一礼目 東京へ

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一礼目 東京へ

「やっと見つけた。【こちら側の人間を】。私が、君の才能を開花させるよ。―――(りょう)。」  茶道をこよなく愛する青年、此処に在り。  日本有数の茶葉生産量を誇る静岡県。辺り一面、緑一色の茶畑。そして、その奥には茶畑とはまた違う美しい緑色の野山が広がっている。 【宮瀬(みやせ) (りょう)】は、そこで生まれ育った。  小学生までは、涼の成長がやや遅めだったこともあって、茶畑の脇を通るたび、自分が茶畑に埋もれているのではと、錯覚を起こしそうになったこともあった。やがて、中学に上がると、茶葉の緑色の深みを、違った角度から眺めることが出来るようになった。自転車で脇を颯爽と駆け抜けた時の快感は、何物にも代え難く、一層、御茶の世界へと彼の心は(いざな)われた。茶畑と背比べをした思い出は、きっと大人になっても忘れはしないだろう。  けれど裏を返せば、涼の生活にはいつでも茶葉の香りがしていて、どんなに落ち込んで暗い気持ちに浸りたくても、青々と輝く茶畑が自分のことを見張っているようで、一時期は、この緑に囲まれた田舎暮らしが嫌になることもあった。とは言え、日々、見慣れたその景色も、嗅ぎ慣れた御茶の香りも、涼の心を魅了してやまなかった。  涼は、中学でも高校でも、茶道部に入部した。中学では、涼自身も含めて、男子の新入部員はふたりだけだった。部員の大半は女子という、茶道部恒例の現象を涼は十二歳にして、嫌というほど、実感した。  中学校を卒業し、高校へと進学してからの約一年間、学生生活のほとんど全ての時間を、涼は、茶道に費やした。まるで、底なし沼のように、和室、畳の香り、床の間、生け花、掛け軸、抹茶、和菓子、茶器、着物。茶道を取り巻くありとあらゆる物に、涼の心は、魅了された。  高校二年の四月。東京行の新幹線の中、春の日差しに目を凝らしながら、寝返りを打つ。  いざ都会へと、多少意気込んで新幹線に乗り込んでは見たものの、思いのほか涼の心は落ち着いていた。それにしても、一度乗り込んでしまえば、あっという間に着けるものなのだなと、乗っていて、新幹線を作った人たちに、涼は感謝したくなった。  日本地図を作った伊能忠敬も、きっと、さぞ驚いているに違いない。外国人観光客向けであろう土産物の日本地図を眺めながら、そう思った。
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