二礼目 点てる意味

9/9
前へ
/86ページ
次へ
 いつの間にか、泣き疲れて眠ってしまったのだろう。ふと瞼を開くと、まだ見慣れない新しい自分の部屋の窓から見えた空は、完全に、夜の空の色をしていた。 (今、何時だ?)  起き上がり、足元に放置された鞄から、携帯を取り出し時間を確認する。 「七時か。三時間くらい寝たか?」  独り言を呟いた途端、ドアの外から、かあさんに呼びかけられ、涼はリビングへと向かった。 「はっ?」  目の前に広がる光景に驚き、反射的に目が見開かれる。こともあろうに、リビングに、宗也たちが居た。申し訳なさそうに合ったばかりの視線を逸らした和仁のせいで、涼は怒鳴るタイミングを見失う。 「なんで、俺の家のリビングにお前らが居んの?」  精一杯の反抗のつもりで、思いきり冷たく言い放つ。 「中に上がるつもりは、なかったんだ。でも、ごめん。」 「……ごめん。」  和仁と秋が謝っている横で、ひとりだけ、明らかに表情の違う奴が居た。謝罪は愚か、明らかに涼を睨み付けている。 「お前は?謝んねぇの?」  すると、しばらくして、宗也は、やっと、重い口を開いた。 「……お前は間違ってる。死んでから半年以上経ってんのに、そんな風に目、赤くなるまで、友達泣かしたい奴なんか、いるわけねぇ!」 「っ!」  遠弥の顔が、一瞬、頭をよぎる。 「たった一日しか、オレたちは一緒に過ごしてないけど、でも!それでも、わかる。」  熱の籠った宗也の言葉に、涼の瞳が揺らぐ。 「なにが、わかる?」  絞り出された涼の声は、重たい。   「お前、入部したくないって言っておきながら、もういいって言っておきながら、一度だって、『茶道を嫌い』って言わなかった。それってまだ、お前が、茶道が好きだからだろ!」 「それは……。」  確かに、そうだ。これまで、涼の中に、茶道が嫌いになるなんて思考は、全くもって浮かび上がってきたことはない。 「お前の親友は、お前の点てる御茶が好きじゃなかったのかよ!オレがもし、その親友なら、自分が死んだせいで、親友が大好きなことをやめちまうなんて、絶対に嫌だ!!」      宗也は椅子から立ち上がり、涼の正面に立つ。立ち上がった宗也の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。御世辞にも綺麗とは言えない顔をしているはずなのに、涼には眩しく、輝いて見えた。  知り合ったばかりの自分に、ここまで本音をぶつけることの出来る宗也が、純粋に涼は羨ましくなった。この勢いが、かつての自分にもあったなら、遠弥を救えたかもしれない。なにか、力になれたかもしれない。 「オレは!お前の茶道が、見てみたい。そんで、お前の御茶を飲んでみたい!好きなモン諦めるくらいなら、オレ達の仲間になって欲しい!」  ついさっきまで、突然家に押しかけられたことへの煩わしさや三人を招き入れ、遠弥の話をしたであろうかあさんに苛立っていたのに、今はもう、宗也の言葉しか頭の中に入って来ない。  「俺は!どんな気持ちで、どんな顔して、点てたら良いのか。……解らない。それになにより、遠弥みたいに、大事な奴を、また失うのが、恐いんだ。」  涼の視線は、仏壇に置かれている遠弥の遺影をじっと、捕らえて動かない。あまりにも真っ直ぐな宗也の目を、直接見ることが今の涼には、少し怖く感じられたから。 「そんなモンッ、ズッ、目の前にいる御客さん、喜ばすことだけ、ンッ、考えれば、それでいい!それに……。」  なにかを言いかけた宗也は、ぐしゃぐしゃの顔を一度思い切り拭って、再び、涼の目を見据えた。突如、止められた言葉の続きを聞こうと、涼が宗也の顔を見た瞬間。 「オレは、絶対、居なくならない!」  目の前で自分のために涙を流しながら、凛とした眼差しを向けてきた宗也の顔に、ちょうど背丈が同じくらいだった遠弥の顔が重なる。  『涼の御茶は、本当に、美味しいね。』  『点てている時の涼、格好良くて、おれ好きだな。』  『やっぱり涼の点前は、見ていてほっとするよ。』  『涼、今度は、この抹茶を点ててみてよ。』  遠弥の柔らかい陽だまりのような温かみのある声が、今にも聞こえてきそうだ。 (……そうか。俺は)  逃げていただけだったんだ。遠弥を言い訳に。誰かと一緒に、茶道をすることから。  宗也の言葉を聞いて、やっと解った。  貰った想いをちゃんと返そう。 「……遠弥から貰った言葉に、応えないとだよな。」  涼は、唇を噛みしめ、震える声で呟く。送られた言葉は、どれも温かく、優しいものだ。誰よりも自分の側で、自分の点前を好きでいてくれた友へ。出来ることは、本当にもうないのだろうか。いや、きっと、遠弥が生きていたら、今の俺を御茶室に引っ張っていくだろう。自分の腕を引く遠弥の姿が、あまりにも自然と思い浮かぶ。  涼の左頬を一筋の涙が流れていく。 「嗚呼。思いっきり!その親友の顔、思い出して、そいつの為に、一服点ててやろうぜ。」  まるで、霧が晴れた時のように爽やかで清々しい心地がする。そして、今度は、温かい笑顔の宗也に、遠弥の笑顔が重なる。  止まっていた時計の針が、動き出した瞬間だった。
/86ページ

最初のコメントを投稿しよう!

49人が本棚に入れています
本棚に追加