全国で待ってる――

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「勇人、悪いっ!」  6走の橋本がフラフラになりながら運んできた襷は、一本の布とは思えないほどズシリと重たかった。6人分の汗の重み。そして、俺たちの3年分の汗の重み。この重さが報われるかどうか、最終区間である7区の距離は約5km。今まで走り込んできた距離からしたら、それはあまりに短くて、ひたすらに険しかった。  だから、受け取った襷をギュッと握りしめる。 「任せろっ!」  受け取った襷を肩にかけて前を向く瞬間、力を使い果たして地面に倒れ込む橋本が見えた。橋本は詫びたけど、十分すぎる走りだった。自分より格上の相手と走って30秒近くタイムを縮めての襷リレー。  声援に背中を押されて目の前の1位を追いかける。その差はおよそ20秒、背中は十分に見えている。  問題はその相手だ。前を走る海原翔は中学時代の同級生だけど、当時からぶっちぎりの存在だった。その速さは県内有数の強豪校である開米高校に入ってからますます磨きがかかって、5,000mでは3年連続インハイ出場というエリート中のエリート。 『勇人も大学行ってからも陸上続けるんだろ?』  中継所でレースの展開を見守っているとき、声をかけてきた翔から聞かれたのはそんな言葉だった。  元々翔は試合前に緊張をするようなタイプではなかったけど、それにしたって高校最後の駅伝になるかもしれないこのレースで、翔の様子は気楽そうだった。そして、その理由にはすぐに検討がついた。  自分たちが負ける事なんて微塵も考えてないんだ。俺たちの桜林高校は5,000mのタイム順でいえば翔たちの開米高校に次ぐ2番手につけていて、優勝争いは2校に絞られるというのが下馬評だけど、それさえも翔を脅かすには不十分らしい。  実際、走り出してすぐに翔の姿は小さくなりはじめた。ヨーイドンで同時にスタートしても勝ち目がないのに、そこに加わる20秒の差はあまりに大きい。  俺たちの作戦は先行逃げ切りで7区の前までに勝負を決めることだったけど、元々格上相手にそんなうまくいくわけもなかった。実力差を考えると20秒差で7区まで来たのも健闘といってもいいのだけど、12月の全国大会に薦めるのは1校だけ。  1秒差でも1分差でも、2位になったら俺たちの高校生活はそこで終わる。  軽く襷に触れてグッと歯を食いしばる。実力差とか下馬評とか、そんなのは関係ない。どちらが先にゴールに着くかだ。日和る心に鞭を入れて翔を追いかける。 『全国で待ってる』  小さく息を吸いながら、昨夜かかってきた幼馴染の早苗からの電話の声を思い出す。  早苗も中学までは同じ学校だったけど、推薦で日本の端と端の位置関係みたいな高校に進学した。早苗の方の県大会は先週開かれていて、既に全国大会を決めている。  なんで俺の周りはそんなやつらばっかりなんだよ。  俺だって、翔や早苗に負けないくらい走ってきた意識はあって、そんじょそこらの奴らに負けない自信はあって、だけど、どうやったって手が届きそうにないやつら。追いかければ追いかけたその分だけ遠くに離れていってしまいそうな相手。 『今度こそ、な』  早苗にその言葉を言わせるのは二回目だった。  夏の高校総体、インターハイ出場をかけた地方大会の決勝戦。その時も前日に早苗から同じメッセージを貰っていた。  けれど、その時はあと一人分、全国大会に届かなかった。いつものとおり一位で淡々と全国行きを決めた翔を俺は隅から眺める事しかできなかった。早苗や翔が見ている世界を、俺は未だに見ることができていない。 『勇人の走り、久しぶりに見たいな』 『大人しく京都で待ってろ』  電話はそれだけ、1分くらいのやり取りだった。いつもの何気ない早苗とのやり取り。  だけど、そのやりとりが俺に前を向かせる。約束したんだ。全国で待ってろって。
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