永太

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永太

 車が走り、人が行き交う音がする。車なんて一台も走っていないし、人っ子一人いないのに。  誰もいない街並みに響く効果音を聞き流しながら、道を曲がり細い通路を進む。  扉を開けた先はロッカールームで、俺は古着のTシャツとジーパンを脱ぐと黒のスーツに着替えた。  勢いよく扉が開かれると、不健康そうな眼鏡の男がズカズカと中に入ってくる。随分と御立腹だ。 「ルーティンにない事はするなと言ったはずだが?」 「先にイレギュラーを起こしたのは彼女だ」 「それでも変わらず接することが君の仕事だ。もし娘があのまま全てを思い出して––––」 「どうせ明日には忘れるだろう‼︎」  俺は力任せに拳をロッカーに叩きつけた。  遠子の父は一層眉間の皺を深くして俺を睨みつけてくる。俺も負けじと敵意を剥き出しにした。 「……今回だけは目を瞑ろう。だが、次は無いぞ」 「どうぞご自由に。替えが見つかるとは思えませんが」  小さく、けれど確かに聞こえるように舌打ちをして、遠子の父は部屋を後にした。  財前(ざいぜん) 遠子には記憶がない。というより、とある一日の記憶を毎日繰り返している。  彼の恋人である古林(こばやし) 永太が交通事故で亡くなる直前までの数時間を、延々と繰り返しているのだ。  もう、二年になる。  
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