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えっちらおっちら雪を掻き分け、ようやく村の端に住む人の家に着いた時、私は今が雪の降る季節で良かった、と再度、天に感謝した。
(雪が血を隠してくれている)
夜の村に降る牡丹雪。ボタリボタリと落ちるように降る真っ白なそれは、道端で雪に埋もれるように倒れ伏し、血を流す男の上にうっすらと積もっていた。
雪の下のそれは背中のど真ん中に大穴が空いており、生死の確認をする必要もない。
男は村の最端に住む、妻を亡くした独り身男性だった。……恐らく、私が社で耳にした異音を発したのはこの男だろう。あれは断末魔と地に倒れる音だ。
いかな雪でうっすら隠れているとはいえ、これは凄惨な光景に違いない。私は寒さか怖じ気か判断がつかないが、ガチガチと震え打ち鳴らされる上下の歯を食いしばり、母の足跡の向かう方に目を凝らす。闇と降る雪に視界を遮られるも、なんとか隣家の影を見ることができた。
(彼処の家は翁と幼い孫がいる。母様、頼み申す。非力な年寄りとまだあどけない子なのだよ)
母に祈るのは、とうにわかっているからだ。彼女がその手を血に染めてしまったことを。
何故、なんて考えずともわかる。
母はいつだって、娘を想って動いてきた。彼女は私に纏わりつく他者の邪心を嗅ぎ取って、それを敵と見做して牙を剥く。
どうやら私は昨日村を尋ねた際、"臭い"を移されてしまったようだ。母が自身の手を血で汚してでも屠るべき敵と見做すほどの濃厚な邪心の臭いを。
(そうだな、当然だ。何せ、村長をはじめ、村の者らは願ったろうさ。私と母様の死を)
母は人ではない。だが、それは知能を失っているという意味では決してない。
彼女は他者の邪心に敏いだけではなく、おそろしく聡く、そして、その気になれば社に施された封印すら破れるくらい強力な存在だ。
私に纏わりつく邪心を嗅ぎ取り、村人らに愛し子が屠られると悟ることも、その邪心を排除するにはどうするのが最適かの答えをいち早く導き出しすことも造作ない。
母はいとも容易く、こう結論づけた筈だ。
――愛し子を屠ろうとの邪心を持つ者も持ちうる者もすべてを屠ればいい。
ヒイィー
ヒイィーー
甲高い悲鳴が、風の音に混じって聞こえる。
(今が雪の降る季節で良かった)
俯き、両手で顔を覆った私は、密かに呟く。
きっともう間もなく遭遇するであろう血塗れの母。
母は美しい人だ。荒神が惚れる容姿と心を持つ、銀の御髪のその人が血に赤く染まる様はさぞや凄惨で美しかろう。
だが、恐らく私はその様を拝めない。
次に母を見つけたとしても、闇と絶え間なく降る牡丹雪が、うまく私の視界を遮ってくれるだろうから。
そして、近く、この村に駆けつける処刑人により、必ずや屠られるであろう母――殺人鬼とその娘である私の死体を、この降り積もる牡丹雪が美しく化粧してくれることであろう。
どこか遠くでまた、耳を劈く悲しい音がした。
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