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 臨海の工程も残り五日となって、二号機の斫り・ガラ出し、一部基礎レンガの打ち直しが完了した。  その間に一号機と三号機は渡会と次郎丸によってほぼ完成させたのだが、二号機のクラックは思いのほか深く、下手をすると穴が開く勢いで腐食していた為、ほぼ全員が二号機に取り掛かることとなった。  元請のチェックが入るまで残り四日。  夜勤・斫りはここまでで仕事が完了なので、夜勤組の三木本達は帰宅。成瀬も昼勤に戻り、次郎丸達が二号機の補修をしている間に、一号機と三号機の吹き付けの仕上げを成瀬が施し、元請けのチェックギリギリになって二号機の吹き付けも完了した。  久々に、成瀬は現場でスイッチをオンにする。  渡会に気付かれないよう、通りすがりを装って軽くその手に触れると『写真』が舞い降りる。その『写真』には、渡会が彼女らしき女性と楽しげに自宅で食事をしており、リビングボードに置かれているデジタル時計が翌日の夜を指していた。  ―――よし。帰れる。  成瀬は二号機を満足気に見上げる。  良い仕事が出来たと実感出来たときは、どんなに身体が鉛のようになろうと、心は綿飴のように軽かった。  現場から戻る前、成瀬は初日に見掛けた小さな神社に立ち寄り、無事完工出来たことに感謝するように、軽く手を合わせる。そして成瀬は久御山にきちんと自分の能力を正直に話しておこうと考えた。  これから先暫く、もしかすると年単位で共同生活を送るかも知れない。何より、成瀬のこの能力(ちから)を一切否定することなく、しかも『色』に関して言えば寧ろ肯定的で、生化学的に存在するとさえ教えてくれた。  真正面から向き合い受け止めてくれた人間に対し、隠し事は無しにしたい。そう感じたのだ。  あと、久御山に気を付けて貰いたいことも在る。  何せ帰りの車は渡会と一緒だし、今後も現場移動で誰かと一緒になることは多々在る。移動時、もしかすると姿は見えなくとも声は聞こえるかも知れない。質量が以前より増えたのであれば、視えてしまう人間も居るかも知れない。そういった部分で確認しておきたいこと、注意せねばならないことを纏めておきたかった。  成瀬は宿に戻るなりコーヒーを淹れると、相変わらずPCに被り付いている久御山に声を掛けた。 「久御山さん、二つほど話があって・・・一つ目は、俺の能力の件なんだけど。その、テトラクラマシー?でした、で済まない部分もあるだろうから、ちゃんと話しておきたい」  久御山はぱたりとPCを閉じると、成瀬の方に振り返る。 「『色』についてかな?そこから情報を読み取れることに関してかい?」 「情報の方。環境や本能の融合とか、何か哲学的なこと言ってたけど」 「哲学というよりも精神心理学だね。人間は生命の危機に晒されると、とんでもない能力を発揮する。思うに君、家庭環境あまり宜しく無かっただろう?」  そう問われ、成瀬は素直にコクリと頷いた。 「そんな事まで何で解るんだ?」 「君、私の顔は見るけど、目を見て喋らないからね。それに薄っすら残る背中や腹の(あと)は相当古いものだろう?」  ああ、と成瀬は思い出す。確かに幼少期に受けた痕が、未だに微かにではあるが残っている。  一人部屋かつ久御山は自分の能力を知っているので、気にせず適当に着替えていた。その為、久御山は成瀬の身体を見る機会が多かったから気付いたのだろう。大浴場付きの宿に泊まるにしても、滅多と現場の連中と入らないから指摘されることも無いし、まじまじと自分の顔や身体を鏡で見ないから忘れていた。 「そんな環境で生きてきたのであれば、『色』が視えなくても危機回避能力は高くなる。巷でよく言われる『虫の報せ』が起こり易い」 「それが『写真』?でも、自分のことはさっぱりだしなあ」  成瀬はぽつりと呟いた後、『写真』がどういったものか、そして他に付随する現象、過去の作業員落下事件を含め、こと細かに説明をする。その説明を聞いた久御山もまた、なるほどと頷いた。 「他者の情報を知ることで、危機を回避しているのかも知れないね。例えば作業員の転落事故。その時の現場責任者は?」 「―――俺だ。初めて職長やったときの現場だ」 「だとしたら、責任問題はかなり大きくなる。君だけの問題でなく、新米を職長に当てた会社の責任問題ともなる。それを回避したことで、何なら君の評価は上がった筈だ」  確かに久御山の言う通りだった。まだ二十歳そこそこの若造が大丈夫か?という視線から、田所さんの秘蔵っ子だけある、という視線に変わった。  久御山が「だろ?」と確認をするように訊くと成瀬は頷き、それを見て久御山は満足げに続ける。 「『色』を視ないようにする為のオン・オフにしても感情を読み取る能力にしても、どちらも危機回避能力でしかなく、自分の心身を護るために備わった能力だ。でなきゃ今頃、君は精神を患い白い檻の中で妄想の中を現実として生きている頃だろうね」 「いや・・・正直、統合失調症じゃないんだろうかって」 「病院に行ったことは?」 「何度かある。でも『色』の件とかは誰かに話すのは怖くて・・・具体的には言えなかった。テストも受けたけど、疲れてるんでしょう、で、薬出されて終了」  飲んではみたけど、何も変わらなかったと成瀬は言う。 「なるほど。まあ私が見る限り精神疾患の兆候は見受けられないがね。実際きちんと仕事をこなし、苦手ながらにも人間関係はそれなりにこなしているし、自分の症状に対して自覚がある。統合失調などの精神疾患なら、とっくに周囲が病院を薦めている」 「いや、誰にも話してないから、薦められるも何も」 「統合失調症とはね、そもそも自覚が無いから異常行動を日常で起こすものだ。隠し通すには限界があるんだよ。誰かに異常行動を指摘されたことは?」 「いや・・・異常行動というより・・・化け物だと、子供の頃に」 「そうか。それで君は自分の身を更に護らねばならなくなった。だからこそ、その能力も飛躍的に開花したということかな」  ふむ、と久御山は成瀬を見ながら人差し指を鼻頭につける。「どちらにせよ、現在問題なく日常を送れているのだから、気に病まなくて良いと思うが?それが成瀬藤哉の『個性』だと思えば良い。まあ、君は疲れるかも知れないが」  個性か・・・と成瀬は苦笑する。 「ああでも、オン・オフが効くようになってからは、昔ほど疲れなくなったかな」 「暫くはまた疲れさせてしまうかも知れんがね。そこは申し訳ない」  久御山が苦笑しながら軽く頭を下げる。 「謝らなくていい、俺が決めたんだ。・・・この能力(ちから)で誰かを助けることが出来るなら、有効活用したい」 「ありがとう。無事身体に戻れた暁には、私に出来得る最大限で礼をさせていただくよ」 「期待しとく」  成瀬がそう笑顔で返すと、久御山はソファの肘掛に脚を載せた。 「この世には科学で解明出来るもの、そうでないものが在る。相対性理論と量子力学が相反しながらも、同居しているようにね。私達の生きているこの世界は、いつだってグレーゾーンなんだ。それを悲喜交々(ひきこもごも)楽しむのが人生だ」  そう言って満足そうに胃の辺りで手を組み、成瀬を見遣る。そんな久御山の言葉に、成瀬も頷いたのだった。
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