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珍しく全員揃ったということで、全員を事務所に集め朝礼をする。「本日もご安全に!」と朝礼を終えると、各々が工具の点検だったり書類の再確認だったりと、それぞれが仕事に向かった。
その動きを見てから、倉庫二階に在る工事部の事務所で待機していた濱屋敷が事務所に降りてきて、仁科にキリマン在る?と、ニコニコと声を掛けてきた。
「はいどうぞ!てか、濱さんは常連さんなんで、自分で淹れてください。私そんなに暇やないんで」
「そんな冷たいこと言わないでよ。お礼に奢るから、今度二人で飲みに行こ?」
「ヤです。既婚者と二人きりなんて、誤解のもと!」
そんな冷たい仁科ちゃんも可愛いいなあ、と濱屋敷が言ったところで、春日がゴツリと濱屋敷の後頭部に拳を落とす。
「いだっ」
「うちの事務員ナンパすんなて、何度言うたらええねん。ええ歳したおっさんが」
「ナンパって人聞きの悪い。挨拶みたいなもんじゃないですか」
「アホか。それよか言うてた現場資料、見せ」
「はいはい」
そう言って濱屋敷は、先に渡会に見せていたぶ厚い封筒を春日に渡した。
「・・・こりゃーまた・・・元請でかいとこやな」
「でしょ?うちのキャスタブル(耐火コンクリート)お気に召してくれまして。でもって、全現場にチーム田所を二次下請に持ってくるって言った途端、即決」
濵屋敷がそう続けると、春日は「さよか」と、好々爺然とした笑顔を書類に向ける。
「年明け一発目が戸畑(北九州)かいな。一年で六現場となると、フルやなあ。・・・ん?岡山は、元請別ちゃうんか?川崎と苫小牧は去年か、買収てニュースんなっとったけど」
春日が聞くと、濱屋敷は北叟笑んだ。
「オフレコですけど、来年の四月から岡山もです。その事前準備じゃないですけど、綺麗にしておこう、ということみたいですわ。なので、単発。とまあ、見ようによっちゃイレギュラーですけど―――年間一式工事扱いで総額五億」
濵屋敷が掌を拡げると、春日はそうなるわな、と笑った。
「仁科さん、渡会と成瀬、あと高梁と次郎丸呼んできて」
「はーい」
仁科は軽く返事をすると、事務所から続く倉庫に向かった。
仁科と連れ立って四人が事務所に来ると、春日は手に持っている現場資料をデスクに拡げた。
「というわけで、新設工事含む六現場。メインはお前らで回して欲しいんやけど、調整出来るか?」
春日が全員の顔を見遣ると、渡会と成瀬は顔を見合わせてから頷いた。
「戸畑やったら俺の受持ち現場近いし、俺抜けても一緒に入っとる高木と三沢で回せるんで大丈夫です。何やったら合間見て様子見に行けるし。岡山・・・と鹿島は厳しいか?うーん、ま、何とかなるでしょ」
渡会がそう応えると、成瀬は図面を見ながら「神戸、再来年で良かった」と呟いた。
「俺は全部入れます。年明けからの単発三件だけだったし。森野なら単発の吹き付け、工期的にも全部行けるんで職長チェンジします。ぼちぼち任せていい頃合いだし」
「ほな二人は決定やな。高梁と次郎丸は厳しいか?」
「前半戦の戸畑・岡山・川崎は、私は無理です。後半戦の東海・苫小牧の新設と鹿島は私が専任で行きましょう。後期は各現場の基礎図面やろうと思って、工事入れて無かったので」
そう高梁が返すと、次郎丸は手帳を見てうーんと唸った。
「川崎と東海は無理ですね、福島の新設と丸被りなんで。苫小牧も後半なら。てか苫小牧、決まるんだったら長崎の新設入れなかったんですけどねえ」
次郎丸がそう言うと、ああそやったな、と春日も手帳を見ながら言う。
「岡山がちょっと厳しいぐらいかな・・・?と、渡会。高木か三沢、どっちか山口に貰える?そしたら岡山行ける」
次郎丸が渡会に訊くと、渡会は手帳を取り出して予定を見た。
「高木ならええかな。三沢は補修入っとる」
「山口の補修、高木と森野、僕んとこの余田と新倉で行かしましょ。岡山は短期だから僕と成瀬、後は三次下請けで十分。渡会はでかい現場多いから、無理しないで」
次郎丸が穏やかな口調で言うと、春日がパン、と手を叩いた。
「よし、何とか行けそやな。もし厳しゅーなっても、俺の方で人間フォローするから頼むわ。ボーナスも期待しとけ。取り敢えず年内の現場、怪我とか事故とか無いように、無事終わらせてくれや。工事部のホワイトボード、変えといてな」
春日がそう言うと、全員がほぼ同時に「はい」と答える。その返事を聞いてから春日が濱屋敷を見ると、濱屋敷は満足そうにニコニコと微笑んでいた。
ちょっと無茶振りな所もあるが相変わらず仕事の詰め方、取り方が上手いな、と春日は苦笑する。こういう展開になるのを、濱屋敷は全て計算していたのだ。何せ、濱屋敷も田所と春日を見て育てった営業マンだからだ。
年明け早々に全国各地を飛び回る案件が決定したその一ヶ月後、成瀬と渡会は臨海工業近くの宿に向かっていた。昼夜勤で計十一人。二週間の単発工事で上がりもそんなにない為、五人ずつにしようかと話が出ていたのだが、元請が田所さんのメンバーで全員揃えてくれるなら、人工代(人件費)を上乗せすると言ってくれ、昼勤を一人増やせたのだ。更には普段は食事付きの民宿といった安宿を取るのだが、今回はビジネスホテルを取ることが出来たので、気分的に随分と楽になった。
職長は宿に帰ってからも書類処理をしなければならない。ともなると相部屋は厳しいので一人部屋を取ったりするのだが、民宿だと場合によっては二人どころか三人一部屋という状態になることが多々あるのだ。
「夜勤もう一人増やしても良かったんやけどなあ。ええんか、五人で」
「良いですよ全然。斫り、三木本さんとこですから余裕です」
三木本率いる斫り業者は、成瀬達の更に下請け、三次下請けの業者だ。昔はそれぞれがひとり親方として請け負っていたのだが、労働基準法や請負額の問題が出た頃に結成し、有限会社として設立して起業した。田所が現場に入っている頃から使っている業者なので、腕前は保障出来る。
「まあお陰で一人一部屋使えるから、楽んなったけどな」
「ほんまそれです。相部屋は俺、きついす」
「成瀬は昔からあかんもんなあ」
「我が儘なんですけどね」
成瀬はそう言って苦笑した。
実際、相部屋だと人と身体が接触し易く、こと狭い部屋になると敷いた布団から伸びた手足が触れ、寝ているから感情は流れ込まないものの、夢の中に『写真』が登場することが在るのだ。
この業界に入って間もない頃、一度それで成瀬は大事故に遭遇しかけた。煙突最上部からハーネスを付けて降りようとした作業員が落下するという『写真』が夢に現れたのだ。
だが、あの高さから落ちて死んだという内容では無かった。その為、成瀬は初めて「助けられる」と直感し、最終日に安全器具の再点検を入念に行い、そのお陰で『写真』の通り煙突最上部から落下しながらも、その作業員は助かった。
成瀬の目の前に置かれる『写真』は決定事項だ。
だからこそ、こうして役立てることも在ると知ったとき、成瀬の『写真』に対する意識は「時と場合によっては有用性があるもの」に変化した。
だがそれでも、何も視えない方が当然ながら心は安寧する。その為、複数人のときは眠りが浅く、疲労も半端が無いので、可能な限り一人部屋を使わせて貰っていた。
成瀬が転職と同時に大阪市内から神戸市内に引っ越したのも、同等の理由だ。
現会社の事務所が神戸だという理由も在るが、自分が職長として永らく担当している神戸の製鐵所まで車で通えるので、わざわざ宿を取ったり相部屋に苛まれる必要も無い。住み慣れた自宅でゆったりと寛げると、仕事に対してのレスポンスが全然違う。全国各地を転々と巡る仕事だからこそ、自分が責任者である現場だけでは確実にしておきたい、という思いがあった。
「さて着いたか。二週間踏ん張るかね」
「ですね。さくっと終わらせて帰りましょう。年内に戸畑の準備終わらせて、たまには自宅で正月過ごしましょう」
成瀬がそう言うと、渡会もせやなと笑った。
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