変わっていけるのと同じくらい、幸福なこと。 .
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