シャダツ

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 あー、人間 やめてぇな。  ムロロの口癖だ。ムロロはいっつもこればっかり口にする。  なんで?って、ある時私が尋ねたら、ムロロは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。  社会が怠い、文化がめんどい、つまり究極、その欲がないのに生きてるからだよ。  何言ってんだ、こいつは?今度は私がちゃんと分かりやすいように鼻で笑い返してやった。  社会が怠いって、社会は多くの人間が生きるためのルールの集合体だぞ?人間同士で生きる為には、社会という巨大なルールが必要、というより、必然なんだ。それは怠いとかそういう尺度で測る代物ではないのだよ、ムロロ。  次にだ。文化がめんどい、って君は言ったが、それは君が娯楽や享楽、便利を手放すことを考慮しているのか?文化は人間が楽に生きていくためのツールの集合体だ。これなくして、人間の醍醐味は味わえない。つまるところ、文化は人間そのものと言っていい。それをめんどいとは、矛盾甚だしいな。  最後に、欲がないのに生きているだが、生きていることと欲がある事は可分であり、不可分なのだ。欲がない、という尺度には多くの種類を考慮した、例えば本能以外で、などのような場合分けがなされているのか?もし本能も含めて全てなら、君は、人間はおろか、生き物全てに対してその存在に自分を当てはめない、当てはめたくない、と宣っていることになるが、相違ないかい?  私は、少し、いやほんの少しだけ言い過ぎたと、口の中が痺れるのを感じた。  しかし、ムロロは何の反応も示さなかった。それは、言い返せなかったからではなく、言い返すつもりがない時の反応だった。  そして、彼はあっけらかんと繰り返す。  あー、人間 やめてぇな。  まったく困ったやつだ。私はそれ以後、ムロロに問い質すことをやめて、彼がそれを口にしても、だんまり無視を決め込んだ。  あー、人間 やめてぇな。  ほら、また言ってるよ。  しかし、ふとここで違和感を覚える。さんざん耳にしてきた言葉だが、何か変な感触がする。硬いと思って踏んだ地面が柔らかくて体を崩してしまった時みたいに、その言葉の意味を履き違えているのではないか。そんな奇妙な感触を拭えなくなり、私は以前とは違う切り口で尋ねることで、思いがけず崩れてしまった体制を整えようとした。  ムロロ、君はもしかして、人間とは別の生物になりたいだけなのか?  例えば、人間のように感情や思考で物事や行動を尺するような生き物ではなく、無感情、無思考のオートマチックな生物、それは人間以外の動物、昆虫、植物といった存在になりたいのか?  ムロロはまた、しょうもないとでも言いたげに鼻を鳴らして口をへの字にした。  そんなもんたちになんか、なりたくねぇよ。俺は別に人間のままでいいんだよ。  いよいよこいつは頭がおかしくなったのか?私はちゃんと頓狂な顔をしていたに違いない。この前の理由と、いや、口癖と完全に矛盾しているのだ。だから、私は敢えてこんな質問をしてみた。ならば、人間を辞めたいという君の真意は、どんな結果になる事が正解なのだ?ムロロに直接訊いてみたのだ。初めからこうすればよかったのだ。それなら、私もこんなしょうもないエラーストレスを感じずに済んだのだ。さて、ムロロはなんて答えるのだろうか――  だから、俺は人間を やめてぇんだって。それが全てだよ。  私が真摯に取り合った自分に後悔しかけた時、ムロロが一言付け加えた。  ま、そんなお前にも直ぐに分かるだろうぜ。  そう言って、ムロロは――、私にぶつかった。  ぶつかって直ぐに、私からムロロが離れる。  離れたその箇所には、無機質な物が生えていた。  生えている部分がやたらに熱い。  ムロロ キミ ナニヲ……?  だから、さっきから言ってんだろ?人間を やめたくて仕方がねぇってよ。  体液の巡りが鈍くなる耳で、私は聞いた。  ムロロがずっと発していた言葉の聞き取れていなかった部分を。  『人間をやめたい』  そう、彼は人間を殺したいらしい。  なんだ、私の聞き間違いだったのか。  じゃあ、なぜ『社会が怠い、文化がめんどい、つまり究極、その欲がないのに生きているからだよ』なんて、彼は理由にしたのだろうか?直ぐにその真意を聞かなきゃエラーが済まない。  その問いに、ムロロはなぜかさびしそうな目で返す。  不適合者はよぉ、みんなそうやって思わざるを得ないものを抱えて生きてんだよ。  成程、ムロロは根っからの人殺しだったのだ。  なら仕方ない。私が――、引導を渡してやろう。  私は刺さったままの自分の身体と同じ無機質のそれを引き抜いて、ムロロの首に寸分狂いなく真っ直ぐに投げ放った。  そして、こうつぶやいた。  ザンネン ムロロ キミにアシタはナカッタのサ  ムロロの首が、ぽとん、と落ちるのを、私も先程の彼と同じように見届けた。  今なら少し、ムロロの気持ちが読み取れる気がする。  噴き出す血しぶきを浴びながら、私は感傷的なシステムを起動した。  彼は、だったのだ。  人を殺したいという素直な欲だけをシンプルに詰め込んだ、他に俗っ気がない存在。  洗練され、垢抜けている私と同じだ。  そう、もムロロと同じ、洒脱な存在なのだ。  ご苦労。これで実験は終了だ。って、体液が漏れちまってるじゃねぇか。ったくしょうがねえなぁ。やつにナイフなんて持たせなきゃよかったぜ……。  ムロロが出て行こうとした扉とは反対の扉から、白が眩しい人間が登場早々に落胆する。その人間は人間の血には興味がないらしかった。  そこで室内放送が鳴り響いた。  『アンドロイドDL人格強化実験№48314の終了を確認、承認します』  入室した人間がそれに軽く頷くと、私に近づいてきたので、私は尋ねた。これで、計何人の囚人が亡くなったんだい?と。  その人間は、あの時のムロロみたいに小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。  なぁんだ?
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