area 1

6/14
前へ
/21ページ
次へ
 ふわりと鼻腔に残るコーヒーの薫りに、成瀬は席を立つ。  ビジネスホテルはシングルルームでも二人分準備されていることが多いので、もう一客無かったかと棚を見たら矢張り在った。  成瀬はコーヒーカップを取り出すと、ドリップの封を開けてカップにセットする。インスタントではあるが、湯を注ぐだけでも良い薫りが部屋に染み渡った。 「・・・私にも?」 「実験だな。飲めるかどうか」 「ブラックで頼む」  当たり前のように言う久御山に、成瀬は思わず笑った。 「そういや、自分の意思で姿を消したり出来るもん?」 「恐らく無理だね。感覚が鋭そうな人は他にも居たのだが、間近に行っても気付かれなかった。ということは、自分の意思でどうこう出来るものではない、ということだ」  そういえば、と、(はつ)り屋の三木本に霊感が在ることを成瀬は思い出す。本人も自覚しており、周囲の人間も認めるほど霊感が強い。  霊感が有るというのが嘘では無いのも、成瀬には解っている。彼は紫と金・銀が織り交ざった特殊な色合いをしており、そういった特例とも言える色の人は、第六感が研ぎ澄まされている人ばかりだ。  その三木本が久御山の存在に一切気付かないのだから、魂だけの存在では無いということで、それは久御山が生きているという根拠にも成り得る。科学的な根拠は一切無いが。  コーヒーを淹れ終え、成瀬はカップを久御山の前にコトリと置いた。 「・・・クミヤマさん。俺には協力という程の協力は出来ない。役に立てそうなもんも無いし。それでも良いのなら」  出張先に連れてって雑な情報収集程度しか無理だと続けると、久御山は問題ない、と頭を振る。 「本来は私の問題なのでね。同行させてくれるだけでも十分に助かる。それに君の能力は私にとって大きな助けになる。先ほどの理由の続きになるのだが」 「俺の能力?」 「君は『色』が視えるんだろう?現段階で、私の生存を証明出来る唯一とも言える能力なんだが」  ・・・え。  成瀬は『色』に関しては一言も発していない。だというのに、何故久御山にはそれが解ったというのだろうか。さあ、という音が聞こえるほど血の気が引くのを感じたと同時に、脈拍が跳ね上がるのを感じる。 「なんのこと?」  ああ、声が上擦っている。  何が冷血鉄仮面だ。それは高校時代の渾名だが、今も何処か冷血だと思える自分が居ると思っていた。いや今はそんな事、どうでも良くてだな?  成瀬が脳内で色々と整理をしていると、久御山は朗らかに微笑んだ。 「最初に私の身体を視覚で捉えた際、君の視線が私の身体を縁取るように動いたんだよ。だから『君は解るのだろう?私が生きている人間だと』とカマをかけた。そうしたら君は私を生存者と認めるような行動、そう、コーヒーを私にも淹れてくれたわけだ。ということは、君には私に対し『姿』以外の何かが視えている、ということになる」  何とまあ観察力の権化なのか。  学術者などでなく、探偵か何かなのでは?と、成瀬は些か薄気味悪く感じた。 「・・・ただ単純に、全身を見ただけだよ」  成瀬がそう返すと、そうかね?と久御山は指で成瀬の身体を縁取るように動かした。 「では訊くが、私の身体を認めただけで『幽体』から『生体』へと認識が変わった理由は?」 「それは・・・」  成瀬が言い淀むと、久御山は「隠す必要など無い」と笑う。 「私が『生体』であるという情報が、君には視えるからだ。私の知り得るものだと、それは人間が発している微粒の電子が『色』として感知されるというものでね。ただ申し訳ないが、そんなものは君以外にも視える人間は五万と存在する」  え?と成瀬は驚いて久御山を見た。久御山はというと、それが何か?と言わんばかりの表情で成瀬を見返した。 「人間には、生化学の分野で、ある程度説明が出来る超能力というものがある。例えば絶対音感がそうだ」 「絶対音感って、あれだろ?基本の音が無くてもドレミが直ぐ解るってやつ」 「そう。幼少期から努力して身に付けた人も中には居るが、それはかなりのレアケース。基本的には、生まれ持った脳の言語処理能力が突出しているからだ」 「え?言語処理?」 「そう。通常、絶対音感が無い人間は、音を左右両方の脳が均一に反応するのだが、絶対音感保持者は右脳の反応が低い。故に、言語視野を偏在させる左脳で、音を『言語』として認識している。だから、ドがドである事にブレが生じない」  まあ勿論、音の波長を正確に捉える事も出来ているのだろうが、と久御山は続ける。「エコーロケーションもそうだ。音や超音波の反響を用いて位置を測定出来るのは、実はイルカやコウモリだけでは無い。弱視や視覚障害者の方が、視力の代りに聴力を特化させ、エコーロケーションを会得した人も居る。これもまた一種の超能力だ―――時に君」  久御山はテーブルに置かれている成瀬のコーヒーのカップを指して言う。 「これは何色だい?」 「カップの色?白に少しラメみたいなのが入ってるかな」 「そうか。私には、ただのマットな白にしか見えないけどね。陶器だから、艶はあるが」 「ただの白?え?」 「ラメなんて入っているようには見えないね」  成瀬は思わず眼を瞠る。何度見てもラメか螺鈿なのか解らないが、光の加減によってはチカチカとして見えるくらいだ。  久御山は成瀬の回答に対し、満足げに頷いた。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加