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「というわけで、だ。私の身体を捜すのに協力して頂きたいのだよ」  久御山と名乗る半透明の男は唐突にそう告げると、再度ソファに座りゆったりと背を凭らせ、胃の辺りで手を組む。まるで我が家のような寛ぎ様に、成瀬は思わず飲み物は要るか訊きそうになったが、敢えてコーヒーカップを一つだけ棚から取り出した。  あれから結局、落ち着いて眠ることなど出来ず、久御山の陥っている状況を滔々と聞かされる羽目になったのだ。  久御山が語るには、自伝的記憶が在るのはあくまでも氏名のみで、こうなった瞬間とその前後、経緯は全く思い出せないとのことだった。着用している衣類から察するに学術関係者であろうこと、それに類するであろう知識や生活記憶は問題ないことから、職業はその系統だろうと推測しているらしい。 「後々思い出したものの一つで、暗闇の中でもがいていると突如光が差し込んできて、勢いよく引き抜かれた、という不可解な現象が在るのだがね?その次に気が着いたときは、はま―――公園?名称を忘れてしまったが、椰子の木の在る場所だった」  理由も解らず自分の見知らぬ土地、臨海工業地帯の一部に放り出され、顔を洗おうとトイレに行くと、鏡に映る自分の姿が半分透けているという事実に遭遇し、途方に暮れたという。  しかしながらいつまでも途方に暮れていては埒が明かない。兎に角現状を打開せねばと、思考錯誤しながら公園内で誰かに気付いて貰えないかと右往左往しているうちに、夜となってしまった。  ふと燦々(さんさん)と夜の闇を照らし出す光に顔を向けて見ると、そこにはまるでSF映画に出てくる宇宙基地(スペースコロニー)のような絶景が拡がっていた。乱立する工場が放つ光彩に見惚れ、ふわふわと工業地帯に向かって足を進めたそうだ。  そして、小さな神社と祠を見付け―――もしかすると、オカルト的なものに興味が在る人間が、自分の存在を見付けてくれるやも知れないと判断し、ここ一ヶ月程その場に留まって人間観察をしていた、とのことだった。  幽霊を信じないと言ったわりにオカルトは信じるのか、と言い掛けて、成瀬は敢えて飲み込んだ。未だ混乱しているのか、自分の手に視線を落とすと『色』が揺らめいている。  そんな成瀬の様子を満足げに見てから、で、と久御山は続ける。 「一ヶ月過ごして誰にも気付かれなければ、散策がてら移動しようと思っていたのだがね。君、一瞬神社を見ただろう?その時君は気付かなかっただろうが、私と目が合ったんだよ。しかも、その一瞬で眉間に皺を寄せた。君が違和感を感じたのは明白で、この好機を逃すのは愚鈍というものだ」  と、満足気に宣ったところで足を組み直す。「それで私は君に接触を試みることにした。おそらく君には何かがあると直感した、と言った方が正しい。実際、君にこの指を触れさせただけで、君は私の姿を認識するようになった」  そうか、それでいきなり指先で触れてきたのかと成瀬は呆れ混じりに溜息を落とした。 「でもさ、だからといって自分の身体を捜すのを手伝えなんて、初対面の人間にいきなり頼む内容じゃないだろ」  成瀬がそう言うと、久御山は確かに、と苦笑する。 「でも他に手立てがない。このような状態の私を感知出来たのは、この一ヶ月で君だけだった。藁にも縋るのは当然だと思わないか?」  正直、気持ちは解らんでも無い。  だが、心理的にも肉体的にも時間的にも、成瀬にはそんな余裕など無かった。この広い地球の何処かに存在しているであろう、久御山の肉体を捜すなど―――付け加えると、金銭的にも無謀な話だ。  下手に請け負ってしまったところで、肉体が持たず間に合わなかったら?もう見知らぬ存在とは言えない人間が死んでしまったとしたら。 「ネガティブ思考に浸っているところに水を差すようで悪いが、私がもし死んでいたとしたら、それはあくまで結果論でしかなく、君とは全く無縁だ」  え、と成瀬は顔を上げる。 「何で俺の考えていたことが解るんだ?」 「君は嘘を吐けない人間だ、全部表情に出ている」 「昔、冷血鉄仮面って言われたことがあるんだけどな・・・」  成瀬が苦笑すると、久御山はそうなのか成るほどと満足げに頷く。 「私も自分は空気が読めない人間だと自負していたのだがね、歳を取る毎にある程度相手の感情や空気が読み取れるようになってきた。人間とは死ぬまで成長をする生き物なのだな」 「空気読めてたら、車に乗り込んで来ないだろ」 「だから言っただろう、藁という君にしか縋るしかないのだと」 「ああ・・・まあ、そうだけどもさ」  成瀬は大きく溜息を吐いた。「正直、協力は出来ない。俺、こう見えてでかい現場の責任者とかやってて、長期休暇取るの難しいんだ。それにあちこち探し回る為の金も無いし」 「そう。そこなんだよ。だから尚の事、君が望ましい」 「は?人の話聞いて―――」 「今朝、君ともう一人・・・ワタライとかいう男との会話を聞いた。君はプラントやコンビナート関係の仕事をしており、全国への出張が付き纏う。これで移動に掛かる金の心配はクリアだ」 「ずっと盗み聞きしてたのかよ・・・て、現場と全く無関係の場所に在ったらどうすんだよ。海外とか」 「海外は無いだろう」  久御山はきっぱりと言い切る。「私の身体は日本国内の何処かに在る」 「さっきこうなった原因の記憶が無いと言って無かったか?」 「そうだ、記憶は欠けている。だからただの推測だ。君とこうして話しているうちに確信に近くなってきたがね」  そう言って久御山は自分臀部付近、ソファを指差す。「先程君と接触してから、こうしてある程度の質量を保てるようになった。それまでも多少の質量は在ったが、座れるほどの質量は無くずっと立ちっぱなしだったんだよ。いまやこうしてソファに座る事が可能で、実に寛げる。先程君とも握手を交わせたしね。君と対峙した時限定でこのような現象が起きるのか、それは後日解明するとして、先ずは事実は事実として受け入れることが肝要だ」  そう言えば、と成瀬は思い出す。  身体は半透明なのに、確かに掌の温度が解る程には感触があったのだ。勿論、確りと握れるかと問われると、些か難しい質感ではあったが。 「俺と接触したことで、質量が増えた・・・」 「そうだ。科学的根拠が無いのが残念だが、事実として、握手を交わせるほどの質量となり、君は私を視覚に捕らえられるようになった。かつ、生存者であると認識してくれている。君と行動すれば、いずれは私は私の許に導かれるだろうと推測している。推測だらけなのが何とも(もど)かしいが、他にもまだ理由は在る。説明を続けても?」 「いや、ちょっとタイム。整理したい」 「解った。では逆に質問が在れば何なりと」  そう言って久御山は左の掌を成瀬に向けた。  確かに―――推測の域を出ない部分も在るが、久御山の言う通りだった。  成瀬に視える『色』は、あくまで生物だけだ。無機質なものや生命を失ったものに、その『色』は視えない。中には無色透明に近い人も居るが、それでも薄らぼんやりとした『色』は在る。  故に、久御山は確かに、生きているのだ。今、この瞬間は。  だが、もしかすると明日には久御山を纏うこのサファイアブルーは消えてしまうかも知れない。そんな間際の状況で在るには違いないだろう。 「一ヶ月も幽体離脱してるって事だよな?身体は現在どうなってるだろうって疑問は?検討がついてるのか?」 「検討がついている、が正解だね。一番確率が高いのは病院だ。恐らく何らかの理由で生死の境に居ると予想される。そんな状態でありながら、一ヶ月も経つのに死に至らない状況、となると、生命維持の設備が整った場所しかない。だから、何かしらの理由で急変しない限り、私の身体はそう簡単に死ぬ状況下には無いと考えられる。もしくは完全に分離して元気に動き回っているかも知れないが、まあ確率は低いだろう」  成程ねと、成瀬は頷く。 「だったら自分であちこち行けば良くない?俺と一緒に居ないなら、質量無いんだろ?それなら壁抜けも出来るし、移動するにしても無賃乗車余裕だろ」 「先程も言ったが、僅かながらに質量は在るのでね。壁抜けなどもっての他だ、勢いよくドアにぶつかって痛みまであるのだから、堪ったもんじゃない」  試したのかよ、と成瀬は思わず噴出した。 「飲食を摂らずとも体力を維持できるのは便利だが、それなりに食欲や空腹感もある。それに、こう見えて精神的に滅入った状態ではあるのだよ。正直この一ヶ月、人生初と言える程気分は最悪だ。だからこそ、君が気付いてくれてどれだけ有り難く感じたものか。感謝する」  久御山は膝に手を付き大仰に、深々と頭を垂れさせたまま、本当にありがとう、ともう一度言った。  多少横柄な態度を取りがちではあるが、悪い人間では無いのだろう。サファイアブルーの煌きは嘘を吐かない。  いきなり幽体になってしまった上に、自分の名前位しか思い出せないなど、どれだけ心細かった事だろうか。  成瀬はマグカップを手に取ると、少し冷めたコーヒーを口に含んだ。
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