27人が本棚に入れています
本棚に追加
ふわりと鼻腔に残るコーヒーの薫りに、成瀬は席を立つ。
ビジネスホテルはシングルルームでも二人分準備されていることが多いので、もう一客無かったかと棚を見たら矢張り在った。
成瀬はコーヒーカップを取り出すと、ドリップの封を開けてカップにセットする。インスタントではあるが、湯を注ぐだけでも良い薫りが部屋に染み渡った。
「・・・私にも?」
「実験だな。飲めるかどうか」
「ブラックで頼む」
当たり前のように言う久御山に、成瀬は思わず笑った。
「そういや、自分の意思で姿を消したり出来るもん?」
「恐らく無理だね。感覚が鋭そうな人は他にも居たのだが、間近に行っても気付かれなかった。ということは、自分の意思でどうこう出来るものではない、ということだ」
そういえば、と、斫り屋の三木本に霊感が在ることを成瀬は思い出す。本人も自覚しており、周囲の人間も認めるほど霊感が強い。
霊感が有るというのが嘘では無いのも、成瀬には解っている。彼は紫と金・銀が織り交ざった特殊な色合いをしており、そういった特例とも言える色の人は、第六感が研ぎ澄まされている人ばかりだ。
その三木本が見つけて欲しい久御山の存在に一切気付かないのだから、魂だけの存在では無いということで、それは久御山が生きているという根拠にも成り得る。科学的な根拠は一切無いが。
コーヒーを淹れ終え、成瀬はカップを久御山の前にコトリと置いた。
「・・・クミヤマさん。俺には協力という程の協力は出来ない。役に立てそうなもんも無いし。それでも良いのなら」
出張先に連れてって雑な情報収集程度しか無理だと続けると、久御山は問題ない、と頭を振る。
「本来は私の問題なのでね。同行させてくれるだけでも十分に助かる。それに君の能力は私にとって大きな助けになる。先ほどの理由の続きになるのだが」
「俺の能力?」
「君は『色』が視えるんだろう?現段階で、私の生存を証明出来る唯一とも言える能力なんだが」
・・・え。
成瀬は『色』に関しては一言も発していない。だというのに、何故久御山にはそれが解ったというのだろうか。さあ、という音が聞こえるほど血の気が引くのを感じたと同時に、脈拍が跳ね上がるのを感じる。
「なんのこと?」
ああ、声が上擦っている。
何が冷血鉄仮面だ。それは高校時代の渾名だが、今も何処か冷血だと思える自分が居ると思っていた。いや今はそんな事、どうでも良くてだな?
成瀬が脳内で色々と整理をしていると、久御山は朗らかに微笑んだ。
「最初に私の身体を視覚で捉えた際、君の視線が私の身体を縁取るように動いたんだよ。だから『君は解るのだろう?私が生きている人間だと』とカマをかけた。そうしたら君は私を生存者と認めるような行動、そう、コーヒーを私にも淹れてくれたわけだ。ということは、君には私に対し『姿』以外の何かが視えている、ということになる」
何とまあ観察力の権化なのか。
学術者などでなく、探偵か何かなのでは?と、成瀬は些か薄気味悪く感じた。
「・・・ただ単純に、全身を見ただけだよ」
成瀬がそう返すと、そうかね?と久御山は指で成瀬の身体を縁取るように動かした。
「では訊くが、私の身体を認めただけで『幽体』から『生体』へと認識が変わった理由は?」
「それは・・・」
成瀬が言い淀むと、久御山は「隠す必要など無い」と笑う。
「私が『生体』であるという情報が、君には視えるからだ。私の知り得るものだと、それは人間が発している微粒の電子が『色』として感知されるというものでね。ただ申し訳ないが、そんなものは君以外にも視える人間は五万と存在する」
え?と成瀬は驚いて久御山を見た。久御山はというと、それが何か?と言わんばかりの表情で成瀬を見返した。
「人間には、生化学の分野で、ある程度説明が出来る超能力というものがある。例えば絶対音感がそうだ」
「絶対音感って、あれだろ?基本の音が無くてもドレミが直ぐ解るってやつ」
「そう。幼少期から努力して身に付けた人も中には居るが、それはかなりのレアケース。基本的には、生まれ持った脳の言語処理能力が突出しているからだ」
「え?言語処理?」
「そう。通常、絶対音感が無い人間は、音を左右両方の脳が均一に反応するのだが、絶対音感保持者は右脳の反応が低い。故に、言語視野を偏在させる左脳で、音を『言語』として認識している。だから、ドがドである事にブレが生じない」
まあ勿論、音の波長を正確に捉える事も出来ているのだろうが、と久御山は続ける。「エコーロケーションもそうだ。音や超音波の反響を用いて位置を測定出来るのは、実はイルカやコウモリだけでは無い。弱視や視覚障害者の方が、視力の代りに聴力を特化させ、エコーロケーションを会得した人も居る。これもまた一種の超能力だ―――時に君」
久御山はテーブルに置かれている成瀬のコーヒーのカップを指して言う。
「これは何色だい?」
「カップの色?白に少しラメみたいなのが入ってるかな」
「そうか。私には、ただのマットな白にしか見えないけどね。陶器だから、艶はあるが」
「ただの白?え?」
「ラメなんて入っているようには見えないね」
成瀬は思わず眼を瞠る。何度見てもラメか螺鈿なのか解らないが、光の加減によってはチカチカとして見えるくらいだ。
久御山は成瀬の回答に対し、満足げに頷いた。
最初のコメントを投稿しよう!