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今日も今日とて朝陽が眼に染みる。
成瀬はスマホの目覚ましを切りもそりとベッドから身を起こすと、いつも通りコップ一杯の水を飲んでから歯を磨き顔を洗い、身支度を整える。行って来ますという相手も居ないので、作業着に着替えるとそのまま会社へと向かった。
会社へは片道バイクで十五分ほど。転職前の会社は徒歩十分ほどだったが、敢えて距離を取ることで仕事とプライベートのオン・オフが付き易くなった。
会社はこじんまりとした小さな事務所と、二階建ての倉庫・作業場が敷地内に在る。倉庫の二階は工事部の事務所となっていて、成瀬らのデスクはこちらに在るのだが、タイムカードは一階の事務所に在るので多少遠回りしなくてはならない。
敷地内の駐車場はそこそこ広いが、平ボディの3トン車が二台にユニック車が一台、ハイエースが三台も停まると流石に多少窮屈になる。通常はトラックもハイエースも現場に駆り出されて出払っているのだが、一昨日から珍しく工期明けが重なり全車輛が停まっていた。
おまけに従業員全員が工期明け休暇を取らず、珍しく雁首揃えて出社している。事務所は最寄りの交通機関がほぼ無く車通勤の人間が多い為、駐車場はちょっとしたパズルのようになってしまっていた。その為、成瀬は敢えてバイクで通勤している。
「おはよーございます」
声を掛けながら事務所のドアを開けると、「おはよー成瀬くん!」と元気の良い声が返ってきた。
「おっ、今日もバイクなんや。てことは合羽持ってきてるってこと?」
「勿論。仁科さん、今日はバス?」
「そーなの。バス停から遠いから大変よー!朝もポツポツ降ってたし天気予報昼から雨って言ってたから車で来たかったんだけどね、今駐車場一杯やからさ?でも成瀬くんが合羽持ってるってことは・・・」
「大丈夫、今日は降らないですよ」
そう言って成瀬が苦笑すると、仁科は「だよね!」と、びしりと成瀬に指を差した。
「成瀬くんの雨具予報、的中率百パーセントやもんなあ。合羽持ってる日は絶対雨止むって、ウケる」
「雨具は念の為なんですけどね。用意したら止むって、損した気分ですよ」
「確かに!バイクだと荷物になっちゃうしねー」
そう言って仁科が笑うと、成瀬も釣られるように笑った。
実際には、雨具はあまり関係ない。出掛ける際に周囲の樹木の色を視て、判断がつきにくい時に持って出ているだけだ。だが、大概会社を出る頃には雨は止む。勿論豪雨の時は例外だが。
因みに成瀬は台風を予報を外したことがない。それは気圧配置を読めるといった予報士的なものではなく、進路が解るからだ。
公言しているわけではないが、成瀬はいわゆる特殊能力的なものを持っている。
自然現象については台風や雨だけだが、街中に点在する樹木の『色』が変わるから解るのだ。樹木や植物はピンク色に近い色を纏っているのだが、雨が近くなるとそれは薄まり、白いただの靄のようになる。台風が直撃する時はそれが顕著で、まるで樹木達が相談しているかのように靄が絡み合うのだ。
物心ついたときには既に、成瀬にはあらゆる生物に対して『色』が視えた。
掌を見詰めているとその輪郭を象るように靄が伸び、やがて色を成して拡がっていく。スピリチュアルな世界ではこれを気とかオーラとなどと呼ぶらしく、基本的に可視化されないものらしいが、成瀬には至極当然のものとして視えるのだ。
しかも、『色』にはそれぞれの意味合いが在る。一般的には人の性格付け云々言われるようだが、成瀬の中では性格よりも、その人に与えられた命運や生命に基づいたものであったり、精神面・身体面両方が大きく関わっている、という認識だ。
その人本来の基本的な『色』、そこから派生する感情や病状に纏わる『色』とが在り、その時々の条件で色も視え方も変わってくる。
先程も述べたが、それは人間だけでなく動植物などそこそこ大きさの在る『生きているもの』は全て発しており、当たり前のように視界に入り込んでくる。試してはいないが、小さな虫もよく視れば視えるだろう。
思春期頃からは人間関係を含めかなり悩まされたが、今ではスイッチをオン・オフするようにコントロールが出来るようになっていた。
ただ、コントロールが出来ないものもある。
『色』以外に、突如として目の前に写真を置かれるような勢いで、翌日から一ヶ月程先のその人の未来のスナップ写真が置かれるように視えることが在るのだ。
それは相手を注視したり身体の何処かが接触するときに多く、時として生死を報せるものまで在り、未だかつて一度も外れたことが無い。更には不思議なもので、『写真』についてのみ視えるのは他者限定。色々試みたが、自分の『写真』だけは、どうしても視えなかった。
他にも相手の掌や指先が成瀬の身体に触れると、血流を逆流するように相手の感情が流れ込む、というのも在り、これが原因で他者との物理的接触を避けるようになったことから、学生時代は交友関係すら無くなった。
幼少期からつい最近まで成瀬はこの力に悩まされていたが、選んだ業種柄か過去に曰くを持つ者も多いので、他者に深入りする人間が少ないことでやり過ごせた。
やがて大人になり、仕事で様々な人間と関わるようになってからは、この能力を活かす方法を考えるようになり、そして人生の師とも言える人物のお陰で『自分』との付き合い方が上手くなった。
二年前の自分だと、仁科のように気さくな女性となど会話すらしなかっただろう。ましてや『勘がいい自分』など、絶対に出すことはしなかった。随分と変わったものだ、と、成瀬は思わず苦笑した。
「お!成瀬、久しぶりやな。半年ぶりぐらいちゃうか」
そう言って倉庫のシャッターを開けながら声を掛けてきたのは、同僚であり同じく主任職である渡会だった。成瀬より三年ほど年長だが、この業界に入ったのが同時期という古馴染みで、切磋琢磨してきた間柄だ。
「渡会さん。元気そうで」
「お前も元気そうで良かったわ!そういやお前、今期工事終わったから暫く事務所勤務やろ?俺、来月から臨海の煙突、昼夜勤入るんやけど、組んでええ?」
「補修工事でしたっけ」
「そ。二週間の単発なんやけど、仕上げはお前の腕が欲しい。先に唾つけよ思うて」
渡会の人の好さそうな髭面に成瀬は思わず笑った。
「渡会さんとなら俺は全然。春日さんからのOKは?」
「貰っとるに決まっとるやん。俺夜勤で斫り(解体)の連中とガラ出しするから、昼頼むわ」
「そんな勿体無い、俺が夜勤入ります。仕上げの吹き付けの段階で入れ替わりましょう」
「でもなあ」
「ダメです、渡会さんの方が俄然上なんで。でなきゃ俺、臨海入りません」
そう言って成瀬が笑うと、渡会も口許をへの字にしながらしゃーない、と鼻息を吐いた。
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