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夕方、出勤時間の三十分前に成瀬は目を醒ました。
腹を抱えて笑ったのも久しぶりだったが、これ程までに爆睡したのもいつぶりだろうか。カフェインを摂ったというのに、成瀬は一度も夢を見ること無く熟睡した。
久御山に今夜から暫く夜勤だと伝えると、睡眠は人間の生命活動に必須だと、どの口が宣うのかという口振りでベッドを指差した。
お言葉に甘えて、と言い掛けて、そもそもここは自分が借りている宿の一室であることを思い出し、成瀬はじゃあ寝ますと横になった。
そこでふと、久御山がこの一ヶ月立ちっぱなしで過ごしていたという言葉を思い出す。それでも就寝に拘っていたのなら、フラミンゴさながらに立って寝ていたのであろうことを想像し、布団を被ってから苦笑した。
枕元に置いていたスマホのアラームで目を醒ましてソファを見ると、長い脚を肘掛に載せ、腹の上で手を組んで眠っている久御山が居た。半透明とはいえ、その表情はよく解る。横になって就寝出来る幸せを満喫しているような寝顔だった。
成瀬はリュックに仕舞っていたノートPCと延長コードを取り出すと、テーブルに置いてから「勝手に使ってOK。ついでに充電しといて」とメモを書き、冷蔵庫から水とお茶のペットボトルを数本取り出し、リュックに詰めて部屋を出た。
三木本達と合流して現場に向かうと、現場事務所で渡会が引継書を書こうとしているところで、そこには次郎丸達も居た。
「お疲れさまっす。ジロさん、間に合ったんですね」
成瀬がそう声を掛けると、次郎丸は「ギリギリだったわー」と笑った。
今回の臨海は、元々は次郎丸が以前から担当をしている現場である。本来職長として入る予定だったのだが、別現場の応援に行っていたのだ。
応援に行った現場は、元々会社とは全く関係の無い現場である。春日の旧知の会社からの依頼で、整地技術者の資格持ちが急遽入院してしまった為、資格を持っている人は居ないかと横の繋がりで春日に泣きついてきたのだ。
その際、たまたま事務所に居合わせた次郎丸が応援に行くと名乗り出たのである。春日は「困ったときはお互い様でしょ?」と笑う次郎丸のお人好しぶりに呆れながらも一任した。
急遽職長になった渡会は渡会で、三次を呼ぶか書類の提出日直前まで迷っていたが、次郎丸の「行く行く、何とかするわー」というのほほんとした言葉で渡会は腹を括った。そして、約束通り次郎丸はきっちり現場を終わらせ、間に合わせたのだ。
次郎丸も高梁も、成瀬や渡会と同様に職長であり、高梁以外は現場で叩かれ育ってきた。
高梁だけは大学を出て座学もきっちり学んできており、国家資格を一番多く保有する人物で、いずれ春日の後継になるのでは、と囁かれている。元々は春日が使っていた二次下請会社の人間で、春日が企業する際、自ら名乗り出て現在に至る。ストイックでシビア、四角四面の性格をしているが、その分理に叶った工程を叩き出すのが上手い。築炉図面も緻密精巧なので、新設工事となれば必ず高梁の名が挙がるほどだ。
高梁と対極とも言える性格の次郎丸は、高梁と高校時代からの友人関係に当たる。次郎丸は大学ではなく専門学校に進み、学ぶ場所は違えど競うように資格を取り捲り、技術向上に関しても同様に競い合った仲だ。
高梁は大手ゼネコンに入社したが、不思議と気が合うようで交流はずっと続いていた。やがて次郎丸は田所の許で使われるようになり、高梁も春日の許で仕事をする機会が増えたことで現場でも会う機会が増え、現在に至っている。
因みに高校を出たての成瀬に、吹き付けの基礎と技術を丁寧に教えたのは次郎丸だ。そういった意味では、成瀬は渡会よりも次郎丸との付き合いの方が長いことになる。
「ほい、一応引継これな。一号機と三号機、うちのキャスタブルでジロさんが補修しとるから大掃除せんでも良さそうやけど、二号機はクラックが結構奥まで入っとる。メーカー違うというか、ちょい粗悪品使ってるくさいねん。どっか腐っとるんちゃうかな」
渡会が書類を成瀬に、デジカメを三木本に渡しながら言うと、次郎丸が苦笑しながら続ける。
「二号機、ちょっと事情があって別会社で補修やってるのよ。だから、僕も二号機の中見たの今回初めてでねえ。まあちょっと酷いかな?」
「そんなに?」
「そんなに。何処の業者使ったかは・・・まあ知ってるけどね」
次郎丸はそこまで言うとにこりと微笑んだ。滅多と雑言を言わない次郎丸が、濁しながらでも口にするのはかなり珍しい。ということは、昔成瀬が所属していたような二次会社―――言葉は悪いが、やっつけ仕事をするような会社だったのだろう。
成瀬ははあ、と溜息と共に肩を落とすと、ヘルメットを被りベルトを締めた。
「了解です、まあ覚悟しときます」
「うん。成瀬くん居れば鬼に金棒だと僕は思ってるから」
「そんな大袈裟ですよ」
「大袈裟なもんかいな。それに三木本さんらならきっちりアカンとこ斫ってくれよるし、俺もどねんかなる思てる」
渡会が続いて言うのを聞いて、成瀬は「そこは同意です」と笑った。
「あ、そうそう今回ハイエース一台で来たでしょ。夜勤、それ使って。昼勤は俺の車使うから」
「了解です」
「じゃ、ご安全に!」
「行ってきます」
そう言って成瀬は早速二号機へと向かった。
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