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コンビニで適当に買物を済ませてビジネスホテルに戻ると、ノートPCで何やら検索を掛けている久御山が居た。
実は今、というか夕方現場に入る直前から、成瀬はスイッチを切ったままでいる。
にも関わらず久御山の姿が視えるのだから、やはり自分の中で何かしらのイレギュラーが起きているのだろうと成瀬は感じた。実際、スイッチを切っているので久御山の『色』は視えない。新しい能力が開花したのか、はたまた存在を認識したことで脳が誤作動を起こし、視覚の識別がおかしくなっているのか。
どちらにせよ、間違いなく久御山は存在している。そして、現在のところまだ生きている―――筈だ。
成瀬はスイッチをオンにして、久御山が纏う『色』が未だ美しさを保っているのを見て安堵した。
そんな成瀬の姿を見て漸く帰ってきたことに気付いたのか、久御山が「おかえり」と言った。
自宅では無いにしても、プライベートの場で「おかえり」など、親にすら言われたことが無い。その為「ただいま」という言葉をすんなりと返すことが出来ず、成瀬は「どーも」とだけ返した。
「お言葉に甘えてPCを借りていたよ。多少なりと質量が在って良かった、タイピングが出来る」
「へえ。何か手掛かりになりそうなもんあった?」
コンビニの袋を小さなキッチンに置くと、久御山は成瀬を呼び寄せ、PCのモニタを見せた。そこにはメモ帳に「久御山 馨」とタイピングされており、成瀬は初めて久御山の名前の漢字を知った。
「正しい名を伝えられてなかったからね」
「久御山さんね。はいはい」
ああ・・・久御山といえば・・・前の会社で浄化センターの補修工事やってたなあと薄らぼんやり思い出してしまう。
「いやいや成瀬くん、名はとても大事なものだよ?個人情報の窓口だ」
「個人情報煩いご時勢だから、隠したい人の方が多いだろ」
「今の私にとっては情報収集のキーアイテムだ。が、なかなか情報が無いものだ。世間的には珍しい苗字だと思うのだが」
そう言う久御山の横からWEB画面とメモ機能を覗き込んで見ると、何やら色々調べた形跡が連ねられていた。成瀬にとってそれは奇妙な暗号のような数式の羅列だったり、乱雑に並んだ漢字だったり英語だったりで、一向に理解が出来ない。
「・・・その落書きは進展の証って事でいいのか?」
「落書きとは失礼な。まあ確かに進展と呼べる程のものではないがね。だが、些細な情報でも記録することで、やがてデータベースとなる。お陰でそれなりに自分が語学に精通していることが解った」
そう言って幾つか海外の論文が掲載されているホームページを開いて見せる。「これがドイツ、こっちがフランス。アメリカ、イギリス、スウェーデン。まだ触りしか読んでいないがね」
先進国の語学はある理解出来るようだ、と久御山は続ける横で、成瀬はコンビニの袋を開けて中身をミニキッチンに並べてから、ポットのお湯を沸かした。
「興味を惹かれたのがこういった生科学や生理学の論文だし、昨日も話したが、大学の研究者か何かかと考えたのだが・・・どうもしっくりとこなくなってきてね。自伝的記憶の欠如というものは、どうにも歯痒いものだ」
成瀬はやれやれ、と肩を竦める。
「まあ何か記憶を刺激するようなもん見たら、いきなり思い出すんじゃね?」
「それを期待するしか無いかな・・・幸い五感は有るからね。淹れ立てのコーヒーの薫りが快いと感じる程には確りと」
コンビニで買った紙コップにほんの少しだけ高級なドリップコーヒーをセットしたのに気付いたのか、久御山はすいと立ち上がる。立ち上がった久御山を見て、成瀬は僅かに驚いた。
成瀬自身も176センチとそこそこ身長が在り、社内では181センチ在る高梁の次に背が高い。久御山はその高梁よりも高そうだ。自分を見上げて話しかけてこられることに慣れている所為か、自分が見上げて会話をするのに妙な違和感があり、思わず笑ってしまった。
「久御山さん背でかいな。何メートルあんの?」
「巨人族のように言わないでくれ。何センチかは覚えて無いが・・・確かに、普通の出入り口は屈んで潜っていたような気がする」
久御山はそう言って、紙コップに淹れたコーヒーを笑顔で受け取ると、今度こそはと薫りを楽しむようにしながら一口含んだ。喉仏の動きから食道へと流し込まれたコーヒーは床に零れ落ちる事無く、まるで異次元に吸い込まれるように消えていく。もしかするとコーヒーが透けて見え胃袋の形を象るのではないかと思ったのだが。
「美味い・・・一ヶ月ぶりというのもあるのだろうが、甘露とは正しくこの一口だ」
感動を全身で表現しているかのように、纏っている『色』が一層輝いて、成瀬は驚いた。コーヒーのたった一口で、こんなにも輝く人間は初めてだ。元来久御山は感情が豊かで表現力の高い、そういった人間味溢れる人柄なのだろう。
「・・・なんか食ってみる?」
「そうだね、気が向いたらいただくよ。今はコーヒーで十分、満足だ」
「腹減ったりするんだろ?」
「今は特に。本体に持続点滴で栄養が入っているのだろう、極端な空腹は感じない。ただ、移動したり何か運動を伴うと空腹を感じるようだ」
となると、と久御山は人差し指を鼻頭に当てる。「理論上では、私は私の本体と繋がっていることになる。故に、今飲んだコーヒーは、私の本体にも影響を及ぼすということだ。その際どういった反応を生じるものか、実に興味深い」
何やら久御山は思考の海に没入したようで、紙コップのコーヒーを片手にソファへと戻り、PCを再び触り出す。余程集中しているのか、その『色』は一気に濃いサファイアブルーへと変化した。
その姿を見て、成瀬はとある思想実験の『猫』を思い出す。
しかしながら思想実験とは違い、実質人体実験に近い。しかも、久御山本人の身体を使った実験だ。
もしかしたら、この自分の妙な能力も科学的に解明出来るのかも知れない。久御山が無事身体を見つけ戻れたとしたら、早速実験体にされそうだな、と苦笑した。
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