鬼の愛し子、牡丹雪

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 草木も眠る丑三つ時、風の音で起こされた。  外は吹雪。風が雪を運びながら漆黒の夜を駆ける。白い嵐は野を、山を舐め、草木を余すことなく薙ぎ揺らすのが荒々しい唸りと木々の悲鳴でわかった。恐らく、外は既に銀世界であろう。  だが、私が目を覚ましたのは獣の唸りを想起させる風音のせいではない。御座なりに建てられたこの社が吹かせる、ヒウヒウと甲高い隙間風の音が、私を夢から現へ呼び覚ました。  春一番、嵐、木枯らし、吹雪――それらが起こす風は、この社でのバカ騒ぎを好む。外から壁の隙間を見つけたら、たちまちに我が物顔で社内に侵入し、笛に憑いた九十九神だか山の主だか荒ぶるアヤカシが喚いているのかと眉を顰めるくらい騒々しく音を立てる。  風が吹けば喧しい社ではあるが、こちとらどれほどの年月を過ごしたのかさえ覚えていられぬほど長き時を過ごした身だ。風がどんなに喚こうが、相手になどしない。夜に騒がれたとて、子守唄として聞き流して深く眠れる。どんな風の音も自分の眠りを妨げられやしなかったのだ、今までは。  ヒュイィィィ、ヒィー、ヒィィィィ。  今日だけは特に甲高く鳴く風が、まるで悲鳴を上げているようで、おちおち寝ていられなくなった。これを無視してはならぬ、と直感したのだ。 (嘆いておるのか、それとも戦慄いておるのか)  もしくは断末魔かもしれぬ。寝ぼけながらもそう感じさせるほどに悲痛な風の叫びに、言い知れぬ不吉を感じた。  風と雪が招いた、肌が裂かれるような冷気だけではない悪寒に、身を震わせ首を竦める。布団代わりの母の羽織を手繰り寄せても、そこに残るぬくもりは既になく、薄い布一枚で暖などロクに取れやしなかった。 「寒い。母様(ははさま)……いなさらぬのか」  いつもならば寒さを少しでも凌ぐべく、一晩中、母と身を寄せ合って眠るのに、今、かの人はいない。数刻前、私が眠りに就くまでは確かに触れていた母のぬくもりも、匂いも、気配もこの狭い社のどこからも消え去っていた。 「母様、何処(いずこ)に向かわれたのでしょう」  母が私のいる寝床から抜け出すとは珍しい。 (珍しいといえば、先刻の子守唄もか)  母はいつも私の寝しなに歌を口ずさむ。人語でなければ発声も不明瞭、拍子も歪んだ歌ではあるが、声音の優しさから私はそれが子守歌と知っている。  ほんの少し前、私が寝しなに聴いたのもいつもと同じ歌だ。ただ、いつもと違い、いつになく明朗に聞こえ、稀に人語も紡がれた。  ――いとしいややこ、かわいいこ。    ぎんのおぐしをなでましょか。    まろいほっぺをなでましょか。  夢うつつに聞き惚れた美しい歌声。だが、母の姿が見えぬ今、記憶に残るその歌声に言いようのない不安が募る。  なにせ、母は――この名もなき娘(わたし)の母親は、人に(あら)ず、村人には鬼と畏れられているのだから。
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