溶けない二人

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溶けない二人

 真っ白な二階建てアパートの、カンカンと煩い階段を駆け上がる音がする。扉の前で息を整える気配がした。  呼び鈴が鳴らされる前に、私は扉を開けた。   「……」 「今日まで騙していたこと、すみませんでした」 「……」 「消えろと言うなら消えます。これからも永太さんを演じてほしいなら、そうし––––」 「貴方は永太じゃない!」 「お、れは……」  目の前の男は泣きそうな顔をする。どうしてそんな顔をするの。  どうして…… 「……貴方は」 「え?」 「貴方は永太じゃない。これまでも、これからも。でも、今日まで私を支えてくれたのも、永太じゃない。貴方が! 貴方が…… 私の明日を、ずっと、守ってくれていた!」  私は何度も「ごめんなさい」と言って泣きじゃくった。  彼も静かに泣いた。永太はそんな風に泣かない。でも、いいんだ。  これはの涙だから。  彼は私の背中をそっと撫でた。自分が触れてもいいのだろうかと悩むように、そっと。 「遠子さん。元気になったら、そしたら……」 「……?」 「一緒にお線香をあげに行きましょう」  永太の顔をした彼が言う。  涙が洪水のように溢れ出る。声が出せなかった。でも、何とか首を縦に振る。    息を整える間、彼は何も言わなかった。  ただ根気強く、私の背中をさすってくれた。   「……私、きっとすぐ挫けちゃう。また泣いて暴れて、みんなに迷惑をかけるかも」 「それって、最高だ」  想像もしなかった言葉に、私は目を見開いた。  彼は平然と続ける。 「だって、遠子さんが明日を見ている。ハリボテじゃない、本物の明日を。それ以上に大切なことってないでしょう?」  ああ、そうか。  私が永太の成功を夢見たように、  彼も、私の明日を夢見ていたんだ。  永太、今まで本当にごめんね。  私、もうちょっと頑張ってみるよ。  最高の人生を送ったら、ゴンドラに乗って会いに行くから。  頬に涙が伝うのは、いつぶりだろう。  ぶっきらぼうに拭ってくれる貴方はもういないけれど、大丈夫。  ちゃんと自分で拭けるから。   「ねぇ、名前、聞いてもいい?」 「そうだな、明日になったら教えます」 「明日、か…… うん、じゃあ明日」  私が笑うと、彼も小さく笑った。  傷つくことのない今日よりも  挫けてしまいそうな明日を  永太と過ごした「これまで」と  貴方と過ごす「これから」を    私は、生きる。  
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