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「様子は?」
扉を開け入って来た博士は、開口一番たずねた。
「相変わらずです。しきりに周囲を警戒しているようで」
「まぁ、無理もないだろう」
助手からの報告を受けた博士はそう言うとレバーを上げ、マイクをオンにする。
「やぁ、おはよう。気分はどうだい?」
ガラスを挟んだ向こうの部屋では忙しなく動く謎の生命体が存在し、その体はふってきた音声にぴくりと反応を示した。
「その声は博士ですか。ごきげんよう。ワタシは…変わりありませんね。やはりまだ慣れないです」
返答する生命体の語尾がそのまま気分をあらわすかのように下がる。
「閉じこめるような真似をしてすまない。お偉いさん方がうるさいんだ。自分たちと異なる者は素直に受け入れることが出来ない頭のかたい連中ばかりなのさ」
「いえ、助けていただいた身ですから。あのままだと負傷したワタシは死んでいたことでしょう」
「だがガラス越しに見張られるようにして過ごすのは落ち着かないのではないかい?」
自己保身しか頭にない馬鹿な権力者たちよりよほど聡明で謙虚なこの者をわざわざ隔離する必要はないのではなかろうかと博士は思っていた。しかし上に逆らうわけにもいかないので、やむを得ない。
「そうですね。ですがそれ以上にこの明るさの方が落ち着かないので、昨日教えていただいた照明というものを少しおとしていただけるとありがたいのですが」
遠慮がちに生命体は言う。
「ごめんよ、そうすると我々には君が見えない。人間は明かりがないと視認することが出来ない生物なんだ」
「なるほど。ワタシやワタシの仲間はずっと光のないところで暮らしていたので、いわゆる視覚と呼ばれる部分に関しては、あなた方とかなり構造が違うのでしょう。ワタシには眩し過ぎて…そのせいでしょうか、どうも体内の回路が正常に作用していないようです。おかしいと思われるかもしれませんが、ずっとワタシの仲間に似た誰かがそばに居るように見えるのです」
その存在を気にするかのように小刻みに体を反転させる生命体は、内緒話をするかのように小さな声で言った。
照明の光を浴びる生命体の体から伸びた黒い影は、落ち着かない様子のその動きにあわせて同じように変化を続ける。それがまるでもう1体の誰かに思えたのだろう。
「だから常にそわそわとしていたのかい?」
「ええ。近づこうとすれば彼は離れ、掴もうとすれば空をきってしまう。追いかけても追いかけてもその距離は縮まらず、この決して広くはない部屋の中に彼はとどまっているというのに、どう手を尽くしても触れることが出来ないのです」
光を知らない生命体からすれば、そこに出来る影もまた知り得ない存在なのだ。
「これほど接触しようとしているワタシに対し、彼は近づくことも、なにかを答えることもしてはくれません」
生命体は疑問を投げかける。
「彼はなぜワタシを避けるのでしょう。無言を貫ぬくほど追われるのが嫌ならば、なぜずっとそばにいるのでしょう」
実に知識欲に富んだ生物だと博士は感心した。なによりその吸収力と成長の早さは目を見張るものだった。
1日目、遭遇したその日の内に人間の言語を理解し、意思の疎通が可能なまでに学習した。
2日目にはすでに言葉を使いこなし、持ち得なかった視覚器官を新たに獲得し始めた。
3日目の今日にはまだ完全とはいかないが、光の中での生活に順応しつつある。
1ヶ月、いや、1週間後にはどこまで成長を遂げるのだろう。博士の背中にひやりとした汗がつたう。馬鹿だと思っていた上の連中の指示はあながち間違いではなかったかもしれない。想像したくない未来が博士の頭をよぎった。
今はただ、無垢に影を追いかけるだけの得体の知れないこの者は、あっという間に私たち人間を追い抜いてしまう。そんな未来が、迫っている。そこにある影のように。
完
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