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宿に荷物を置いてから現場に向かい、挨拶の後一通り現場確認をすると、夜勤組は再び宿へと戻った。朝食という名の夕食を摂り、そのまま昼頃まで資材の買出しについでに出かける者も居れば、直ぐ様ベッドに入るものも居る。成瀬は後者の口で、簡単にシャワーを浴びるとそのままベッドに潜った。
しかしながら、目が固くてなかなか眠りに就くことが出来ない。普段なら職業柄、暗くして布団に潜れば眠るのに五分も掛からないというのに。
それどころか、違和感が付き纏っている。
それはこの宿に入ってからではなく、現場で挨拶をし場内を確認して回った辺りからだ。そこからずっと、この違和感が離れない。
いわゆる霊感的なものは、成瀬には無い。姿形どころか気配すら感じたことが無かった。いや、もしかすると気配位なら察知出来るのかも知れないが、他のことに敏感過ぎて、こういった現象には寧ろ鈍感なのかも知れない。
今までに経験したことのない感触が余計にモヤモヤを駆り立ててしまい、横になっても寛げない。成瀬はベッドから身を起こすとテーブルに並べたコンビニの袋から、ペットボトルの水を取り出した。
その瞬間―――ぞわり、と背中を悪寒が襲う。
それと同時に『写真』とは違う記憶の『映像』が蘇る。こんな現象も、初めてだ。
右往左往する作業員達の隙間から見える、小さな神社。A4サイズほどの小さな鳥居と、小箱のような賽銭箱。
記憶を掘り起こしてみると、確かに視界の隅に捉えていた。これは先ほど現場で挨拶をした後、工場内を回ったときの光景だ。工場や大きな企業などは、敢えて構内に小さな神社を構えているところが在るので、特に驚くようなことではない。
だが、どうしても違和感が拭えないのだ。
目を閉じて、スイッチをオンにする。
そして、記憶の中の神社を視ると、鳥居の両サイドに置かれた小さな狐が―――ゆらゆらと動いていて。
―――いや、置物だろうそれは。
そう、実際に狐は動いておらず、人間の形を象った空気が揺らめいているのだ。それは、まるで誰かがそこに突如現れたかのような、通り過ぎたかのような、残像のような―――。
その瞬間、何かが額に触れる。
それは間違いなく『人間』の指先だった。
成瀬は思わず目を固く瞑り身体を強張らせる。これが人間の指で間違いないのなら、何せ今スイッチはオンの状態なのだ、確実にその感情が流れ込んで来てしまう。実際、その指先のようなものから額に向けて、じわじわとしたものが流れ込み始めていた。
だが、流れ込んで来るにしても余りにも微量で―――しかもそれはどちらかといえば、歓喜にも似たようなものだった。
敵意だとか憎悪だとか、そういった感情では無い事に何だか肩透かしを食らったような気がして、成瀬はほうと安堵の息を漏らす。それと同時に、成瀬自身まるで意図しないまま言葉がするりと零れ出た。
「・・・居るんだろ。姿見せたらどうだ?」
そう問い掛けたと同時に、額から指先が離れていく。そして、小さなテーブル脇に置かれているソファがぎしりと沈む音が聞こえた。
「俺のこと着け回した挙句、ここまで着いたきたってか」
成瀬はそう言ってゆっくりと目を開き、ソファを見遣った。
そこには、先ほどまで誰も居なかったというのに、白衣を羽織った一人の男が寛ぐようにしながら座っていた。
その身体は透けており、座っているソファの生地が見える。とはいえ完全に透けているわけでもなく、パーセンテージで言えば、五十パーセントの透過率といったところか。まるでデザインソフトのレイヤー機能を使っているような感じだ。
それにしても―――まさか二十五にもなって幽霊を見るとは。
成瀬は目頭を摘んで大きな溜息を落とした。
「初見の人間に向かって溜息を零すだとかストーカーのような扱いだとか、些か心外だね」
その幽霊は拍子抜けする程あっさりと、柔らかなテノールで返事をする。口調からしても自分よりも年配であり、それなりに学の有りそうな感じだ。
「実際そうだろ。現場からここまで車で移動したんだぞ?空でも飛んで着いて来たのかよ」
「まさか。君が後部シートに荷物を放り込む際に、お邪魔させて頂いただけだ」
幽霊の癖に律儀に車移動かよ、てか勝手に乗り込むな、と成瀬は呆れた。
「しかし私にとっては実に僥倖な話だ。漸く足掛かりを掴めたのだから」
その言葉を聞いて成瀬はぎょっとする。それは憑依した、という意味に聞こえたからだ。成瀬にしてみれば災難そのものでしかない。
しかもこんなにも人懐こい幽霊が存在するとは。都市伝説では攻撃的だったり悲壮感が漂っていたりとしているのだが。
成瀬がもう一度溜息を落とすと、男は心外そうに眉根を顰めながらもくつりと笑った。
「失礼、自己紹介が遅れたね。私は久御山馨という者だ。生憎今、名刺を持ち合わせていなくてね」
「幽霊が名刺持ち歩けるわけないだろ」
「幽霊?誰が?」
「あんただよ、クミヤマさん」
「申し訳ないが、非科学的なものは信じない質でね」
成瀬はまたも苦笑した。ほぼ即答と言える速さで自身の存在を全否定するとは。
「幽霊の存在を信じない幽霊だなんて、落語かよ」
「失礼だな。私は生きている人間だ。よく見てくれ」
成瀬は促されるがままに顔を上げ、後頭部をコリコリと搔いてからチラリと見遣った。
歳の頃合は渡会より少し上・・・高梁や次郎丸らと同じ、三十半ばから後半といったところか。背も高そうだし、痩身で脚も長い。透けている所為で良く解らないが、髪の色や肌の色も西洋系が混じっているのか日本人離れしており、銀縁の眼鏡が似合いそうな、いわゆる学者然とした理知的な雰囲気を醸し出している。まさに女性が声をあげて喜びそうな顔立ちをしているのだが、ただ残念な事に、ソファが透けて見えるイケメンを見て、女性が上げる声は嬌声ではなく悲鳴だろう。
「そんだけ身体透けておいて生きてるって根拠、どっから沸いて出てくるんだよ。あれか?幽霊じゃないなら、過去か未来か知らねえけど、タイムマシンで来るのに失敗してそんなナリになったってか?バカバカしい」
「バカバカしい事はない、未来行き限定ではあるがタイムマシンは存在する。新幹線に乗った事は無いのかね?相対性理論はご存知だろうか?」
「んな何億分の1秒の話じゃなくてだな」
成瀬は半ば呆れながら身体を反転させ、久御山と対峙し直視して、思わず息を呑んだ。
「・・・嘘だ。マジか・・・」
ソファには半透明の男が座っている。それは紛う事のない現実だ。
だが、その半透明の身体から、ふわりと靄が放たれているのだ。そしてその靄は、まるで磨き抜かれた宝石のサファイアのような藍色を帯びている。
成瀬が眼を円くしたままで固まっていると、一頻り成瀬の様子を見てから久御山は柔和な笑みを零した。
「どうだい、君は解るのだろう?私が生きている人間だと。それを証明出来る人間に遭遇するのに、一ヶ月近くも時間が掛かってしまった」
そう言って久御山はソファから立ち上がると成瀬の傍まで近寄り、宜しく、と柔和な笑みを湛えたまま、成瀬の手を取り握手をした。流れ込んでくる感情は指先を額に当てられたときと同じで微量だが、確かに感謝の意思がそこには在った。
その様子に成瀬は思わず呆れてぽかりと口を開ける。
不遜且つ不謹慎でしか無いのだが―――つい先程までの陰鬱とした重苦しい空気が霧散したどころか、成瀬は不思議と肩の力が抜け落ちていた。
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